7 怪力女傑、最強の将軍と雌雄を決す・前編
『偉大なる神の剣、ハーリド将軍の武勲を讃えん。
生涯一度の負けもなく、寡兵を率いて神敵を、幾度となく退けん。
まさしく神の恩寵なり』
その場にいる兵たちは、敵味方問わず皆、動けずにいた。
負傷したアグラマンに代わり、今度はわたしとハーリド将軍との一騎打ちが、本格的に始まったからだ。
「アグラマン様! 大丈夫ですか!?」
不安そうな声を上げ、後退したアグラマンの右肘を治療すべく、アンジェリカが駆け寄っていた。
「傷自体は深くはないと思うけど、これじゃちょっと、すぐに武器を振り回すのは無理かもねェ」とアグラマン。
「それよりも、マルフィサちゃんよ。彼女、前よりも腕を上げたかもしれないけど……たった一人であのハーリドに立ち向かうのは、無謀と言わざるを得ないわ」
そんな彼の言葉に対し、魔法少女は少し口を尖らせて言った。
「確かにフィーザはよく無茶をするけど……勝つ見込みが全くなかったら、戦いを挑んだりしない」
「……あら、アナタはそう考えるのね」
「ずっと一緒に旅をしてきたから分かる。あたしは……フィーザを信じてる」
そんな会話が背後から聞こえてきて、わたしの高揚感は少しだけ治まった。熱くなりかけていた心臓の鼓動が、落ち着きを取り戻していくのが分かる。
(……わたしとした事が、今この場がどういう状況かも考えず、自分の欲望の赴くままに戦いを挑むところだった。
アンジェがあそこまで信頼を寄せてくれているのだ。負ける訳にはいかないし――ハールやアグラマン、そしてこの戦に立ち上がってくれた皆の為にも、捨て鉢になってはならない)
わたしは馬を走らせつつ、深呼吸をし――手にした半月刀を構え直した。
「…………ほう、このわずかな時間で平常心を取り戻すとは」ハーリドは感心したようにわたしを見た。
「たいていの戦士は、我と相対した際――必要以上に気負ってしまい、隙が生じるのだがな。あのアグラマンですらそうだった。
だがどうやら、そなたとの戦いは……先刻とは違う意味で楽しめそうだッ!」
ハーリド将軍もまた馬を走らせ、半月刀を振りかざして一気に間合いを詰めてきた。
わたしもそれに応じる。中天に輝く陽光が互いの刃をぎらつかせ、耳障りな金属音が周囲に鳴り響く!
「なにッ……!」
無敵の将軍の表情に、はじめて焦りのようなものが見えた。わたしの馬上における剣技が、よもや自分に肉薄するなどと思っていなかったらしい。
それは一騎打ちを見物していた兵たちも同じであった。
「……お、おい……マジかよ。あの女、体格だけじゃねえ。力どころか技までも、ハーリド将軍と互角に打ち合ってるぜ……」
「馬の扱い方も見事だ。将軍の踏み込みに合わせて、間合いを退いたと思えば、大胆に踏み込んだり……信じられない。ヤツは何者だ……!?」
わたし自身も驚いている。己の持てる力と技をぶつけているに過ぎないのに、ここまで善戦できるとは。
意識していた訳ではないが、わたしの内にある炎の魔神も、わたしの身体能力を最大限に引き出す体温を調節してくれているのに気づいた。まるで呼吸をするように、全身の血液が流れるように自然な助力だった。かつてないほど身体が動く。将軍の鋭い斬撃を受け流せる。そして反撃に転じる事ができる!
「おおおおおおッ!!」
互角だった剣技の応酬が、次第に変化してきていた。
ハーリド将軍はいつしか受けに回る事が多くなり、返す刀も弾き返される。流れはこちらに来ている。行ける!
わたしはさらに踏み込むべく、さらに深く斬り込もうとした。
ところが――急に、動きが止まる。
「なッ…………!?」
ほんのわずかな一瞬だったが、わたしの馬は前に出る事ができなかった。ハーリド将軍にとって、反撃するにはその一瞬の隙で十分だった。
ざんっ!
将軍の半月刀が振り抜かれ、わたしの馬は左前脚部を大きく切り裂かれる。馬の悲痛ないななきが上がり、鮮血が砂の上に飛び散った。
大きくバランスを崩した馬はつんのめり、わたしの身体は投げ出されてしまった。
「が……はッ…………」
幸い砂の地面は柔らかく、勢いよく激突した割にはさしたる衝撃は受けなかったが。
「ウソ……フィーザ!?」
「マルフィサちゃん!」
地面に横たわるわたしを見て、アンジェリカとアグラマンも絶句する。
わたしはふらつきながらもどうにか起き上がったが、斬られた馬の方は出血多量で力なく横たわっている。無念だがあの様子では、助からないだろう。
「ふ、フフフハハ……随分と冷や汗をかかせてくれたなァ、女傑殿」
さしものハーリドも息を切らせてはいたが、勝利を確信し凄絶な笑みを浮かべた。
「そなたの強さ――かつて、異教徒どもからダマスクスを解放した時の戦を思い出す」
無敵の将軍の口から、意外な昔話が飛び出してきた。
喰屍獣の王が化けている偽者ではあるが……奴の言い分では、中東に住む民の間での伝承や、憧憬の感情を結集して変身しているとの事。無意識の内に、ハーリド将軍としての自我が生まれているのかもしれない。わたしは傷の痛みもそこそこに、思わず気になって尋ねてみた。
「……150年前にも、将軍と共に轡を並べた女性がいたのか?」
「直接戦闘に参加した訳ではない。後方で我々を支えていた者たちだ――だが侮るなかれ。彼女たちは皆気高く、スクル教を信奉する女性としての矜持があったのだ。
あの頃我に付き従っていた軍はまだまだ未熟でな。戦いの中敵に押され、列を崩し逃げ帰る男たちもいた。こればかりは、いかに我が叱咤しようとも押し留められん」
今日のアルバス帝国では最強と謳われしハーリド将軍にも――そのような危機に瀕していた事があるのか。
「……おいおい、不思議そうな顔をするんじゃない。戦とはそういうものだ。常に不測の事態が発生するし、予期せぬ事故でたちまち絶体絶命になる事も珍しくもないのだぞ?
我はたまたま、負ける事がなかった――という事にはなっているがな。我ひとりではどうにもならない事態も多かった。
敗北と死の恐怖に怯え、逃げ帰った男たちだが……彼らは再び戦場に戻ってきた。彼らを奮い立たせたのは誰だと思う? 彼らの留守を預かる、妻や娘たちだったのだよ!
まったく男どもというのは、それ単体では強くはない。臆病だし、危機に陥れば逃げ出したがる……だがそんな奴らでも、守るべき家族や妻の前では、見栄を張りたがるもののようだ」
昔を懐かしむように、くっくと笑うハーリド。
わざわざこんな話をしてくれるあたり、向こうもわたしと同じく一騎打ちで疲弊していたらしい。こうした時間稼ぎは、わたしも休息できるし、ありがたいものだが……問題は別にある。
「マルフィサといったな。女の身でありながら、恐るべき攻めの剣技よ。
そなたの馬がスタミナ切れを起こしていなければ……討ち取られていたのは我の方であったわ!」
ハーリドは半月刀の切っ先を向け、高らかにこう宣言した。
「だがこのままそなたを討ち取ったのでは、高潔なる神への冒涜となり、我が名誉も貶められるであろう。
マルフィサよ。まだ我と戦う力と意志が備わっているのなら……そなたの友軍から、代わりの馬を募るがよい。そして対等の条件で、再び相まみえようではないか!」
将軍の申し出に、敵の騎士たちからどっと歓声が沸く。
「ハーリド」だからこそ、圧倒的不利となったわたしの首を取る、という選択肢はないのだろう。それ自体は、ありがたい話なのだが。
何人かの中東騎士が、わたしのために馬を融通しようと近寄ってきたが……どうしたものか。いずれも雄々しい牝馬だったが、無敵の将軍相手に挑む戦いの供とするには、残念ながら荷が勝ちすぎる。
(まずいな……代わりの馬といっても、今のわたしの攻勢を支えきるだけの体格を持つ馬など、やはり自軍にはいない。
せめてアルファナがいれば、もっとまともに戦えたものを……!)
愛馬アルファナ。帝都マディーンを脱出する際、その巨大さは目立ちすぎるという理由で、泣く泣く従者のハンスに預けざるを得なかった長年の相棒だ。
……むしろ今まで乗っていた馬も、よくわたしの動きについてきてくれた。感謝こそすれ、非難する事などできない。
「待たれよッ!」
しかし意外な声は、敵側の陣列の中から上がった。
最初は幻か何かと思った。幽精への「三つの願い」じゃあるまいし、そうそう都合よくわたしの望むものが眼前に出てくるハズがない……のだが。
わたしが見たのは、久しく離れていた……懐かしくも頼もしい黒き巨躯。見覚えのあるたてがみ。それはまさしく――
「!…………アル……ファナ!?」
私の前に現れたのは、長旅の最中でも片時も忘れる事のなかった愛馬アルファナ。そして「彼女」にまたがった、かつてのわたしの従者ハンスだった。




