1 怪力女傑、風の魔神を従える・前編
「なんだって!? いくら何でも高すぎじゃないか、その船賃は!」
わたしは柄にもなく、大きな声を上げてしまっていた。
ここは港町アカバ。およそ五千年もの長きに渡り栄えてきた重要な都市であり、歴史が移り支配者が変わっても、アカバに住む人々とその営みは全く変わる事はなかったという。紅海を通じた海洋貿易の拠点として、今なお発展を続けているのだ。
もちろんこの町も、今やアルバス帝国の傘下にあり、船を預かる交易商人も、典型的なスクル教徒なのだが。
「嫌なら他所を当たってくんな、お嬢さん。
とはいっても、ここ最近は取り扱う品が増えて、ウチの船も大忙しで出払っててねえ。
どこに話を持ちかけても、旅行目的の人間を乗せようなんて物好きはそうそう見つからないと思うよ?
この程度の金額で乗せてやってもいい、と言ってる分、ウチはまだ良心的な方さ!」
いけしゃあしゃあと、ターバンを巻いた男はフンと鼻を鳴らす。口惜しいが、彼の言っている事は本当なのだろう。
わたしが半年前、立ち寄った頃の船賃は、今の半額程度だったのだが……
「むー。ちょっとくらいまけてくれてもいいじゃないの、ケチ!」
店主の言い分に不服そうに頬を膨らませたのは、わたしの傍らにいる十二、三歳ほどの少女――アンジェリカである。
「無茶言いなさんな。ただでさえ船旅に女子供は不吉だと、相場が決まってるんだ。
それをカネ次第で考えてやるって言ってるんだぜ? むしろ感謝して欲しいぐらいだね」
「ぐぬぬ……仕方ないわね。今後の旅の路銀が心許なくなるけど、背に腹は代えられ――」
そう言って彼女は、懐から輝く宝石を取り出そうとした。が、わたしはそれを止めた。
「ちょ、何すんのよフィーザ」
「いつぞやの『アレ』をやる気か? アンジェ。わたしが見ている前でそれは勘弁してもらいたいな」
アンジェリカはこう見えても、魔術の扱いに長けている――いわゆる魔法少女というやつだ。
わたしが彼女と初めて出会ったのは、帝都マディーンでの事。その時も彼女は、市場で売っていた珍しい蜂蜜漬け棗椰子を買うために、宝石を代価に支払おうとしていた。しかしそれは、彼女の幻術によるもの。要するに贋金で騙そうとしているのと同じ事だ。
「……じゃあ、どうすんの? あたし達、これからアレクサンデラまで行かなきゃならないのに。
海路はあきらめて、歩いて進むっていうの?」
アンジェリカの懸念するところはもっともだ。アレクサンデラは地中海に面する港湾都市。アカバとは反対に位置し、陸路で行けなくもないが……それでは時間がかかりすぎる。わたし達はできる限り急がなくてはならないのに、船を使えないのは大きな痛手になるだろう。
「ふっふっふっふ、どうやらお困りのようだね。お嬢さんがた」
突如、やたら気取った声がした。わたしもアンジェリカも、思いっきり聞き覚えのある声だったので、ややげんなりしてしまう。
整った顔立ちの青年――わたし達の旅の仲間のひとり、ハール皇子だった。このわざとらしい登場の仕方、恐らく物陰からしばらく様子を見ていたに違いない。
「何よ、皇子。まさかとは思うけど、あんたが船賃を都合してくれるワケ?」
「ふっ――そのまさかさ! こいつを見なよ!」
得意満面でハール皇子が懐から取り出したのは、光り輝く金貨や宝石、装飾品の数々であった。途端に船主の顔が、驚嘆と期待の色に塗り変えられていく。
アンジェリカと違い、彼に魔術の心得はない。つまりこの財宝は紛れもなく本物だという事になる。
「ちょっ……何よこれ。いったいどこから調達してきたの? いつの間に!?」
「何って、ホラ。ちょっと前まで僕ら、ペトラ遺跡にいたろ? 二人とも全然興味を示さなかったけど、路銀の足しになるかと思って、遺跡の中にあった金目の物で、持ち運びやすいのを見繕って失敬してきたのさ。盗賊団の死体とかも、地味に値打ち物を隠し持ってたりしたしね」
「……凄いな、ハール。わたしは全く気がつかなかった」
わたしは素直に感心した。ハールは今でこそ追われる身だが、元々はアルバス帝国の皇位継承者、第二位にあった男だ。
ふつう皇族など、金銭感覚が庶民と違い、湯水のように浪費するしか能がないイメージがあるが……ハールはむしろ逆だ。彼には軍人としての経験があり、軍隊を維持する為にも金品の目利きは欠かせない技能なのだろう。財貨があれば、軍隊を相手にする商人や近隣の農民などから、食糧や物資を調達しやすくなるからだ。
「なんでぇ、なんでぇ。お客さんがた!
先立つ物をバッチリお持ちだってんなら、あらかじめそう言っておいて下さいよ」
船主の男は、先刻までの不愛想ぶりはどこへやら。露骨に揉み手をし始めて、目をギラつかせた。ハールが自分にとって都合の良い「顧客」だと判断したらしい。現金なものだ。
「ねえフィーザ。皇子はいっそ皇族なんてやめちゃって、普通に商売人やった方が大成するんじゃない?」
「流石にそれはどうかとは思うが、彼なら砂漠にひとり放り出しても、タフに生き延びそうな予感だけはするな……」
わたしとアンジェリカがこっそり話し込んでいる間にも、商談は進んでいく。
「ふっふっふ、掘り出し物ならまだまだあるぞ! とっておきはこのランプ!
見たまえ、この黄金の輝き! ちりばめられた宝石飾り! 帝国どこを巡っても、こんな立派なお宝にゃあお目にかかれないよっ!」
「おっほっほーう! こいつぁ凄い!!」
ハールがきわめつけとして取り出したのは、両手に納まるサイズの金色のランプ。
確かに先ほどまでの宝石や金貨とは比べ物にならないほどの値がつきそうだ。が……ランプを見た途端、アンジェリカの表情がにわかに強張った。
「皇子! そのランプは駄目! うかつに触っちゃ――」
わたしもランプから、今まで感じた事のない奇妙な「圧」のようなものに気づいた。
その瞬間、ランプの中から凄まじい煙が噴き出し、それは竜巻のように周囲の品々を吹き飛ばした!
辺り一面を覆い尽くした白煙が晴れた後――現れたのは、青黒い肌をした奇妙な巨人だった。
『貴様か? このおれをランプから出してくれた恩人は。
その礼がしたい。今からお前をこの手で殺してやろう。どんな死に方が望みか、言うがいい!』




