第六話 リヴァイアさん
シロと女がナガミ村に到着したのは、マサカー教授率いるドラゴン調査隊に遅れること三日、ドラゴンがヌガキヤ村に到着してから九日目の早朝だった。
商いの町ナガミ村の朝は早い。まだ夜が白々と明けかけた暗さであったが、シロと女がハッチョ卸売り店ナガミ村本店に到着した時、店は既に開店準備を始めていた。
「馬なんて、返却しなくても食べてしまえばいいじゃないの」とぶつぶつ言う女を無視して、店内に足を踏み入れたシロは
「ミラクル聖人!」と満面の笑みを浮かべたナカさんに抱きしめられた。
何故キンシャチのナカさんがここに? いやいやこれは双子のタケさんだ。いやでもなぜナガミ村のタケさんがミラクルの一件を知っているんだ? やはり二人は同一人物で、俺はからかわれているのではないか。そのような疑問が高速でシロの頭をよぎって行く。
「ご活躍は、新聞で拝見しましたよ。奇蹟の場に立ち合えたなんて、弟は幸せ者だ」
揉み手をするタケさんの指さす先――店の壁の良く見える位置にはシロの顔絵付きの新聞記事の切り抜きと、別紙に書かれた「聖人様御用達店」の大きな文字。
「お陰様で、こちらの店も繁盛しておりますわ。ハッチョの仕込みには時間がかかるんだが……これは嬉しい悲鳴というやつですな、はっはっは」
シロは狼狽を隠しながらタケさんに馬と荷車を借りていたお礼およびキンシャチで弟のナカさんにお世話になった旨を伝えたうえで、気になっていたことを切り出した。
「タケさん。数日前に、キンシャチの大学からドラゴンの調査隊が到着したらしいですね」
「ああ」タケさんは顔を曇らせた。
「村外れの森の入口に馬車を乗り捨てて行ってね。美人らしいが変な色眼鏡をかけた若い教授がやって来て、馬の世話を頼んでいったよ。うちでは馬二頭を預かっている。だが……」
「だが?」
「その教授が、変なことを言っていた。はっきりとは口にしないが、どうも人には言えないような汚れ仕事を金次第で引き受けるごろつきを探しているらしかった。わしらはもちろん、まっとうな商売人だから、そんなものは知らないと言っておいたが」
「汚れ仕事」
シロは馬で襲いかかって来た二人連れのチンピラの顔を思い出した。二人とも今は連れの女の胃袋の中だ。
「どうにも、いやな感じだった。当然、ヌガキヤ村のためにドラゴンを退治するんだろうと思ったら『そんな野蛮なことはしません』と怒り始めて。何が野蛮なことだ」
「ヌガキヤ村から、便りは在りませんか」シロは息せききって聞いた。
「ナガミ村の村長が、ヌガキヤ村からの避難民を受け入れる決断をしたんだ。女子供、それから老人や病人の避難はもう済んだよ。でも、男連中は概ね村に残ってる。ドラゴンの襲来は一度では終わらなかったらしい。残念だが」
「お世話になります」シロは深々と頭を下げた。
「それはいいんだ。で、あんたの方の首尾はどうだったんだ。ドラゴン・スレイヤーを見つけられたのかね」
「それが」
「ねえちょっと、いつまで待たせるの」
女が入って来た途端、タケさんも含め、開店準備のためにざわついていた店内が静止した。黒い外套にぴっちり身を包んだ背の高い女は、その地味な装いに反し、皆の視線を釘付けにした。外套の背中に開いた穴は繕って目立たないようにしてあったが、そんな細かいことは問題にならなかっただろう。女は、シロがタケさんからもらった携帯用ハッチョの小壺を片手に持ち、中身を指でねぶっていた。
「あら、こちらの殿方はどなた?」
女に(というより女の手の中にあるハの字が刻印された壺に)釘づけにされた視線を引き剥がしたタケさんは商売人としての自覚を取り戻し、満面の笑みで揉み手を始めた。
「これはどうも。わたくしは、ハッチョ卸売りナガミ村本店四十八代目店主のタケと申します。以後お見知りおきを。そのハッチョはお気に召しましたでしょうか」
「ああこれ」と女は指についたハッチョを舐めとってから「キンシャチのハッチョ屋のお隣のお店でいただいた赤煮込み、とってもおいしかったわ。赤カツレツの赤いソースもこのハッチョがベースなのね。この艶々した深い赤味が最高よね。あらやだ、もうなくなっちゃったわ」
女が中身をきれいにこそげ落とした壺の中身を見せると、タケさんは興奮した様子で「代わりをお持ちしましょう」と小さい壺を恭しく女の手から受け取り、店の奥に引っ込んだ。
「俺の荷物に入っていたやつだろう。いつのまに」シロが呆れて言うと、女は指を舐めながら「だってお腹がすいたんですもの」と涼しい顔だ。
「いいわね、これ。生で丸齧りする時につけたらより一層おいしくいただけそう」
女は店に展示してある大小様々な樽を眺めている。
「ここからは歩きだ。森を抜けていくのに、そんな大きな樽は担いでいけないぞ」
「んー。か弱いあなたには無理でも、私は大丈夫」
「お待たせしました」
タケさんが満面の笑みを浮かべて立っていた。その掌の上に載っているのは、黄金色にキラキラと輝く壺だ。
「――?」
「これは、特別なお客様の中でも特別なお方にだけお渡しする、黄金の携帯ハッチョ壺です」
「あらまあ、素敵。ずっしりと重いのねえ、小さいのに」
「純金ですから」
「そんな高価なものを持って旅をするって危険では?」とシロが呆れ果てて言うと
「聖人様にはこちらを。中に新鮮なハッチョを詰めました」と前回と同じハの字の刻印の入った軽量な小壺を渡す。
「ありがとう」女は輝ける笑顔でタケさんに礼を言った。
「ところで、あっちの小さい樽だけど」と指さしたのは、大人の頭よりひとまわり大きな樽だ。
「ああ、それもどうぞお持ちください。ミラクル聖人のお連れの方からお代はいただけません」
「あら、悪いわねえ」と悪びれもせず女が言う。
女は店で用意してもらった小さな背負子にハッチョの樽を積んで笑顔で手を振りながらタケさんの店を後にした。
「ありがとう。用事を済ませたら、帰りにまた寄らせてもらうわね」
「お待ちしております。道中御無事で。して、お客様のお名前は」
「私? リヴァイアっていうの。リヴィって呼んでちょうだい」と女はウインクした。




