4 怪力女傑、皇子の軍と共に戦場へ赴く
戦いは終わったが、中東騎士たちは未だに動揺していた。
無理もない話だ。大翼鳥に空飛ぶ絨毯。いずれもおとぎ話の中でしか耳にした事のない、伝説上の生物や魔法の道具なのだから。わたしやハール皇子などは、魔法少女アンジェリカと長旅を共にし、帝都マディーンにいた頃からずっと、この手の怪異に遭遇しっぱなしであって、すっかり慣れてしまったが――普通の人間は、そんな奇怪な体験には縁がないのが当たり前だ。
わたしやアンジェリカ、ハール皇子が地上に降りてくる。巨大な大翼鳥も地上に近づくにつれその姿を変え、やがて降り立つ頃には一陣の風となって消えた。
アグラマンがその場にひざまずき、ハールに向かって臣下の礼を取る。それを見て中東騎士らも倣った。
「敵の超常なる攻撃に対し、皇子おん自ら神の加護と共に救援してくださった事、感謝に耐えませんわ」
「……うむ。見たであろう、敵が遣わした忌まわしき悪魔の所業を。されど我らは、奴らのまやかしの力など恐れはしない!
こたびの戦の大義と正義。いずれもが我らにある――この勝利こそ、何よりの証である! 『神の恩寵あれ』!!」
「『神の恩寵あれ』!!」
アストー・ウィーザートゥなる悪魔の力を見た後だっただけに、ハールの言葉は、こちらの魔術に対して疑うどころか、かえって皆の士気を高めた。
実際、大翼鳥はハールの従える風の魔神の真の姿である。
「すまなかったわね、皇子」アンジェリカが小声でハールに言った。
「急いでいたからって、三つしかない『願い』の二つ目を使わせちゃって」
魔神との契約により、彼の風の力を最大限に引き出すためには、「三つの願い」を1つ、消費しなくてはならない。
すでにエチオピアへの旅の時に、大翼鳥への変身は一回使っている。今回の迅速な救援のために二回目を使う事になり、あと一度使えば――風の魔神は契約から解放され、元いた幽界へと帰還してしまう――とは、アンジェリカ談。
「気にするなって。使うって決断をしたのは僕だ。使うべき時には惜しまず使う。何事も思い切りが肝心さ。
お陰でアンジーの願いは聞き届けられ、僕はアグラマンという頼れる将軍を失わずに済んだ。お互いにいい事ずくめさ」
爽やかに微笑んで、気兼ねしているアンジェリカを励ますハール。魔法少女は少し言葉に詰まりながらも「そ、それなら何の問題もないわね!」と答えた。
「……とはいえ、この集落の人々は壊滅しちゃったわね」アグラマンが言った。
「ここまで人口が減っちゃったら、拠点としても利用できないし、今後の生活も立ち行かないわねェ。
後方の補給部隊のところに世話になってもらえるかしら? アタシから書状を出しておくから。
ま、今アタシ達もいっぱいいっぱいの兵力と兵糧で動いてるし、あんまり期待されても困っちゃうけどね」
アグラマンはあんな事を言っているが、ほぼ全滅に近い損害を受けた村の難民は、不幸中の幸い、と言っていいのか分からないが……ほとんど生き残っていない。数えるほどの民間人を養うのに、兵站にさほどの負担はかからないだろう。
***
「なるほど。魔物の部隊のみを先行させ、こちらの補給線潰しや攪乱を狙っていた訳か」
アグラマンや、斥候たちの情報を総合し――わたしはそう結論づけた。
白仮面の操る怪物との戦いはおろか、遭遇したという経験を持つ者すら少ないだろう。それこそ、わたしのような特殊な場数を踏んだ戦士や、アンジェリカのような魔術のエキスパートでもない限り。わたし達が大急ぎで戦場に到着していなかったら、本当に危うかっただろう。
「しかしわざわざ、本隊から切り離して別動隊として動かしていた訳だ」とハール。
「こちらに魔物との戦闘経験がある人間が少ないのと同じで、白仮面側の軍も魔物と一緒に行軍できるような人材は少ないって事だね。
あんなおぞましい獣に化けて襲撃する部隊など、いくら味方と言われてもねえ。僕だったらいつ寝首を掻かれるか、気が気じゃないよ」
おそらく彼の言う通りだろう。卓抜した実力と機動力を持つ魔物の部隊は確かに強力だが、それだけに使いどころが難しい。
これ以上の被害が出る前に、敵の出鼻を挫く事ができたのは、まさに幸運だった。わたしはスクル教徒ではないが、神の恩寵があったと言われれば信じてもよさそうだ。
「んじゃさァ、今後は化け物だらけの部隊と遭遇したり、手も触れずにこっちを皆殺しにするような規格外の輩と戦わなくても済むワケ?」
アグラマンがややホッとしたような顔をして尋ねると、アンジェリカが胸を張って答えた。
「あれだけの数を揃えて動かすのだって大変だし、あたしのような優秀な魔術師に場所を勘づかれやすくなるわ。
だからまーかせて! 次あんな連中が押し寄せてきたとしても、あたしがすぐに見つけ出して一網打尽にしてやるから!」
随分と自信満々な魔法少女。そう言えば彼女は、密かにアグラマンの事を慕っているようなフシがあった。彼の手前、気が大きくなっているのかもしれないが……「赤いネペンテス」で高い魔力を得て操る事も可能になった今、彼女の言葉は決して大言壮語ではない。
「あらあら、それは素敵。頼りになるお嬢さんね! 今後の進軍や布陣で、埒外な事にあたまを悩ませなくて済むわァ!」
「……えへへっ」
好きな人に褒められて、素直に嬉しそうな顔をするアンジェリカ。なかなか貴重な瞬間である。
***
敵の本隊と遭遇するまで、あと数日まで迫った。
こちらの布陣は意外なほどに順調で、魔物による妨害工作が行われる事もなかった。もっとも、その兆候があればアンジェリカが瞬時に見つけ出すだろうが。
時間を稼げばこちらが有利になる。何故なら、ダマスクスから他の諸侯へ応援要請に向かったジャハルが、援軍を引き連れて合流する手筈になっているからだ。
むろん、他所からの増援を当てにしている訳ではない。現状でも兵力差は拮抗しており、兵の質で言えば、戦士の都ダマスクスを擁する我らの方が上だ。次なる決戦でわたし達の強さと勝利を諸侯に見せつければ、名実ともに次のアルバス帝国を担うのはハール皇子であることを、知らしめる事ができる。そうなれば、様子見で兵を派遣した諸侯もこぞって、こちら側になびくだろう。
三日後。西側から砂塵とともに、ジャハルが兵を伴って参陣した。
「我が皇子。ご無事で何より」
「ジャハルも。困難きわまる任務をよくぞやり遂げてくれた!」
ジャハルが引き連れた諸侯の連合軍、歩兵4千に騎兵千。そして後方支援を担当する、中東商人を中心とした大規模な輜重隊。急な要請だったにしては多く集まった方だ。アグラマンの率いる軍と合わせて1万5千は優に越えるだろう。
つくづくハールは、優秀な親友を持った幸運に感謝すべきだ。戦の決め手は兵站と補給。いかな戦場で華々しく活躍する豪傑でも、腹が減っては半分の力も発揮できない。ジャハルのような縁の下の力持ちこそが、戦争全体の勝敗のカギを握っているといっても過言ではないのである。
「諸君。こたびの参戦にこのハールーン・アル・ラシド、大いに感謝している!
その証として、我らが戦に勝ち帝都マディーンに到達したあかつきには、今年の皆の俸給を倍に! さらに150銀貨(註:銀貨1枚は一般的な労働者の1日分の賃金に相当。つまりボーナス五ヶ月ぶん)の特別報酬を、神の名に誓って約束しよう!」
『おおおおッ!!』
恐らくはジャハルの入れ知恵なのだろう。皆の士気を高める為とはいえ、随分と奮発したものだ。
今回は中東騎士や帝国の正規兵だけでなく、一般人を徴用した志願兵も大勢いる。即物的な見返りが、他ならぬハール皇子の口から約束されれば、信用が違う。
そして畳み掛けるように、ジャハルの連れた輜重隊から食糧が気前よく振る舞われる。その日の夜は否応なしに盛り上がり、自らの信ずる神に勝利を誓う様子を見る事ができた。
***
ところが……好転したとみられた戦況を、ひっくり返すような報告が即日、もたらされた。
「なんだと!? マディーン側の兵力が……3万だと!? 信じられん。我らの倍だというのか!」
「どういう事だ。奴らが帝都を出発した時、その数は1万にも満たなかったという報告だったではないか!」
いつの間にか、敵側の兵力が約3倍にまで膨れ上がっていたのだ。報告を受けた副官や将校たちがやおら色めき立つ。
確かに奇妙な話だ。行軍途中の都市や農村で徴兵したのかもしれないが、あまりに数が増えすぎている。
「……これも白仮面の魔術によるものか?」わたしはこっそり、アンジェリカに尋ねてみた。
「……分からないわ」魔法少女の顔はやや青ざめていた。「人を魅了する魔術や香水は確かにある。でもそれは、その場の雰囲気を和らげたり、ちょっと親しくなる程度のものよ。こんな大規模に、何千人も何万人も虜にして従軍させるなんて……魔法の力だけじゃ説明しきれない……!」
敵側に実際何が起こったのか? これは直に見て確かめるしかないようだ。




