13 怪力女傑、大地の魔神と戦う・前編
致命傷を受けたはずのハキム――若き日の白仮面は、無意識の内に屍病蠅を生み出した。
蠅の力によって、彼を傷つけた男たちから生気を根こそぎ奪い、彼の重傷は見る間に治っていく。
「なんだ……これは……動ける。動けるぞ……痛みも消えた……!
そ、そうだ。アブドゥルさん! アブドゥルさんは……!」
ハキムは我に返り、倒れている黒衣の老人に駆け寄ったが……たちまち絶望の表情を浮かべる。
「……駄目だ、息をしていない。クソッ、どうしてこんな事に……
アブドゥルさんは地震を食い止めるために、命を懸けたのに……なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ?
そして僕のこの力は……何なんだ、畜生! 僕の傷は治せても、アブドゥルさんの傷は癒せないのか……こんなもの、役に立たないッ……!」
屍病蠅の力は疫病の力。他者の生気を奪う事はできても、その逆に与える事はできないのだろう。
「おのれ……おのれ……どいつもこいつも……話も通じない愚か者ばかり……
なぜあんな奴らのために、アブドゥルさんが死ぬ必要が……守る価値もないクズどもじゃないか……
許せぬ……許せぬ……奴らこそが死ぬべきだ……そうだ、死ぬべきは奴らなんだ……」
悲しみに暮れたハキムは、やがてゆらりと立ち上がり……虚ろな目をしたまま、洞窟の暗闇へと消えていった。
「……これがアブドゥル殿の死と、ペトラ大地震の真相……なのか」
若き日の白仮面の姿が見えなくなる、と同時に――周囲の景色がぼやけていく。
「…………!?」
「幻視が消える。もうすぐ、現実の世界へ戻るわ」
ハール皇子とアンジェリカも、状況を把握したらしい。そして、過去のペトラの街並みは消えた。
***
気がつくと、わたし達は元の修道院に戻っていた。
太陽の傾きから考えて、幻視を見る前とは、瞬きほどの時間しか経過していない。
先ほどまでと違うのは、黒衣の老人アブドゥル・アルハザードの姿も消え失せていた事だ。
アンジェリカは先ほどより、深刻な表情を浮かべていた。
「三十五年前の地震を引き起こしたのは、ペトラの地下に潜んでいた、大地の魔神……
アブドゥルおじーちゃんは、そいつを食い止めようとしたけど、完全には上手く行かなかった。
あのケバい妖術師の狙いはきっとその魔神だわ。荒ぶる大地のエネルギーは途方もなく強大な力を生み出す。
そんなものを地上に解き放たれてしまったら……!」
魔法少女が危惧する通りだろう。これで奴を野放しにする訳にはいかなくなった。
「ならば進むしかないな。幸い奴の向かう先は、さっき見た過去の幻視で把握できた。
アブドゥル老人はそれをわたし達に伝えたかったのだろう。急いで食い止めなければ」
わたしの言葉に、ハール皇子とアンジェリカは強く頷く。
修道院の遺跡を抜け、わたし達は魔神の封印されし洞窟へと向かうのだった。
***
洞窟に入り、幻視の記憶を頼りに進む。もちろん途中の地形はある程度変化しており、時には地下に流れる川を渡らねばならない事もあった。
やがてわたし達は、ドーム状の巨大な空洞に出た。
そこでは至る所で、動く屍たちが魔法陣の修復作業に当たっており、陣の中心部には、派手な緑色の衣服を纏った例の妖術師がいた。
「あらあらあらあら。思ってた以上にここに来るのが速かったわねェ~驚いた!
予定ではもう何日か、手こずってもらうつもりだったのに。
それにそこの星魔女のお嬢ちゃん、もう一度だけ聞くわ。アタシ達の側へ来る気はない?」
「しつっこいわね! あたしの正体が何者であれ――あたしの親友はフィーザであり、皇子。
あたしはあたしの力を貸したい人のために力を振るう。それだけよ。星魔女がどうとか、関係ない!」
アンジェリカの力強い拒絶を聞き、妖術師は表情を微かに歪め、舌打ちする。
「生憎だったな。わたし達には、この地を守ろうとした者の意志の加護がある」わたしは言った。
「お前がこの地で何をやろうとしているのかも知っているぞ。ペトラ大地震を引き起こした大地の魔神の力。
断じてお前のような者に解き放たせる訳にはいかない!」
わたしが声高に宣言すると、妖術師はさらに驚いたらしく、大きく目を瞠った。
「……最初に会った時はあんた達、そんな所まで気づいてなかったわよね? 誰の入れ知恵?」
「答える必要はないな」
「あァらつれない。ま、いいわ。確かに予定外の展開ではあるけれど……だからといって問題があるワケでもない。
あんた達を全員、葬り去るだけなら――今得た力だけでも十分よ。感謝する事ねェ。
偉大なる星魔女であるこのアタシ、ムーシュ様に直々に殺してもらえるんだからッ!」
ムーシュと名乗った星魔女が叫ぶと、動く屍たちは作業を止め、緩慢ながら一斉にこちらに向かってきた。
「ハール、アンジェ。こいつらは任せたぞ。わたしは――あの妖術師をやる」
「オッケー、分かった! 頼んだわよ、フィーザ!」
わたしは即座に前に飛び出した。当然、わたしの前にも数体の屍が立ち塞がるが――この程度の相手、炎の魔神の力を用いずとも、己の腕力だけで退けられる。
「邪魔だッ!」
突き進む勢いのまま、体当たりの要領で数体の屍が哀れにも吹っ飛んだ。
ムーシュの羽織る緑色の衣が間近に見える。わたしは半月刀を抜き、一閃した。
だが空振り。やはり地上で戦った時と同様、見せかけの姿だったらしい。
「あははははッ! 学習能力がないのかしらァ~筋肉のお嬢ちゃん!
アンタの相手はこいつがしてあげるわッ!!」
突如、地鳴りがしたかと思うと――地面から、わたしの身体の二倍はあろうかという太さを持った、巨大な土くれの「腕」が飛び出してきた!
「うぐッ!?」
凄まじい衝撃と土煙が巻き起こり、巨岩の如き鉄拳がわたしに向かって振り下ろされた。




