6 怪力女傑、最強の将軍と相対す・後編
「……グレグ!?」
「姐さん。戦っているフリを」
喰屍獣のグレグ。帝都マディーンにいるものとばかり思っていた。喰屍獣は人間への変身能力を有しており、別人になりすますのは彼らにとってさほど難しい事ではない。しかしまさか、この戦いに敵側として従軍しているとは思わなかった。
グレグが新たに手にした予備の槌矛との打ち合いを繰り広げつつ、間合いが近くなった時を見計らって言葉を交わす。
「あっしがここに来た理由ですが――姐御に会うためでさぁ。どうしてもお伝えしたい事があったんで」
「伝えたい事? それはまさか……あのハーリド将軍の事か?」
再び打ち合い、距離を詰めると……グレグはニヤリと笑って答えた。
「さすが姐御。察しのいい事で――あのハーリド将軍も、実は喰屍獣なんでさぁ。同じ喰屍獣のあっしが言うからには間違いねえ」
「!」
「しかもただの喰屍獣じゃない。何年も行方知れずになっていた喰屍獣の王。それが、将軍の正体です」
喰屍獣にも、一族を束ねる王がいるというのか。しかしそれが何故、今頃になって姿を現し、しかも白仮面に従って軍を率いているのか?
「あっしの口から話せるのは、それだけでさぁ。どうか――ご武運を。姐御!」
グレグはそれだけ言うと、わたしに気圧された風を装って、敵軍の陣地に消えていった。
不意に、味方の陣営から歓声が上がる。わたしがアグラマンの方を見やると、今度はアグラマンの方が、ハーリド将軍相手に反撃に転じていた。
本来の自分の間合いを取り戻した、というべきか。二槍流のリーチの長さを活かし、半月刀では届かない距離から素早い突きを連続で繰り出している。先刻までの劣勢が嘘のように、今度はハーリドの側が防戦に回っていた。
「そこだッ! アグラマン様!」
「やっちまえェ!」
これまでの鬱憤を晴らすかのように、味方の将兵たちから声援が飛ぶ。
今や攻守が完全に逆転していた。こうなると当代随一の中東騎士たる、アグラマンの実力が光る。いかな相手が伝説の将軍といえど、所詮は喰屍獣が化けた紛い物に過ぎなかったのだ、と思えてきた。
数合の打ち合いの末――アグラマン必殺の二連撃が放たれる。ハーリド将軍の左腕の半月刀が弾かれ、空中を舞った。
更なる歓声が上がる。得物が1つになれば、もはや歴戦の騎士の攻勢は止められまい。その場の誰もが、アグラマンの勝利を信じて疑わなかった。
が――更なる追撃は行われなかった。アグラマンの槍の動きは止まっていた。
いつの間に投げられたのか。彼の右肘に刃渡り30センチほどの飛刀が生えており、深く傷つけていた。
「なッ…………!?」
「アグラマン――といったか? 見事な一撃だ。そなたほどの槍さばき、我が生きていた時代にも見た事はなかったぞ。
だが――咄嗟の判断力は、我の方が少し上だったようだ」
それを聞いて、わたしはようやく理解した。ハーリドの半月刀は弾かれたのではない。彼が自ら放り出し、アグラマンの油断を誘ったのだ。武器を弾かれたフリをして、懐に隠し持っていた飛刀を投げつけた。恐るべき早業であり、投擲の瞬間を見極めた者は、誰一人としていなかっただろう。
ハーリドは新たに槌矛を左に持ち、アグラマンとの距離を詰める。
わたしはたまらず駆け出していた。今ここで彼を失う訳にはいかない。
「アグラマンッ!」
「! マルフィサちゃん……」
わたしの馬が接近している事をいち早く察知し、ハーリドは馬首を変えた。利き腕の肘をやられたアグラマンよりも、わたしの方が脅威と感じ取ったのか。
瞬く間に互いの距離が縮み、わたしとハーリドの槌矛が交錯した。
「うぐッ…………!」
意外な事に――最強の将軍といえども、純粋な腕力はわたしよりも劣っていた。
にも関わらず、互いに同じタイミングで振るった槌矛は、わたしの持つ方だけが一方的に砕かれてしまった。
(…………強い)
歴戦の中東騎士たるアグラマンと、あれだけの激闘を繰り広げ、休む間もなくわたしを相手取り……彼もかなり疲弊しているはず。それでもなお、この実力差か。口惜しいが認めざるを得ない。純粋な戦士としての腕前は、わたしはこの場にいる二人よりも劣っている。
勢いで飛び出してしまった事を、わたしは少しばかり後悔し始めていた。
***
『ハーリド!』『ハーリド!』『ハーリド!!』
敵軍の歓声と興奮は、頂点に達していた。
無理もない。ダマスクス側最高の戦力にして司令官でもあるアグラマンが一騎打ちで敗れ、その助太刀に入ったわたしも得物を粉砕されてしまったのだから。
「……なるほど、確かに強いな。たとえお前が偽者だと分かっていても――ハーリド将軍の名を騙るに十分な実力を持っている。流石だな、喰屍獣の王よ」
「ほう? 我がハーリドではない事だけでなく、その正体も知っていたか、女。驚いたぞ。どうやって見抜いた? それとも誰かから聞いたのか?
いかに我が『すでにこの世にいない』存在と知っていようとも、我をハーリド・アル=ワーリドだと信じ込ませる自信はあったのだがな」
ハーリド将軍はニヤリと笑みを浮かべ、興味深そうにわたしの顔をまじまじと眺めた。
わたしが得物を失って丸腰になっているにも関わらず、さらに打ち込んで来ない。彼自身「ハーリド」のイメージを崩さないため、敢えて紳士的に振舞っているとも取れるが……恐らくは、身体を休める為の方便だろう。あのアグラマンですら、肩で息をするほど消耗しているのだ。いかな正体が喰屍獣の王だろうが、体力が無限に続くはずもない。
「当然だ。お前がたとえ、伝説のハーリド将軍の武勇とカリスマ性を真似たところで、お前が本物のハーリドでない事など、すぐに分かる。
3万の兵すら持て余し、己の武名に酔わせて従わせる事しかできていない。総大将たる自分が最前線に出て戦わねばならない時点で――まっとうな軍隊として破綻しているのだから」
「くははッ。耳が痛いな……だがね、勇敢なる女傑よ。それでも構わないのだよ。何故なら、我こそが皆が望むハーリドだからだ。
とは言っても、150年前を生きた実在の将軍ではない――この意味が分かるかね?」
意味ありげな笑みを浮かべるハーリド将軍――いや、喰屍獣の王。
「喰屍獣の王たる我は、ただ変身しているのではない。皆の抱く潜在意識を、ほんの少しだが覗き込む事ができる――その意識から、外見のみならず能力も得る事ができるのだ。いつぞや我が、ハール皇子に化けていた時のようにな」
「!」
かつて帝都マディーンで起きた事件で、皇子のニセモノが現れ――結果として、ハールは濡れ衣を着せられ、帝都を追われる羽目になった。
わたし達に辛酸を舐めさせた張本人が、今こうして目の前に立ちはだかっているのか。
「特に大勢から慕われている者、憧れられている者の場合は都合が良い……この地に住む全ての人間の中に、『ハーリド』がいる。
皆の想いが、我を最強の将軍たらしめているのだ! そう、味方だけでなく、敵からも……そなたからもだ。マルフィサ。
そなたは女性ではあるが……戦士の端くれとして、最強の将軍である我と戦ってみたい。そう考えているな?」
「…………」
どうやら他人の思い描く「イメージ」とやらを糧にして変身するという、奴の言葉は事実であるらしい。
確かに今のわたしは――この戦いに勝つ事以上に、中東最強と謳われた伝説の将軍ハーリド・アル=ワーリドと、戦う機会が得られたという現実に、高揚している。己の持つ力がどこまで通用するのか、試してみたい――そんな衝動に駆られてしまっている。
「来るがいい、マルフィサ。類まれなる怪力女傑よ。そなたの実力はこんなものではあるまい?
このハーリド・アル=ワーリドに、己の持てる力すべてをぶつけてみせるがいい!」
「望むところだッ!」
アグラマンが敗退した今、わたしまで敗れれば――この戦争の流れは完全に変わってしまう。
そんな絶体絶命の危機であるにも関わらず、わたしは半月刀を抜き、胸を躍らせて馬を走らせた。




