第四話 トロールのトロちゃんと頭に斧が刺さったおやじ
「ああああああ!」
絶叫するシロの頭に今にもかぶりつかんと大口を開けていたトロールが、ぷっとふきだした。
「くふふっ」
トロールはいかつい顔を歪めて、どうやら笑いを堪えているようだ。がっちり掴んでいたシロの体を慎重に地面に下すと、トロールは笑い転げた。
シロは顔をしかめて溜息をついた。
「もーっ、やっぱりトロちゃんだ!」
トロールは体を起こし、涙を拭いたがまだ笑っていた。
「引っかかった、引っかかった。ねえ怖かった? 本当に食べられちゃうと思った?」
「ちょっとだけね。でもすぐにトロちゃんだってわかったし」
シロとトロちゃんは、幼馴染だ。
ある晩、崖から転落して途中突き出している岩に引っかかったものの、這い上がることも下におりることもできず身動きがとれなくなっていたトロールの子供を、シロが助けた。トロールは日光に当たると石になってしまう。そのまま朝まで放置しておくのが一番良いと、子供のシロでも知っていた。それでも、その頃は当時のシロとあまり変わらない小さかったトロールの子供を、見捨てることはどうしてもできなかった。
もう二十年近く前の話だ。
トロちゃんは、こんな夜中に野宿をしているシロを見つけて、ちょっと懲らしめてやろうと思ったのだった。トロちゃんの親兄弟や親戚に見つかったらシロの命は風前の灯だし、森の中には、他にも危険なモノがうようよいるのだ。
しかし、シロから事情を聞いたトロちゃんは、こう言った。
「なんだ、里ではそんな大変なことになってるのか」
日中は洞窟の奥深くで眠っているトロちゃんは、ドラゴンの襲撃を知らなかった。
「それで先を急いでいるのか。なら、オレが森の外れまで連れてってあげるよ」
ずしん、ずしんとリズミカルに響く足音に眠気を誘われて、シロは少しうとうとした。
トロちゃんの幅広い肩は、ごつごつして座り心地はいまいちだったが、シロが滑り落ちないように支えていてくれるので安心感があった。
浅い眠りの中で、シロは昔のことを思い出していた。
トロールと友達になったなんてことは、両親は勿論誰にも話すことができなかった。獰猛なトロールはヒトでも動物でも何でも食べるものだが、トロちゃんはシロとの約束で、人間は旅人を襲う盗賊とか、悪人しか食べないことにしていた。そのせいか、トロちゃんはトロールの中では体が小さい。成体のトロールはもっと何倍にも大きくなるはずなのに。
体の小さいトロちゃんは仲間のトロールから馬鹿にされ、仲間外れにされているという。
シロはそのことで心が痛み、もう友達をやめようとトロちゃんに提案したことがあった。
「人間は、ウサギや熊、鹿や牛、馬、自分たち以外の動物を食べる。それは、他の動物からしたら、ひどく残酷で理不尽なことだと思う。だから、トロールが人間を食べたとしても、僕らは文句を言う資格はないと思う。僕は、君が仲間のトロールから苛められているのは、いやだよ。君が普通のトロールになったら、もう二度と会えなくなるけど……でも仕方ない」
トロちゃんは、しばらく考えてから、言った。トロールは動作が鈍く頭もあまりよくないと言われているが、トロちゃんは他の個体と比べて素早く動くことができ、知恵も回る。
「オレは、仲間から馬鹿にされても平気だよ。トロールってのは、そういうものだからさ。でも、オレはシロと友達になって、ちょっと変わったトロールになっちゃった。もう元には戻れないし、戻りたいとも思えないよ」
それ以降、二人はずっと友達だった。
「あ」
トロちゃんが急に足を止めたので、シロの体が前に滑り落ちそうになったが、トロちゃんの逞しい腕に抱きとめられた。
「え、なに? 狼? 熊?」
トロちゃんの肩の上で半分寝ぼけて辺りを見回すシロだが、そこは月明かりも届かない森の深部で、真っ暗だった。
「シロのおやじさん」
トロちゃんの指さす先に、白くぼうっとしたものが見えた。
「あ、ほんとだ。父さん、久しぶり」
地面におろしてもらったシロは、白い影に駆け寄った。
「父さん」と呼ばれて振り返った男の頭には、斧がめり込んでいた。