8 魔法少女、女学者といにしえの大図書館へ・後編
『えっ……アンジェリカ、マジか! 答えがもう分かってるって……!?』
時の幽精は驚いた様子で、あたしの周囲を飛び回った。彼のこういう反応はほとんど見た事がなかったので、ちょっと新鮮だ。
「大体よ、大体。ダマスクスやペトラで、アブドゥルおじーちゃんと話してからずっと考えていたんだけど……」
過去のアレクサンデラ大図書館を訪れる。それは定まった未来である事は、時の幽精があらかじめ教えてくれていたが。
そうなる事の真の理由については、ずっと謎のままだった。それでもあたしはとうとう、ある事に思い至った。
「アブドゥルおじーちゃんは、アル・アジズについては具体的な事はほとんど教えてくれなかった。
歴史に残るほどの魔導書を書いたとは言っていたのに、現物は見せてもくれなかったのよね」
あたしとて、その事を疑問に思わなかった訳ではない。彼と二人で話をした時に、思い切ってストレートにお願いしてみた。「アル・アジズを見せて欲しい」と。
でもアブドゥルお爺ちゃんは、次のように答えた。
「わしの魔術の粋は、たかだか本一冊で書ききれるものではない。
それに術の扱い方を指南したところで、本当にそれをどう扱うかは……その人次第じゃ」
そんな事を言われて、あたしははぐらかされたような気分になってしまったが……今なら、彼の言葉の意味が分かる。
この超巨大な図書館の、どこかにあるのだ。
希代の魔術師アブドゥル・アルハザードが著したという伝説の魔導書「アル・アジズ」の原型となった書物が。
そしてその本には、アブドゥルがかつて魔術を教えた白仮面の操る、数々の邪悪な秘術に関する秘密が、書き記されている。
「……つまりアンジェちゃんがこの図書館を目指した理由は、魔導書の原本を探すためだったと」ヒュパティアが言った。
「そういう事でしたら、多少なりとも協力はできます。あちこち見て回りましたが、ストレートに魔術について記された書物は見当たりませんでした。しかし――おおかたの見当はつきます」
「えっ?」
ヒュパティアさんは懐から小さな紙片を取り出し、ペンで何事かを書き込み始めた。
あれはハール皇子も好んで使っていた絹紙だ。彼女もどこかの商人と取引して、手に入れてたんだ。
「……書けました。アンジェちゃん、この紙に記した通りのルートを辿ってください。
あなたの求めるモノは、恐らくそこにあるでしょう」
さっきまでは己の欲望に忠実に、膨大な蔵書を漁りまくっていただけのように見えたが……この大図書館に存在する書物のジャンルを把握する意味もあったみたい。
「……助かったわ、ありがとう。ヒュパティアさん」
「お礼には及びません。宝の山を見せて下さったお礼です。ホント、すべて持ち帰ってしまいたいぐらい……素晴らしい」
あたしはヒュパティアさんに感謝して一礼すると、絹紙に書かれた指示に従い、時の幽精と共に奥の廊下を進んでいった。
***
今も昔も、魔術や呪いというものは、胡散臭いものとして見られがちだ。
でも魔法は決して万能じゃないから、何でもできるという訳でもない。
その証拠に、アレクサンデラ大図書館のような世界中から書物を集めたような場所においても、ずばり「魔術書」「魔導書」といったジャンルの棚は存在しない。
魔術のはじまりは、鉱石や植物の利用法という、ごくごく自然なノウハウをまとめたものが起源という説がある。誰かを陥れたり呪い殺したりするのではなく、怪我や病気の治療法を記したものが最初という事だ。
ヒュパティアさんもその事に思い至ったのだろう、彼女がくれたメモ書きの案内に沿って進むと……やがて植物学のコーナーに来た。
「…………近い、わね」
ぼんやりとしか分からなかった、かすかに感じた魔力が強まっている。この図書館、ホント広すぎよね。
植物学に関する書籍のうちでも、特に魔力の残り香めいたものをまとう本を数冊。あたしはおもむろに引き抜いて、中身を確認した。
ここにあるのは、あくまでも「アル・アジズ」の原型。おじーちゃんが言っていたように、魔術の粋は本一冊に書き留められるようなものではない。
しかし古代の「魔術師」と呼ばれる人たちが、確実に手にした痕跡が残っている。この本にも、あの本にも。
大いなる力のパズルピースが、至る所にちりばめられている。
書かれている内容は断片的ではあったが、植物から抽出したエキスを用いる事で、人間や動物にきわめて強い興奮作用をもたらすものや、何か別の生き物に生まれ変わったかのような錯覚に陥らせる――幻覚剤のような記述もある。それはまるで、かつてあたし達が帝都マディーンで遭遇した酔魔のようだ。
(酔魔だけじゃない。喰屍獣、屍病蠅、星魔女……
今まで遭遇してきた様々な怪異、それにあたしや白仮面が使ってきた魔術や儀式についても……)
驚いた事に、それらの記述はいずれも、発端は善意から生まれたものであった事が分かった。
病気の治療、身の周りの清潔を保つ、おいしい料理を作る……どれも元来は、他愛のない人類の生活の知恵の延長上でしかないものだった。
それらの技術も、用いる人間の意思と目的次第で、あんなにもおぞましく、痛ましいものに変わってしまうものなのか。
あたしは改めて戦慄したが、同時に堅く決意を抱いた。
自分がたとえ必要にかられ、魔術の力をふるわねばならなくなっても、それは決して悪意を以て行うべきではない、と。
……どれだけの時間が経っただろうか。何冊もの書物を読みふけっている内に、自分も聞いたことのない単語が載っているのを見つけた。
「……何だろコレ。『赤い』……『ネペンテス』……?」
そこに書かれていた植物の実は――見た目こそサクランボに似た赤い形だったが、ザルいっぱいに描かれており、収穫量はサクランボの比ではない。
あたしが今まで読んだ、どの魔術書にも載っていなかった。
※次回から、マルフィサの視点に戻ります。




