2 怪力女傑、「地中海の真珠」を訪れる
港湾都市アレクサンデラ。古来より様々なヒトとモノが集まり、入り交じり……かつて「世界の結び目」とまで呼ばれ、今でも「地中海の真珠」と称えられし街。
「うわお。すっごい……人がいっぱい! お店もいっぱい!!
あそこの島にでっかくそびえ立ってるのが、かの有名な『ヴァロス大灯台』ね!」
アンジェリカは賑やかな街並みに感動し、露骨に目を輝かせてあっちこっちをキョロキョロしている。
特に目を引くのは、この街の象徴といってもいい灯台――ヴァロス大灯台。全長134メートルという超巨大建築であり、その光は50キロ以上離れた海岸からも視認することができるという。
何より驚くべきは、この灯台が建造された年代である。かつてこの地を征服せし大王の死後、その後継者となった王家が50年近くをかけて造らせたというから……伝承が正しければ、この灯台は優に千年以上もの時を越え、なおその威容を保っているという事になるのだ。世間知らずの魔法少女でなくとも、圧倒されるだろう。
「こらアンジー。挙動不審すぎる。完全に田舎から出てきたおのぼりさん状態じゃないか」
などとたしなめているハール皇子も、心なしか嬉しそうに表情が緩んでいる。控えめに言ってもアルバス帝都マディーンにも匹敵する規模であり、恐らくアフリグス大陸、地中海ともどもトップクラスの大都会だろう。これに比類するのは、北のグリジア帝国首都ぐらいなものだ。
「ねえ。ここって確か、世界一の美女として知られる古代の女王フィロパトラが住んでいた地域よね?
本場ものの棗椰子が味わえるのかしら? すっごく楽しみ!」
「棗椰子だけじゃあないぞ」わたしは言った。
「レモンもサトウキビも、新鮮な魚料理も何でもござれだ。異教徒用の上質な肉料理だって味わえる。
……もっとも、厳格なスクル教徒であるハールは食べられないか? 残念なことだな」
さしものハールも、ごくりと生唾を飲み込み目が泳いでいる。
「……ものは相談なんだが。二人が黙っていてくれるなら! 寛容なるスクルの神も、きっとお目こぼし下さると思うんだ!」
「初手から禁忌破る気マンマンで恥ずかしくないの? 一応ここ、アルバス帝国領内でしょ……」
「いちおう、冗談のつもりだったんだが」なぜか残念そうな顔をするハール皇子。
わたしはスクル教徒ではないが、彼が内心どう思っていようが、彼は教義の権威を代表する人間だ。少しはスクル教徒の模範としての自覚を持って欲しいとは思う。
「でもなんで、アルバス帝国って豚肉のお料理とか無いのかしら」
アンジェリカが不思議そうに言った。
あちこちの市場や料理店を見て回ったが、豚肉を商っている商売人は見当たらなかったのだ。
「スクル教の戒律で禁じられてるってのは分かるけど、この国は色んな宗派の人を受け入れてるじゃない。祖神教も、西方異教の人たちだって」
「宗教だけが原因という訳じゃない」とハール。
「数千年前はティグラやエウプラテスといった大河で、凄まじい数の麦を収穫してたって伝説もあるけれど……今のアラク世界の大半は、水や食糧に乏しい砂漠地帯だ。そんな所で人間と同じ雑穀を食べ、大量に水を飲む豚を飼うのは非効率だし……それに豚肉は寒暖差の大きい砂漠では腐りやすいから、食中毒を起こす人間が続出した。それで預言者スクルージが、豚食を禁じたのさ――神の名の下に。
細々とした理由を説明するより、『偉い神様がお決めになった事だから』と教えれば、みんな案外すんなり受け入れてくれるものなんだよ」
「はえー……そういうもんかしらね」
昔からの決まり事には、得てして納得のいく裏事情というものがあるケースが多い。
それが成立して長い時間が経つと「何故そんな事になったのか?」がすっかり忘れ去られてしまうのが、玉に瑕だが。
「まあ心配せずとも、アレクサンデラで一番美味いのは海鮮だ。わざわざ禁忌を犯す必要はないぞ、ハール」
「じゃあ、今晩の夕食はお魚料理ね! 決まり! フィーザ、一番美味しい店を頼むわ!」
「……はいはい」
長旅の疲れも何のその、といった所か。
アレクサンデラに入る前と違い、すっかり元気を取り戻した様子の二人を見て、わたしもまた嬉しくなった。
***
わたし達は食事と宿を取り――そのまま何事もなく、翌朝となった。ところが。
「図書館を閲覧したい? どの本をお探しか? 紹介状はございますかな?」
「え? しょ、紹介状……? そんなものが必要なの?」
「当然です。かつて現存した大図書館には到底及びませんが、アレクサンデラ学問すべての集大成である事には変わりない。我が街の秘宝とも呼べる蔵書を、どこの馬の骨とも知れぬ輩においそれと見せる訳にはいきませんので」
「うぐっ…………」
アレクサンデラ図書館にて。
有無を言わさぬ正論の前に、アンジェリカは言葉を詰まらせ、すごすごと引き下がるしかなかった。
「……言わんこっちゃない」呆れ顔のハール。
「あたしが読みたいのは、『かつての』アレクサンデラ大図書館の本よ! 今ある本になんか手を付けたりしないってのに……!」
「いやいや。そんな説明を馬鹿正直にしたところで、納得してくれる司書の人はこの世にいないと思うよ……」
とはいえ、アンジェリカの言う通りだった。
わたし達の最終目的地は確かに、このアレクサンデラの街だ。しかし……アンジェリカの指輪に宿る、時の幽精からわたし達が見せられた幻視に映っていたアレクサンデラは、今現在のアレクサンデラではなかった。あの光景の中には、今とは比べ物にならないほどの規模を持つ「大図書館」が存在したのだ。
アンジェリカの魔術の力を借り、「過去の」アレクサンデラに向かう。だがそのためにも……かつて大図書館があった場所を正確に突き止めなければならない。
「なあアンジェ。もう一度、時の幽精の力を借りて……大図書館とやらがあった場所を割り出してみたらどうだ?
ひょっとしたら、わざわざ今ある図書館に入る許可など貰わなくてもいいかもしれないぞ」
「む、それもそうね……フィーザの言う通りだわ!」
「えぇえ……じゃあなんでわざわざ門前払い食らいに行ったのさ……」
ハールの疑問ももっともな気がしたが……アンジェリカは聞き流し、自分の右中指に嵌めた指輪に、小さく語りかけた。
ぽうっと、半透明のトンボのような姿が指輪から現れる。周囲の景色に紛れ、限りなく透明に近い青みがかった――アンジェリカを守護する「時の幽精」だ。
周りに人は大勢いるが、本来幽精は普通の人間には見えない。例外は、炎の魔神をその身に宿すこのマルフィサと、つい最近、風の魔神と主従の契約を交わしたハール皇子ぐらいのものだろう。
召喚された時の幽精は、しばらく複眼をめぐるましく回転させ、周囲を眺めていたが……やがて言った。
『おっ、ここは……ようやくアレクサンデラに着いたんだな、アンジェリカ』
「そうよ。帝都マディーンからここまで――ホントに長い旅路だったわね。
で、早速で悪いんだけど。あたし達が用があるのは、今現在のアレクサンデラじゃなく、過去のアレクサンデラなの。
かつて大図書館があったという場所を、教えてちょうだい」
『おう、そんくらいお安い御用だぜ。今お前が立っている場所から北に――』
時の幽精が魔法少女に語りかけると、彼女はいきなり駆け出した。恐らく当時の幻視を見せつつ説明しているのだろう。
「おいおい、危ないぞいきなり!」
「何やってんだガキ!」
当然、往来を行き交う人々とぶつかりそうになってしまい、ちょっとした喧騒になってしまった。
「……待て、アンジェ! 一人でどんどん行くなッ」
放っておく訳にも行かず、半ば夢遊病のようになったアンジェリカを、わたしとハールは慌てて追いかけた。
やがてアンジェリカは、何もない場所で唐突に立ち止まる。
「……分かったわ! 昔の大図書館はここまであったのね! 今ある場所とは全然違うなぁ」
ずっと走り続けていた少女は、息せき切って感動したように言葉を吐き――突如、いきなり腕を掴まれた。
「!?」
アンジェリカは気づいていなかったが、彼女のすぐ傍に、ボロ布を纏いうずくまっていた人影がいたのだ。
それがいきなり起き上がり、彼女の腕を掴んだのだ。誰だって驚くだろう。
「アナタ今――『大図書館』っておっしゃいました?」
「ひ……え? あ、はい」
粗末な見てくれからは想像もできなかったが、発せられた声は意外と穏やかで、透き通るような女性のものだった。
その声を聞き、最初は驚き怯えたアンジェリカも、思わず素直に質問にうなずいてしまう。
「実に気になります。アナタはどうして、ここに『大図書館』があったと分かったのですか?
ワタシが長年地道な調査を重ね、ようやく特定した情報ですのに」




