4 怪力女傑、女学者の騒動に巻き込まれる
このヒュパティアなる女性、ただの学者かと思っていたが……とんでもなく意表を突いた行動に出た。
アンジェリカの指輪に宿る、本来普通の人間には見る事のできない時の幽精。彼女はあろうことか、怪しげな眼鏡ひとつでその姿と存在を看破してしまったのだ。
「嘘……あなた、この子が見えるの!?」
驚きを隠せない魔法少女の動揺を見て、ヒュパティアはニヤリと笑った後……何やらブルブルと全身を震わせ始めた。
わたしもハールも、表情に緊張を走らせる。ひょっとすると彼女は、白仮面と何かしら通じており、魔術的な支援を受けている人物かもしれない。
が――そんな予想は、いい意味で外れる事になる。
次の瞬間、ヒュパティアは夢見るようなうっとりした顔になると――熱っぽくアンジェリカの両手をがっしりと掴んだ。
「え…………うえぇえ!?」
「……何と素晴らしい瞬間でしょう。ずっと夢物語だと思っていたものが、まさか実在したなんて。
今、目の前に本物の魔術を使える魔女がいる……ずっとお会いしたいと思っていたのです」
「…………あぅ」
ここまでストレートに羨望の眼差しを向けられるとは、アンジェリカ自身も予想していなかったのだろう。迷惑そうに身をよじりつつも、満更でもない笑みを浮かべている。
ダマスクスでジャハルと会った時にも感じたが、基本彼女はおだてられるのに弱い。
「しかもまさか、こんなにちっちゃくて可愛らしいとは……想定外。想像以上です。
魔女なんてみみっちい表現じゃ物足りません。可憐で可愛い『魔法少女』。アナタにピッタリの呼び名でしょう」
「そこまであからさまに言われると逆に恥ずかしいからやめて!?」
あまり大っぴらに吹聴されても困るが、とにかくヒュパティアの関心を買う事じたいには成功したようだ。やや過剰すぎる好意のような気もするが、少なくとも異端だの何だのと騒がれたりする心配はないだろう。
「彼女の魔術の力を信じてくれるのなら、話は早い」わたしは言った。
「わたし達はある目的で、遠路はるばるこのアレクサンデラまでやってきたのだ」
わたしの言葉を継ぎ、アンジェリカは深呼吸した後……真剣な眼差しをヒュパティアに向け、凛とした声で告げた。
「かつてこの地に存在したという『アレクサンデラ大図書館』――その過去の蔵書に、秘められし古代の魔術書が存在している。
あたしが時の幽精を連れているのもそのため。しかし過去にさかのぼり、当時の書物を読み解くためには……大図書館の正確な座標を突き止め、そこに立つ事が必要なの」
「ふむ、ふむ……なるほどなるほど。それでワタシの助力が必要だと」
「はい。あたし達だけでは、図書館の建物があった場所は知れても、中にある本のタイトルや正確な配置まで把握する事はできない。
学者として専門的な知識を持つ方の手助けが要る――お願い、力を貸して」
魔法少女の懇願に、うんうんと頷くヒュパティア。ところが次の瞬間、彼女はにんまりと笑みを浮かべた。
「ワタシとしては、是非とも協力したい。でも……こういうのってやっぱり、ギブアンドテイクが大事ですよね?
人に何かしてもらうためには、何か代償を差し出さなければならない。いわゆる『等価交換』ってものですわ」
「そ、それはもちろん! あたしにできる事だったら、何でも……!」
「であれば……ワタシの望みは1つ。ワタシに――」
女学者が自分の望みを言いかけた、その時であった。
「……何だお前たちは? わたし達に何か用か?」
先ごろからずっと気配はしていたが、少々言葉にするタイミングを逸してしまった。
わたし達四人をぐるりと取り囲む、ごろつき風の奇妙な男たちが、あちこちの路地から姿を現したのだ。彼らの姿を見るなり、ヒュパティアが露骨にばつの悪そうな顔になる。
男たちの中心から、満面の笑みを浮かべて姿を現したのは――この街の人間にしては珍しい、緩くウェーブのかかった金髪をたなびかせた小綺麗な長身の青年だった。スクル教徒ではないらしく、格好も浮いている。まるで古代グリジア人が時を越えて迷い込んできたかのような、真っ白でゆったりした長着を纏っていたのだ。
「ああ、ついに見つけたよ。我が愛しき叡智の女神よ!」
「――どこのどなたか存じませんが、人違いではありませんか?」
ヒュパティアは淡々と否定した。
仮に本当に知り合いだったとしても、思わず他人のフリをしたくなるのは分からなくもない。第一声から気障ったらしすぎる。
「何を照れているんだい、ヒュパティア? どんなにみすぼらしい恰好をしていても、僕の目は誤魔化せない。
何故なら君から漂ってくる、博識ゆえの美しさが、僕の心を捕えて離さないからさ!」
「いや、あんな格好で地べたに這いつくばって実地調査できるような女性、滅多にいねぇでしょうよ……」
ごろつき連中を引き連れた、妙にスカした男。ファッションセンスも千年前に置き去りにしてきたかのような雰囲気である。
「……いったい誰なんだい? 金持ちのボンボンにしても、色々と拗らせすぎじゃないか?」
ヒソヒソと小声でヒュパティアに問いかけるハール。
「子供の頃のジャハルだって、ここまでスゴい事にはならなかったぞ。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ」
「ワタシも全く同意見ですが。大体お察しの通りです。アレクサンデラの徴税権を一括管理する総督の息子さんでして。名前をトート。
つい最近、学園の学芸員として入会してきた方なのですが……どうもその、ワタシに近づくのが目的だったようで。
迷惑なのでお断りしたんですけどね。これで十三回目になるんですが」
「しつけえ! いくら僕でもそんなに断られる前に見切りをつけるよ!? 完全にヤバい奴じゃん!」
「失敬な! この僕を頭のおかしいつきまといみたいに貶めるのはやめていただこう!」
「みたいも何もそのものじゃねーか!」
「いいかい? 迷惑行為というのは『何をやったか』ではない。『誰がやったか』で決まるものだ!
まったく同じ行動でも、不細工な男がやるのと、僕のような美男子がやるのとでは絶対的に埋められない差があるのさ!」
「……申し訳ありませんが。アナタの容姿がどうとか以前に、実際迷惑しているんですが、ワタシ」
「恋と言うのは! フラれてからが勝負だッ!!」
大体事情は飲み込めてきた。確かにヒュパティアは美女だ。そのうえ学術的な知識も深いのだろう。
かの古代アイギュプト王国で、大国の将軍たちを手玉にとったとされる「絶世の美女」フィロ・パトラも、その真の魅力は見た目の麗しさだけでなく、己が知識の深さと話術にあったと言われている。やはり古今東西、人間というものは自分と話の合うパートナーに心惹かれるものである。
「しかしだからといって……男たちを数人引き連れて無理矢理、というのはアプローチとしては最悪だな」
他人の恋愛事情など、安易に首を突っ込むものではないと相場が決まっているが……流石に見過ごせなかった。たとえ彼らが本気でなかったとしても、今置かれているこの状況――ひとりの女性を男数人で取り囲む――自体が、彼女にしてみれば脅迫行為でしかない。
「何だねきみたちは? ここらじゃ見かけない顔だが……ヒュパティア嬢の御友人かな?」
「まあ、そんな所だ。知り合ったのはついさっきだが」
トートとその「友人」たちは、わたしの戦士としての体格を見てやや、どよめいたが……それでも退き下がるつもりはないらしい。
……余り騒ぎを起こしたくはないが。向こうが強引な手段を取るなら、二、三人は怪我人が出るのもやむを得ないか……?
わたしがふと、そんな覚悟を決めかけたとき。
突風が舞い上がり、わたしの横に青い肌の巨人が立っていた。ハールの持つランプに封じられし、風の魔神だ。




