7 魔法少女、女学者といにしえの大図書館へ・前編
※ アンジェリカ視点です。
光に包まれ、視界が塗りつぶされる。
体感では一瞬の出来事だった。ふと気がつくと――あたしの前には、幾つもの太く美しい円柱に支えられた、荘厳な神殿のような建築物がそびえ立っていた。
辺りには人々がごった返している。さまざまな人種が入り乱れており、大半は忙しそうに行き交い、談笑し、物を運んだりしていたが……眼前の建物に出入りする人たちも決して少なくない。
確実に言えるのは、今ここで繰り広げられている光景は、先刻まで見ていたアレクサンデラの活気をも遥かに凌駕しているという事だ。
「……素晴らしい。ここがかつてのアレクサンデラ。そしてこの巨大な建物こそが――かつて現存した、世界一の大図書館、ですか。
よもやこの目で、人類史上の至宝と呼べる世界遺産のひとつを見る日がくるとは。夢にも思っていませんでした。
いえ、夢でも構いません。アンジェちゃん。あなたの素晴らしき魔術の力に、心から感謝しなくてはなりませんね……!」
ふと、あたしの隣に恍惚とした声と表情をした女性がいるのに気づいた。彼女は……思い出した、ヒュパティアさんだ。
『……過去に飛ぶ力は、オイラの助力でもあるんだけどなー』あたしの指輪の中で、幽精がぼやく。
しばらく放心していたあたしの頭も、ようやく思考がクリアになってくる。そうか。あたしと彼女は、時の幽精の力を借りて……かつてのアレクサンデラを訪れる事に成功したのだ。噂によれば、数百年前西方異教の蛮人どもに破壊し尽くされてしまったという……幻のアレクサンデラ大図書館。それがあたし達の目の前で、白亜の威容を放っている。あたしは思わず息を飲んだ。
そして気づく。魔力の節約の為とはいえ、過去の大都市にあたしと、知り合ったばかりのヒュパティアさんの二人っきりで来てしまったのだ。今までずっと共に旅をしてきた、フィーザや皇子もここにはいない。いなくなって初めて、いかに自分があの二人を頼りにしていたのかを思い知らされた。
(ちょっと心細いけど……怖気づく訳にはいかない。この大図書館で情報を得られるかどうかが、あたしやフィーザ達の未来の勝利に関わるんだから)
「さて……では図書館に入りましょうか」ヒュパティアさんは言った。
「え、でもどうやって? 現代の図書館だって、あたしは門前払いを食らったのに。
ヒュパティアさんだって当然、この時代の学園のコネがある訳でもないんでしょ?」
「ご心配なく。こういう事もあろうかと、ワタシは常に何冊かの蔵書を持ち歩いています」
そう言うと彼女は、背負い袋の中から仰々しい羊皮紙の本を三冊取り出した。タイトルに書かれている文字は難解で、何について書かれた本か、あたしには分からなかったけれど……どれも装丁はなかなか凝っている。あたしが聞いた話では、本というものは基本的には高級品。本一冊でちょっとした立派な家と同じぐらいの値段になるという。
「これらを司書の方に持っていけば、簡単に中に入れてくれるでしょう」
「どうして本を持っているだけで、入れてくれるって分かるの?」
「……どうやらアンジェちゃんは、アレクサンデラ大図書館がいかにして、百万冊とも言われる数の書物をかき集めたのか。その逸話をご存知ないようですね」
ヒュパティアさんはそう言って、黒い眼鏡をクイッと動かして気取ったポーズを取ってみせた。「やれやれ」みたいな事を言っているけど、実際のところは蘊蓄を語りたくして仕方がない、と顔に書いてある。教師をしていると言っていただけあり、生来の教えたがりでもあるようだ。
幸いあたしも、大図書館の逸話とやらには少し興味がある。なので理由を教えて欲しいとせがむと、ヒュパティアさんは心底嬉しそうな顔になった。
「でもワタシの口から説明するより、実際の様子を見てもらった方が早い。一緒に行きましょう」
ヒュパティアさんは早速、司書のところに先ほど取り出した三冊の本を持っていった。
「おおお……どの本も保存状態が良い。それに見事な装丁ですな。
よろしいでしょう。さっそく我が大図書館でお預かりしましょう」
「お受け取りありがとうございます。寄贈の対価なのですが――銀貨ではなく、代わりに中にある書物を閲覧させて欲しいのです」
「もちろんですとも。そのような事で宜しければ」
話はトントン拍子に進んでいく。あたしはヒュパティアさんの侍女という形で、一緒に中に入る事を許された。
「えっ……こんなにあっさり入れてもらえるの? 信じられない」
「堂々としていて下さい。ワタシ達が提示した条件は、彼らにとっては渡りに船。歓迎されて当然です。余計な金を使わずに済んだのですから」
「どういう事?」
あたしの疑問にヒュパティアさんは答えず、勝手知ったる人の家のごとく、臆せず中へ進んでいく。あたしも慌てて後を追った。
カリカリカリカリ――
あたし達が向かった先の部屋から、何かを引っかくような凄まじい音が聞こえてくる。
部屋の中は、すさまじい広さだった。
人間の背丈の三倍はあろうかという大きな本棚に、凄まじい数の本、本、本。
それ以上に、何十人もの司書たちが一心不乱に書き物をしている。扉の外にまで響いていたのは、羊皮紙に文字を書く葦ペンの音だったのだ。
「これは……みんな何やってるの?」
「写本です。アレクサンデラ大図書館は、世界中に大金を持たせた使者を遣わし、書物と見ればとにかく接収していました。
これもかつて『世界の結び目』と呼ばれ、世界中の人と富を集めた凄まじい経済力の為せる業。
集めた書物は、図書館の職員たちによって写本され、写本が終わると持ち主に返却されるのです」
「ふ、ふーん……お金を払ってまで本を借りるって、すごい情熱ね。しかも写本したら返してくれるなんて。良心的じゃない」
「アンジェちゃん。もしかして勘違いしてます?……返却されるのは写本のほうです。本物は大図書館が保管します」
「……前言撤回。借りた本物じゃなくて、書き写したほう返すの!? それってなんかヒドくない!?」
「とはいえ、そのために大枚払ってかき集めているのでしょうし。現代人のワタシ達に、当時の彼らのやり方をとやかく言う権利などありません」
ヒュパティアさんの言う通りなのだろう。それに今回、あたし達が大図書館を訪れた理由は、彼らの行為に物申すためなどではない。
「……! これは……」
突如ヒュパティアさんは、興奮した面持ちで早歩きになった。所狭しと並んでいる本の数々を見て、大きく目を見開き驚嘆の声を上げている。
「どうしたの?」
「信じられません……『万学の祖』アリストテレスの著作がこんなに……! この聞き慣れないタイトル、明らかに逸書の類……!」
「い、いっしょ?」
「現代では失われ、散逸してしまった幻の書物のことですよ!
彼の著した本で、今日まで伝わっているのは半分にも満たないとは聞いていましたが、この時代まだ、かなりの数が残っていたのですね……!
凄い。こっちはロドスのエウデモス……算術、天文学、幾何学の歴史3点セット!? マジで宝の山すぎません、ここ……!?
素晴らしい……! 素晴らしきかな、アレクサンデラ大図書館ッ…………! ああ、生きてて良かった……!!」
あたしにはいまいちピンと来ない話だけれど、学者からすれば喉から手が出るほど欲しい、希少な品ばかりなのだろう。
そう言えばアレクサンデラの大図書館って、何百年か前に都市を攻め落とされた時、略奪に遭ってたんだっけ。それで世界中からかき集めた本のほとんどが焼かれちゃったとか。確かにとんでもない話だなぁ。
「ちょっとヒュパティアさん! あたしと一緒に本を探す予定でしょ!? 勝手に動き回らないでくれる!?」
「……おっと、そうでしたね。目の前に垂涎ものの財宝が無尽蔵に積まれてしまっていたので、つい我を忘れてしまいました」
ヒュパティアさんは我に返ると、先刻とは打って変わって真剣な面持ちで、あたしに尋ねた。
「アンジェちゃんはいかなる書物をお探しなのですか? それが分からない限り、協力しようがないのですが」
彼女の言い分ももっともだ。あたしの指輪の中にいる時の幽精からも、不安そうな感情がかすかに伝わってくる。
時の幽精の導きで、はるばる過去のアレクサンデラまでやってきた。でも彼自身にしてみれば――自分の力を行使して、あたしが将来体験するであろう幻視を見せてくれただけ。それによってあたしが何を得るとか、何を理解するとか……把握している訳ではなかったのだ。
「……大丈夫。そんな心配そうにしないでよ。
大図書館に来て、あたしが何を為すべきなのか……もう大体『答え』は分かっているから」




