9 怪力女傑、空飛ぶ絨毯に乗る
それにしても妙だ。これまで出てきた魔物は、せいぜい一晩に一体か、多くても二体程度だった。
それが今夜に限って、不特定多数の下層民を集めて、密造酒を振舞うなど……やけに派手な動きをしたものである。未然に防げはしたものの、下手をすれば南部地区に魔物が溢れかえっていた恐れすらあった。
「え~と、きみはマルフィサと面識があるんだよね。名前は……アンジェリカ、だっけ?」
「そうよ。あたしはアンジェリカ。偉大な母様から素晴らしい技を受け継いだ、超偉大な魔術使いよッ!」
アンジェリカと名乗った少女は、臆面もなく無邪気に胸を張って答えた。
先日も思ったが、スクル教が広く流布されているアルバス帝国で、魔術の類に通じている事を公言すれば、どんな目に遭うか……彼女は知らないのだろうか。
「え~超偉大ィ~? アンジーちゃん、チンチクリンのお子様じゃん!」ハールが疑わしそうに口を挟んだ。
「何よ文句ある? さっきの魔術見てたでしょ。あと気安く愛称で呼ばないでくれる? 皇子さま」
確かに先刻のアンジェリカの舞とお香で、「密造酒」を飲まされた者たちの大半が大人しくなった。これが彼女の魔術の力だというなら、純粋に凄いとわたしは思う。
「でもさ~。さっき現れたデカい化け物には対処できてなかったし。マルフィサがいなかったら今頃、首が折れてたのきみの方じゃないの?」
「し、失礼なガキね! そんな事ないしっ!」
わたしからすれば、どちらも似た者同士という気がするが……まあそれはさておき。
先ほど倒した翼持つ怪物・酔魔は息絶えていた。絶命した証に、その肉体は見る間に黒い灰となり、崩れ去っていく。
先日、アグラマンが仕留めた時と同じだ。怪物が暴れた証拠が残らないというのは、なかなかに厄介な事態である。
「あれも元人間だったとは……信じがたいな。
ともあれ、ハール。アンジェ。この場に留まるのはまずい。
酒を配っていたと思しき男も、口封じされてしまったしな……」
周囲の道端には、さっきの酔魔が殺害したと思しき人々の遺体があちこちに転がっている。
連日の魔物出現事件のため、警備隊や騎士が巡回しているだろう。もしこのタイミングで出くわしたら、最悪濡れ衣を着せられてしまうかもしれない。
「そうね、確かに官憲に目をつけられるのはマズイわ。あいつらマトモに魔術の話なんて聞いてくれないし」
「このまま立ち去るのか?」ハールが異を唱えた。
「心配するな、僕がいる。このハール皇子の名において、きみとマルフィサが無実である事を証言しようじゃないか!」
「あー、うん。さっき助けてくれたのは礼を言うけどさ。その設定はもういいわよ? いい加減しつこいし」
「設定とかゆーな! 本当の事だっつーの!」
二人のやり取りを後目に、ふとわたしは違和感を覚え――北の夜空を見上げた。
風に乗って微かに、だが……煙の臭いがする。
「……む。これはまさか……」
「どうしたマルフィサ。いきなりどこ行くんだ?」
ハールの制止を構わず、わたしは開けた場所に出た。
ここからだとごく小さな点のようだったが、赤いものが見える。あれは……火の手だ。
「なッ……!」追ってきたハールも、わたしの見たものに気づき目を見開いた。
「火事だな。しかもあの位置は……遠すぎて確証は持てないが、恐らく『円城』の辺りじゃないか?」
今日に限ってどういう訳か、先ほどの演説の男は人々に酒を配り、大勢の者たちを狂暴化させていた。
あちこちで怪物騒ぎを起こさせようとしていたのかもしれない。そうなれば、帝都の警備兵らは魔物の対処にかかりきりになるだろう。しかしそれも……陽動に過ぎないのだとしたら?
「なんで火事が……宮殿が燃えていたら大変だ!」ハールは血相を変えていた。
「父上、母上、兄上にもしもの事があったら……急いで戻らなければッ!」
「待ちなさいよ、二人とも」
すぐさま駆け出そうとしていたわたしとハールに、制止の声をかけたのはアンジェリカだった。
「まさかと思うけど、走って城まで戻る気? ここからだとどんなに急いでも二~三十分はかかるわよ」
「そんな事言っても……今は馬もないし、借りに行く時間もない。他にどうしろってんだ」
ハールが反論すると、アンジェリカはフフンと鼻を鳴らした。
「あなたさっき、あたしの魔術の腕を疑ってたわよね?
だったら見せてあげるわ。このあたしの、超一流の大魔術ってヤツを!」
そう言い放ち、彼女は懐から絨毯を取り出した。それは目の前でどんどん大きくなり……空中にフワリと浮かんだ。
「これは……!」わたしは驚いた。パルサ人のおとぎ話でよく語られる、空飛ぶ絨毯だ。よもや実在していたとは。
わたしとハール皇子が魔法の道具の出現に、素直に驚いているのが嬉しかったのか、アンジェリカは得意げな様子で絨毯に飛び乗った。
「……どう? あたしが作ったのよ、この絨毯。大の大人が四人乗っても、ハヤブサのように空を飛び回れるわ!」
「すごい……この美しい刺繍と柔らかい材質! なんと上等なパルサ絨毯だ……捨て値でさばいても1万銀貨は下らない!」とハール。
「ちょっとマセガキ! 驚くとこソコじゃないでしょっ!? 空飛ぶ魔法の絨毯なのよ!?」
「うむ、そうだぞハール。これだけ大きな絨毯を、あんな小さな胸の中に隠し持てるというのは素晴らしい。旅の手荷物にも応用は利くのか? 今の魔術は!」
「フィーザも関心抱くのそっち!? あとあたしの胸は小さくなんかなーいッ!!」
わたしは誠心誠意、アンジェリカの魔術を称賛したつもりだったが……どういう訳か彼女の機嫌は優れないようだった。
「……まぁいいわ。どうする? 乗るの? 乗らないの?」
気を取り直して、魔法使いの少女は尋ねてきた。こちらとしては、答えは決まっている。
「事は一刻を争う。是非とも乗せてくれ! それでいいな、ハール?」
「ああ。一度、こーゆーのに乗ってみたかったしな!」
そんな訳で、わたしとハールはアンジェリカの「空飛ぶ絨毯」に乗り込み……「それ」は音もなく軽快に、帝都の夜空へ舞い上がった。
そこらの馬など比較にならないほどのスピードだ。天上に煌々と輝く満月が大きくなる。
「二人とも、しっかり捕まってなさいよッ!」
昼間だったら目立ったろう。何の変哲もないパルサ絨毯が、三人もの人間を乗せ空中高く浮かび上がり、そこらの駿馬よりも素早く移動しているのだ。
数こそ少ないが、南部地区のあちこちから喧騒が聞こえる。わたし達が倒した以外にも、小規模ながら密造酒を配っていた輩がいたのかもしれない。
「もしさっき、集団に酒を配る現場を押さえるのが遅れていたら……もっと厄介な事になっていただろうな」わたしは唇を噛んだ。
「まずいぞ。あれだけ本格的に魔物を動かそうとしてたって事は、完全に陽動目的――警備の兵士は大半が駆り出されてしまう。
城の火事も、その隙を狙ってやったんだとしたら……アンジー! もっと速く飛べないのか、この絨毯!?」
「これでも全速力よッ! これ以上スピード出したら、アンタたち振り落としちゃうし!」
最悪の事態を想定し、さしものハール皇子も余裕が吹き飛んでいる。
わたしも焦りがつのるが……今は堪えるしかない。
やがて巨大な円城の威容が、間近に迫ってきた。
こんな状況でさえなければ、月明かりに照らされ、空から眺める城壁はさぞ、美しいものだったろう。
しかしその月明かりが霞むほど……最初に見えた赤い小さな光が、近づくにつれ大きな炎となって視界に飛び込んできた。
「なッ…………嘘だろ。燃えているのは……母様の住んでいる塔じゃないかッ!」
ハールが青ざめて叫んだ。円城のさらに中枢にある大宮殿、その南側の尖塔が火元であった。彼の言う通り、あそこは現聖帝の妻・ハイズラーンの居住塔である。
「大変だ、マルフィサ! すぐ戻らないと! 母様が心配だ!」
絨毯を下り、城門に到着すると……ハール皇子の顔を見ただけで、門番はアンジェリカも含め、わたし達をすんなりと通してくれた。
「……あんたマジで、この国の皇子サマだったのね……」あまりにスムーズだったため、当のアンジェリカも目を丸くしている。
「やっと信じてくれたか。どうだ、恐れ入ったかい」
「うん。あまりにもそれっぽくなくて逆にビックリしたわ」
「そういう方向で!?」
相も変わらず、ハールとアンジェリカは漫才めいたやり取りをしている。
「……でもなんで、あたしまであっさり通してくれたんだろ」
「おおかた、ハールの連れ込んだ女の一人とでも思われたんじゃないか?」
「何よそれ。冗談じゃないんだけどっ!?」
アンジェリカの抗議は無視し、燃えている塔に向かうと、大勢の臣下が必死の消火作業に当たっていた。
ところが、わたし達の姿を認めると、怪訝そうな顔をした兵たちがやってきて、いきなり集団で取り囲んでくる。――どうも雲行きが怪しい。
「おい……どうした? 何の真似だ、これは」不快感を示すハール。
ハールの詰問に対し、衛兵の一人が予想外の返答をした。
「殿下、ご無礼をお許し下さい。あなた様には――ハイズラーン皇妃の居塔に放火した嫌疑がかけられておりますゆえ」