第一話 シロ、舌を焼く
田園風景を抜けて古都キンシャチに到着したのは日が暮れてからだった。
石造りの二階建の建物が並ぶナガミ村ですらシロにとっては気遅れを感じる都会だったのだが、古都キンシャチはシロの想像を超えていた。
まず、夜だというのに明るい。石畳で舗装されているのはナガミ村と同じだが、建物は石だけでなく煉瓦造りも散見し、四階、五階と高く聳えているのも珍しくない。そしてメインストリートを真昼の如く照らしているのはガス灯である、と知識として知ってはいたものの、実際に見ると目が眩むような思いがした。
その一方で、大通りを外れて路地に入るとそこは暗く陰鬱で、明かりの届かない闇の中に何か得体の知れないものが潜んでいそうだった。
シロがまず向かったのは、ナガミ村のタケさんの弟が経営しているという、ハッチョ卸売り店のキンシャチ支店だった。
店を探し当てるのは割合簡単だった。通行人に道を尋ねると「ああ、赤スープの素の店ね」とすぐに教えてもらえた。
ナガミ村の本店よりも立派なのではないかというキンシャチ支店は既に店じまいをしていたが、シロが携帯用ハッチョの壺を見せると、若い奉公人はすぐに店主に取り次いでくれた。
「その携帯用ハッチョの壺を見せて事情を説明すれば、弟は惜しみなく協力するはずだ」とタケさんは言っていた。
手のひらサイズの携帯用ハッチョの壺には、表面にハの字が刻印されている。これは、上得意の客にだけ配る割れにくく軽い素材で作られた特別品で、合計で百個程度しか存在していないという。
「やあやあ、ヌガキヤ村から遠路はるばるようよういりゃあたなも。ヌガキヤ村と言やあ、白スープが有名だが――」
奥から出てきた店主が抜け目のない目つきでそう切り出した。
(以下、ナガミ村出身者に余所者が何事か頼みたいときの通過儀礼を省略。)
キンシャチ支店を切り盛りする店主のナカさんは、兄のタケさんに瓜二つだった。聞けば、双子なのだという。
そう聞いても、実は早馬で先回りしたタケさんにからかわれているのではないかという気持ちが拭えないシロは、首を捻りながら、タケさん本人としか思えないナカさんが店の奉公人にシロが乗ってきた馬の世話を命じるのを眺めていた。
店には奉公人が七人寝起きを共にしており、遠路はるばる商談にやって来た客を滞在させる部屋もあり、客人用の部屋に案内されたシロは恐縮しきり。調度品はベッドと小さめの書き物机に椅子、クロゼットのみという簡素さだが、清潔で気持ちの良い部屋であった。旅用の外套を脱いでベッドに腰かけぼんやりしていると、ナカさんがやってきた。
「今、食事を用意させとるから、もーちょー待ったって」
「すみません。お世話になります」
「なに。困ったときはお互い様だがね。しかし、これからどうなさるおつもりか」
「それが、皆目見当がつかず、困っていたところです。とりあえず、ドラゴン・スレイヤーについて情報収集をしたい。人が、特に外部からやってきた旅人が大勢いそうなところはどこでしょうか」
「そうさね」ナカさんはしばらく考えて「やっぱり、酒場だわ。旅籠が集まるドラゴン通りには酒場もぎょーさんあるわ」
「キンシャチには旅人が多いですか」
「そりゃあね。王宮見物にやってくる観光客だけでも毎年どえりゃーもんだわ。それに学園都市だから、ガクジュツケンキュウとやらのために他国からやって来る学者先生もおいでるよ。学生が多く下宿しとるから、その家族も大勢来やーすな」
「なるほど」
「うちの店にも大勢遠方の客がやって来る。店の者にいいつけて、スレイヤーの居場所について何か知っとらんか、尋ねさせたるわ」
「ありがとうございます」シロは深々と頭を下げた。
ドアにノックの音がして「お食事をお持ちしました」の声。
ナカさんの目が三日月のように細くなり、いそいそとドアを開けに行く。
「さぞかしお腹が減ったでしょう。夜は冷えるから、これを食べてあったまりんさい」
奉公人が盆に載せて運んできたのは、一人用の土鍋であった。書き物机の上に慎重に盆を置いた奉公人は「熱いのでお気を付けください」と言いながら、土鍋の蓋を取った。鍋の中では、赤スープがぐらぐらと沸騰していた。
「これは――」
「ナガミ村名物赤煮込み、でらうまだわ。熱いうちに食べやーて」
ナカさんの目が更に細くなった。
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注:ナカさんが話すのは、ナガミ地方の古語、現在では地元民でもあまり話す者がいなくなった古の言葉です。通訳が必要な場合はお気軽にお申し出ください。
故郷を出て人種の坩堝である大都市で他国民に囲まれ暮らすことで郷里を愛する自意識が強化され、双子の兄タケさんでさえ使わなくなった古語を話しています。




