3 怪力女傑vs事故死の悪魔
※マルフィサ視点となります。
「なッ……何だアレは!? デカい、デカすぎるッ……!」
「……初めて見るが、もしやアレは伝説の巨鳥ロックでは……!」
「おい見ろ! あそこ……信じられない話だが、人が乗っている……!?」
中東騎士たちから驚嘆の声が上がる。まったく無理のない事だが、仕方がなかった。
わたし達は港湾都市アレクサンデラを「空飛ぶ絨毯」で出発し、地中海を抜け――再びダマスクスまで戻ってきた。
しかしながら、ダマスクスの警備隊長をしていたアグラマンはすでに軍勢を引き連れ出陣し、数日経ってしまっていた。
細かい事情については、バルマク家の若き外交官にして、ハール皇子の親友でもあるジャハルから聞き出し、わたし達も準備を整えてアグラマンの救援に向かう事にした。
ところが、である。突如アンジェリカが騒ぎ出したのだ。
「何か、とてつもなく邪悪で凶悪な気配が近づいてる……このままじゃ、アグラマン様が危ないわ!」
アンジェリカは強い魔力を持つ魔法少女だ。彼女の直感はよく当たる。
それに敵の親玉は、帝都マディーンの支配者たる聖帝になりすましているという邪悪な魔術師・白仮面である。今まで奴の放った怪物や魔術を幾度となく目の当たりにしてきた。今回帝都から派遣されてきた軍勢の中に、白仮面の操る魔物が混じっていても何ら不思議ではない。
そこで苦渋の決断であったが、わたし達はハール皇子の従える「風の魔神」に、再び大翼鳥の姿を取ってもらう事にした。
数日の遅れを一瞬で取り戻すという理由もあったが、アンジェリカが「時の幽精」の力を借り、襲撃してきた敵の正体を看破したためでもある。
「事故死の悪魔アストー・ウィーザートゥですって……!?」
「……そんなにやばい相手なのか? そのアストー何とか言うのは」
「やばいなんてもんじゃないわ! 伝承通りなら生きとし生ける者、すべての死を司る圧倒的存在。
そんな恐ろしい奴と真正面からぶつかったら、命がいくつあっても足りやしないわよ!」
そんな訳でアンジェリカが提案したのが、今わたし達が行っている作戦。
奴の目の届かない遥か上空から、大翼鳥の羽ばたきによって敵を吹き飛ばそうというものだった。
アグラマンたち中東騎士は流石に歴戦の手練れ。危険を察知し暴風をやり過ごせる遮蔽物を確保したり、馬を飛ばして暴風域から逃れる事ができたが。
悪魔と思しき黒い人影はそうはいかなかった。周囲の地形が開けていたのが災いし、踏ん張る事もできずに空中に舞い上がってしまう。
「うおおおおああああッ!? 馬鹿な、大翼鳥だと……!?
神にも等しき力を持つ巨鳥がなぜここに! 情報ではマルフィサとやらは未だアレクサンデラに向かい、一ヶ月は戻って来れぬハズ!」
どうやら敵側も、わたし達がこれほど早く帰還できた事は予想外だったらしい。
そして――強風に煽られ、浮かび上がった黒マントの人物の「魂の炎」に異変が生じている事に、わたしは気づいた。
わたしはマルフィサ。帝都マディーンで苦戦の末に打ち負かした炎の魔神の力を体内に宿している。
魔神の持つ炎の力は、ただ攻撃や破壊のみに用いられる訳ではない。生き物の心――「魂の炎」の色や形を知る事で、その人物が何を考えているのか、どのような精神状態にあるのかを、大まかに知る事もできるのだ。
ゆえに今回も、奴の魂を見る事ができた。どうやら奴は、悪魔そのものという訳ではないらしい。その証拠に、魂の形が分離しつつある――淡い緋色のものと、ドス黒く濁った灰色のものと。つまりアストー・ウィーザートゥとやらは、人間の肉体を乗っ取り、この戦場に赴いていたのが真相だったようだ。
それが今、大翼鳥の大風の凄まじい威力によって、憑依じたいが解けつつある。
いや正確には、もはや役に立たない人間の肉体を捨て、別の肉体を乗っ取ろうと画策しているようだ。奴の目線は地上のアグラマンの方を向いている。
「アンジェ。あの悪魔は別の人間の肉体に憑りつくという芸当も可能なのか?」
「え? ええ……アストー・ウィーザートゥほどの力を持つ悪魔なら、大して難しい事じゃないと思う」
「なるほど、そうか……死を司るという割には、往生際の悪い奴だな」
悪魔のドス黒い魂が、肉体から完全に分離するのが見えた。
なるほど魂だけの状態なら、大翼鳥の風の影響は受けない。奴は一直線に、アグラマンの肉体目がけて下降している。やはり目的は、彼の肉体に憑依する事のようだ。
もはや一刻の猶予もない。少々無茶だが――これをやるしかないな。
「アンジェ、少し行ってくる。ハール皇子、少しの間、大翼鳥の羽ばたきを緩めてくれ」
「え? ちょ、ちょっとフィーザ――!?」
わたしの言葉の意味を理解し、動揺するアンジェリカだったが。
次の瞬間、わたしは大翼鳥の背中から勢いよく飛び降りていた。
ハール皇子も察してくれたのだろう。言葉は一切発さなかったが(彼は高所恐怖症なのだ)、わたしの意図を汲み取ってくれ、大翼鳥の起こす風を止めてくれた。
飛び降りたわたしの落下速度が増す。空を見上げる人々には、死の悪魔の魂など見えはしない。わたしが無謀な自殺行為をしたようにしか映らなかったろう。
だが今のわたしには、はっきりと見える。黒い悪魔の魂の色が間近に迫り――わたしは右拳を振りかぶった。炎の魔神の凄まじい熱気が、握り締めた鉄拳を文字通り赤く染める。
「!?」
「くらえッ!!」
アストー・ウィーザートゥが気づいた時にはもう遅かった。よもや魂だけとなった自分の姿が、人間ごときに捕捉されるなど思いもよらなかったのかもしれない。
危機を察し、上空から迫りくるわたしの拳を見上げた刹那――奴の頭部は、脆い飴細工のようにあっけなく打ち砕かれた!
死の悪魔の魂が霧散する。目的は達したが、このままではわたしは地面に激突だ。
――と、そこに現れたのは、わたし以上のスピードで舞い降りて来た、上等なパルサ絨毯。アンジェリカの「空飛ぶ絨毯」だった。かなりの衝撃だったハズだが、柔らかな織物の感触は素晴らしいクッションとなって、わたしの身体を包み込んでくれた。
「まったく……あたし達がついてるからって、毎回ムチャクチャしすぎなのよフィーザは!」アンジェリカが怒ったように叫んだ。
「『赤いネペンテス』の力で、あたしの魔力が洗練されていなかったら……今頃ホントに砂漠のど真ん中に激突してあの世逝きだったわよ!」
その可能性も考えなかった訳ではないが――それ以上に、彼女たちが「何とかしてくれる」という思いの方が強かったのもまた、事実だ。
何にせよ、アグラマンたちを襲った事故死の悪魔アストー・ウィーザートゥの脅威は、今ここで取り除かれたのだった。




