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第十一話 トロちゃんとシロ

 シロから鏡に映った自分の姿を見せられ、トロちゃんはようやく自分の体に起きた変化を認識し、なぜこんなことになったのかと大泣きした。彼はぽつりぽつりと自身に起きたことを語り出したが、一つ思い出すにごとに感極まって泣くので話がなかなか進まない。

 業を煮やしたリヴァイアは、兎汁をほぼ一人で平らげると、シロの寝室に籠ってふて寝をしてしまった。

 トロちゃんの記憶は断片的だった。

 トロールの母が狩りをして人間を二人洞窟に連れてきたこと。

 子供を助けようとしたのにうまくいかなかったこと。

 崖っぷちに座って朝日を眺めていたこと。

 体が固まっていく感触。

 呼吸ができなくなり、意識が遠のき、体が前のめりに倒れ込んだ。

 凄まじい衝撃、粉々に砕けた体。


 闇


 目を開けると、谷底にいた。

 切り立った断崖絶壁の上に広がる青空

 白い影

 頭から斧を生やしたおやじ

 白い闇

 闇


「次に目が覚めたらここで寝てたんだよう。話し声がするので起きてみたら、シロと見ず知らずのおばさんだった」トロちゃんは袖で涙を拭いながらそう締めくくった。顔を拭くだけでなくテーブルにこぼしたスープを拭くときにも活用しているので、服を着せてからいくらも経たないのに、袖の汚れが目立つが、トロちゃんは一向に気にしていない。

「おばさんはやめなさい」

 シロはぴったり閉ざされた寝室のドアを恐々見た。幸い、もう眠ってしまったようで、それはピクリとも動かなかった。

「あのひと、だれ」

「ドラゴン・スレイヤーを捜しに古都キンシャチまで行ったんだけど、昔王都がドラゴンに襲われた際に命がけで戦った英雄のスレイヤーは酒に溺れて廃人同然だったんだ。それで」シロは口ごもった。

「それで?」

 彼には大きすぎるシロの服一式を着込んだ人間になったトロちゃんは、無邪気に先を促す。「もうトロール母さんに会えない!」とか「子供が!」とか思い出すたびに泣き出すので目は充血し潤んでいるが、ランプの明かりに照らし出された顔は、まだ少年ぽさを残す二十歳前後の青年のものだ。肉は食べたくないと頑なに言い張るので(「なんでよ。あんた元トロールでしょ」と棘のある言い方をするリヴァイアに「だって、かわいそうじゃないか」と言い返して絶句させた)、鍋から野菜だけ取り分けたスープのボウルを抱える両手は指が細く繊細だ。豆が原材料のハッチョによる味付けは気に入ったらしく、話の合間にボウルに直接口をつけて汁を啜っている。

「それで?」

 大きな瞳にランプの炎が反射しきらきらしているトロちゃんが再度尋ねた。

「それで……」

 正直、今現在何がどうなっているのか、シロにもよくわからなかった。テキサとの対峙や重傷を負って目覚めてからのことは、まるで夢の中のように感じられた。

 改めて考えてみると、あのリヴァイアの素性だって、よくわからない。リヴァイアは窮地に陥ったシロを二度助け、悪党を四人(どんまい食堂付近で二人と、ナガミ村に向かう途中で追いかけてきた二人)と恐らく馬二頭(そのくだりで気を失ったのは幸いだった)を喰った。それから、井戸端に倒れていた老魔法使いとの謎の会話(これも途中で気を失った)。

 正直、シロ自身にも何が起きているのかわからないでいる。

 あの見た目はなよなよとした細身の女――魔女だと自ら名乗っていたが――に、果たしてドラゴンを退治できるほどの力があるのだろうか。

 そもそもあの女には、ドラゴンを退治する意思があるのか。それすら確認していないことにシロは愕然とした。シロには扱えない竜のつるぎを、あの女はどうやら使えるようだが、シロも目撃した小山ほどもある巨大かつ凶悪な生き物と対決する武器としてはあまりにも頼りなく思えた。英雄と謳われたドラゴン・スレイヤーのヘルシですら追い払うのが精いっぱいだった相手に、女の細腕であの剣を手に戦おうというのか。

 そして、問題はそれだけではなかった。


「テキサ――」


 シロの黒い瞳が一層暗くなったのを見て、トロちゃんは両手で挟んでいた赤スープの入った木製のボウルを置いて、テーブルの上のシロの手をぎゅっと握りしめた。その手はやわらかく、温かかった。

「あっ」と声をあげてトロちゃんは慌てて手を引っ込めた。

「ん?」

 トロちゃんは大きな瞳をさらに大きく見開いて、シロの手を見つめている。

「骨、バキバキに折れてない? オレ、何考えてんだろ。ヒトの手をぎゅっと握るだなんて」

 シロは思わず笑った。確かに、トロールだった頃のトロちゃんにうっかり手を握りしめられたりしたら、骨が粉々になっていただろうが、今ではシロの武骨な手の方がよほど破壊力があるだろう。

「人間になったから、もう大丈夫だよ」

「あっ、そっかー」

 にかっと笑った無防備な笑顔に、昔の面影を見た気がした。外見は似ても似つかないのに不思議なものだとシロは思う。

「もうトロールじゃないから、トロちゃんは変だよなあ」

「え、オレ、この名前気に入ってる」

「そうなの?」

「うん」

「いやでも、もっとちゃんとした、人間らしい名前を」

「これでいい」

 シロは、トロールだからトロちゃんなどと安易に名付けてしまった少年時代の自分を改めて罵った。

「シロがくれた名前だから、これでいい。オレはトロールだったんだ。普通の人間になれるとは思えない」

 トロールとしてもかなり異質だったのだが、とシロは思う。

「テキサって誰?」トロちゃんが尋ねた。

「それは」

「あっ」

 トロちゃんは眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開いていた。

()()()()()

 トロちゃんは露骨に顔をしかめて言った。

 そう、テキサはトロちゃんとシロ、二人の共通の敵だった。


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