1 騎士隊長、酔魔(アエーシュマ)と戦う
※ アグラマン視点です。
「伝令! 帝都マディーンから、聖帝の名の下に軍勢が出立しました!
密偵の報告によれば、出発時の兵力はおよそ1万!」
アタシはアグラマン。中東騎士にして、今はバルマク家の長ヤフヤー様の命令で、ダマスクスの防衛隊長の任に就いている。
そんなアタシの下に、伝令兵は血相を変えてやってきた。ついに来るべき時が来た、という感じね。
「ふゥん。聖地巡礼とかじゃあなくて……間違いないのね? ここダマスクスに向かっている、と」
帝都マディーンとダマスクスの距離は、馬を使っても約1ヶ月ほど。密偵が駅伝を使ってここまで報告を届けるのに、早くても5日ほどと仮定すると……遅くとも三週間後には、討伐軍はダマスクスに侵攻してくるだろう。
「はッ。左様です……何しろ現聖帝ムーサー様じきじきのご命令にて、ダマスクスに巣食う反乱分子、バルマクの一族を討つ、との事でして……!」
そりゃまた随分、正々堂々と名乗りを上げたものね。アタシは少しだけ感心した。あの男であれば、何らかの見せかけや小細工を仕掛け、こちらの油断を誘おうとすると思ったからだ。
(いや……それはあくまで、あの男が本当にムーサーだった時の話……よね)
アタシは頭の中の考えを一瞬で打ち消した。
直に会った時に、疑念を抱いたのは他ならぬ自分だ。あの男は、アタシの知っているムーサーじゃなかった。
(にわかには信じがたいけれど、もしあのアブドゥルとかいう老人の言っていた事が正しいのなら……
あの時アタシが面会したムーサー様は、二年前に死んだはずの反乱軍の首謀者――白仮面……)
二年前、白仮面率いる東陽人反乱軍の鎮圧に、アタシはハール皇子と共に参加した。
結果的に反乱の鎮圧には成功し、白仮面は燃え盛る居城と共に焼け死んだ……ハズなのだが。
アタシは直接出くわさなかったけれど、討伐のため攻め入った各地の兵から、奇妙な噂を次々と聞いた。
曰く、昼間なのに不吉な霧が立ち込め、夜のように暗くなった。
曰く、巨大な黒い獣の群れが突如現れ、一斉に襲いかかってきた。
曰く、何もない場所に突風が巻き起こり、何人もの兵が崖から足を踏み外して事故死した――等々。
中には偶然もあるだろう。しかしその一言で片づけるには、余りにも奇妙な……不可解な出来事が連続して起こった。それは事実だ。
(白仮面が怪しげな魔術を用い、人々の信奉を集め、まるで新たな預言者であるかのように振舞った――その話はよく聞くけれど。
まさか本当に、人に害を為す魔術を扱えるだなんて、普通は思わないじゃない? 馬鹿げた与太話と笑い飛ばすべき……なのよねェ、本来なら)
遥か東方にあるという絹の国では、偉大な思想家をして弟子たちが「怪力乱神を語らず」と評したという。
要するに、自分の知り得ぬ根拠なきもの、不確かなものをみだりに語ったりはしない。してはならない……そんな教訓を込めた言葉なのだろう。
しかし残念ながら、アタシはこれまで何度も見てしまった。遭遇してしまった。
夜な夜な闇に紛れて人を襲い貪り喰らう、忌まわしき獣を。
巨大な尖塔を業火に包み、意思を持って人を苦しめる超常の存在を。
彼らはもはや、コソコソ隠れるつもりはないらしい。堂々とアタシの目の前に現れ、襲ってくる。幸いにして、アタシが出くわした連中は、剣や槍が通じる手合いだったけれど……マルフィサちゃんが言うには、魔術の心得がなければまったく太刀打ちできない、厄介な者もいるらしい。俗に言う、幽精や魔神といった不可視の存在だ。
戦は、苦手だ。
人間同士の戦いですら、不測の事態が起こる。計画通りに事が運んだ試しは無い。
いつだって、不確かな状況で決断を迫られる。いつだって、最善の体勢を整える前に、戦いは始まる。そして、望まぬ犠牲が出る。
(要は動揺を、いかに顔に出さないか。皆に気取られないか。
面の皮が厚くなきゃ、やってられないのよねェ、指揮官なんてさァ)
麾下の中東騎士だけで事が済めば、どれだけ有難いか。いっそ全ての争いごとは、打毬で決着をつけてしまえばいいのに。
そんな風に考えなかった日は一日だってない。まったく夢物語としか言いようがないが。
***
ダマスクスの街はアタシを将軍に任じ、1万の兵を与えて敵軍の迎撃を命じた。
「アグラマン将軍! 申し上げます。
ここより北、10キロ先の集落近くで『敵』と遭遇しましたッ。その数、50!
周囲の村を次々と襲っているとの事です」
斥候がもたらした報告に、兵の一部がざわめく。
「……本当に『敵』なのか?」中東騎士のひとりが言った。
「帝都マディーンから軍出立の報があって、わずか二週間だぞ? いくら何でも速すぎる。
馬だろうがラクダだろうが、荷の軽い早馬でもなければ到底間に合わぬハズだ」
いろいろな意味で腑に落ちない。
足の速い騎兵だけ先行させたのか? 無意味な行軍だ。騎兵は確かに素早く強いが、騎兵だけではまともな軍事行動は取れない。護衛のために随伴する歩兵や槍兵、弓兵などと連携してはじめて、騎兵は騎兵たりうる。それぞれの弱点を補い合い、十全の力を発揮できる――軍を預かる者ならば、知らぬはずがない常識だ。付き従う将兵たちが、報告に耳を疑うのも無理はない。
しかし厄介な事に、報告を持ってきたのがよりにもよって、ジャハルちゃんの密偵なのよね。彼はハール皇子の親友で、バルマク家の若者。女好きな面ばかりが有名だけれど、その実交渉能力に長け、あちこちの人間とコネがあり情報収集力もある。下手をすれば敵に包囲されかねない立地にあるダマスクスが、帝都からの討伐軍のみに専念できるのも、彼のこれまでの外交成果によるものだ。そして彼の密偵は、ともすれば正規軍の斥候などより遥かに正確な情報を届けてくれる。そのお陰で命拾いした事も何度かあった。
「何を慌てふためいておる? 数はたったの50。群盗の類も同然ではないか」
別の中東騎士は憤慨していた。
「奴らが敵であろうとなかろうと、民への許しがたき狼藉は看過できぬ。行って成敗すべきでしょう! アグラマン将軍?」
「それもそうね……現場に向かいましょう。案内してくれる?」
「かしこまりました」
どうしようもなく嫌な予感がする。密偵が「敵兵」ではなく、「敵」とだけ表現したのもどうも引っかかる。
一体何が起こったのか。この目で確かめなければならないわね。
***
アタシは中東騎士を数十騎引き連れ、密偵からの報告があった現場に急行した。
この手の不可解な事態は、自分の目で確かめるのが一番手っ取り早い。
「……さっきの伝令。ただ『敵』と遭遇した――と言ってたわよね」
「そういえば、そうですな。数だけは伝えてきましたが、兵種も何も言わなかった」
「戦場の敵兵の報告は、もっと正確にやってもらわなければ困りますな」
単なる報告漏れか? 恐らく違う。曲がりなりにもジャハルちゃんの抱える密偵。そんな初歩的なミスを犯すハズがない。
報告できなかったのだ。現れた敵は恐らく人間ではない。
あの場にいたのはアタシ直属の中東騎士だけではない。一般人の志願兵や、ダマスクスの税収から俸給を貰っている正規兵たちもいる。正直に「化け物が出た」などと言えば、彼らは恐慌に陥るかもしれない――だとすれば、「奴ら」の異様に速い行軍や単独行動にも合点がいく。
果たして、アタシ達がたどり着いた集落――だった場所――では、アタシの嫌な予感が的中した。
まだ昼間だというのに、もうもうと立ち上る黒煙のせいで、ここだけ夜が訪れたかのように錯覚する。
あちこちで火の手が上がり、家屋が破壊され、惨殺された村人の屍が無造作に点在していた。
そして、その元凶となった存在は、未だに周囲を愉しげに蹂躙し続けている。おぞましき黒く巨大な異形の獣――帝都マディーンでマルフィサちゃんと一緒に見た怪物。名前は確か、酔魔といったか。
「アグラマン将軍、これはッ……!」
「ちょっと前に話したでしょ。もしかして『おとぎ話』の類とでも思った?」
アタシの真剣な口調に、当初はビビっていた部下たちも表情を引き締め、馬上にて得物を構え直す。切り替えの速さは流石に中東騎士といった所かしら。色んな武器を操るためには、いかなる状況にも対応しなければならない。だからこそ不測の事態にも、超常の怪物を目の前にしても――恐慌に陥る事なく、戦闘態勢を整えられる。まさに「少数精鋭」という言葉がピッタリな、頼りになる連中よね。
酔魔どもはアタシたちに気づいた。まだ動いている、活きのいい人間――新たな餌だと判断したのだろう。不気味な唸り声を上げ、むせるような獣臭を漂わせ、即座にこちらに飛びかかってきた。
魔物なだけあり、凄まじい速さ。しかし初めから姿が見えており、軌道が分かればかわすのは容易い。アタシ達は馬を操り、酔魔どもの攻撃をやり過ごすと、手にした槍で以てすれ違いざまに鋭い突きを浴びせた。
ギェエエアァァァアアア――
この世のものとは思えぬ獣の叫び声が上がる。帝都マディーンで戦った時と同じだ。
「奴らに襲われた者も酔魔と化すわ。ヘマすんじゃないわよ?
ただ殺されるだけならまだしも、あんな化け物に生まれ変わって、仲間を噛み殺したりなんかしたくないでしょ?」
「へッ。要は殺られなきゃいいって事でしょう!」
歴戦の中東騎士たちはさらに奮い立ち、己の武勇の高さを誇示すべく果敢に魔物に挑んだ。
恐るべき力と鋭利な牙を持ち、噛みつかれればたちまち首をねじ切られてしまうだろうが――こちらの攻撃も通じる。対処法が判った後の、中東騎士の順応性は素晴らしいものだった。決して油断せず、慢心せず――魔物を殺すための「コツ」を掴み、最適解を繰り返す。酔魔は集落のあちこちに潜んでいたが、アタシ達の統率された動きの前に、見る見る数を減らしていった。
(……思ったほど、厄介な事態にはならなかったわね)
あらかた片付き、アタシがそう安堵した矢先の事だった。
焼け落ちた廃墟の中から、新たな黒い影が姿を現した――のだが、これまでと比べれば何やら様子がおかしい。
酔魔のような俊敏さはカケラもなく、その動作は緩慢で、ふらついた酔っ払いのように頼りない。
「おいアンタ。村の生き残りか? 大丈夫か?」
中東騎士のひとりが、敵だと思わなかったのも無理はないだろう。
ところが……黒いボロ布を纏った人影の顔を覗き込んだ途端、彼はいきなり悲鳴を上げた。
「ひッ……何だ貴様ァ!」
屈強の熟練戦士が、顔を見ただけで、引きつった悲鳴を上げつついきなり斬りかかろうとするなど、尋常ではない。
彼なりにその黒い人影から「危険」を感じ取ったのだろう。結論から言うと、彼の判断は間違ってはいなかった――本来ならば。
次の瞬間。不可解極まりない事態が起こった。
彼が振り下ろそうとした半月刀は、黒い人影にまったく触れる事なく――あろう事か、得物を振るった騎士自身の首筋に深々と突き刺さっていたのである。




