11 怪力女傑、ペトラ大地震の真相を知る・前編
「アブドゥル様、どうして僕を選んでくれたんですか?
メルヴは学者の街だ。僕なんかよりずっと、魔術の才に溢れた人材はいたでしょうに」
ボロ布を纏った青年は、黒衣の老人に不思議そうに尋ねた。
彼は随分と委縮している。きらびやかに見えるペトラの街並みに、汚らしく悪臭を放つ自分は不釣り合いだと言わんばかりに、オドオドしていて上目遣いでアブドゥルを見ていた。
そして彼が口にしたメルヴというのは、アルバス帝国東端にある、ここから何千キロも離れた街だ。わたし達以上に長旅をしてここに来たのだな。
(これが本当に、あの邪悪な白仮面なのか?)
三十五年前とはいえ、これほど卑屈な人物が、反乱の首謀者となり、八年もの間戦い続け……今なお生きており、帝都の聖帝になりすましてアルバス帝国を支配しているなど、にわかには信じがたい。
「今更何を言っておるんじゃ。哀れに思ったから、とかではないぞ?
お主に見込みがあるから連れて来た。それだけの事じゃ……早よう尾いて来い、ハキム」
アブドゥルは若かりし頃の白仮面――本当の名はハキムというようだ――を連れ、洞窟の中へと入っていった。
***
わたしとハール、アンジェリカは二人に気づかれないように後を尾けた。
直に物質に触れられるし、当時生きた人々と会話や接触もできる。過去の幻影にしては精巧すぎるが、これもアブドゥル老人の施した強大な魔術であるが故か。
アブドゥルとハキムは、洞窟の中をどんどん進んでいき、やがて巨大なドーム状の空洞に辿り着いた。
「うむ、そこじゃ。そこは臙脂色に塗れ。そっちはレンガ色な。
……ひょひょ、そうじゃそうじゃ。随分といい色合いになったわい」
アブドゥル老人は細かな指示を出し、青年はそれを忠実に、かつ素早く実行している。
素人目には全く見分けがつかないが、微妙な色の濃淡の違いを、どうやらハキムは見事に表現できているようだ。
「流石の色彩感覚よのゥ~。伊達に染物職人やっておらなんだな?」
「はは、そんな……大した事ではありませんよ」
「いやいや、大したもんじゃ。確かにわしの弟子には、お主以上の魔術の素養を持つ者は多少はおったがな。
悲しいかな、こういう色を見分ける事に余り重きを置いておらん。長年魔法陣を扱っていれば分かるんじゃが、ただ魔術文字や紋様を描けばいいというモンでもないんじゃよ。魔力を余す事なく伝わらせるには、ひとつひとつ微妙に配色を変える必要もあるのじゃ」
老人は感極まったのか、ハキムに近づいてその手を取ろうとした。
が……青年は目ざとくそれを察知し、すっと身を引いた。
「……何をやっとるんじゃ、ハキム」
「いえ、その……まずいですよ、アブドゥル様。僕なんかに触ったら。
僕の身体に染みついている、汚い色や臭いが移ってしいまいます」
「何を言っとるんじゃ、今更! わしを誰だと思っておる? 天下にちっとは名の知れた、アブドゥル・アルハザードじゃぞ?
常日頃から錬金術をたしなんでおれば、お主程度の臭いなど嗅ぎ飽きておるわい! 気にするでない!
わしも若い頃は、周りの人間から散々、変人扱いされて奇異の目で見られておったものよ。道を究めようとする者は、しばしば凡人には理解されぬものなのじゃ」
アブドゥルは豪快に笑ったが、それでもハキムの顔色は晴れない。
そんな様子を見かねたのか――老人はどこからともなく、大きな白い布を取り出した。
「そこまで言うのであれば、これまでの礼じゃ。この服をくれてやろう」
「これは……? あ…………」
ハキムは布を受け取ると、思わずその匂いを嗅ぎ、たちまち穏やかな表情になった。
「良い香りがするじゃろう? そいつを身に纏え。
高価な乳香と没薬をふんだんに染み込ませて作った服じゃ。もちろん魔術の触媒としても便利な代物じゃぞ?」
「確かに心が落ち着きますが……いいんですか、こんな貴重なものを」
「いちいち細かい事を気にするな、ハキム。お主なら扱えると思ったからくれてやった。それだけの事じゃ!」
照れ隠しのように大声を出す一幕もあったが、その後二人は魔法陣らしきものを描き終わった。
いったい何を始める気なのだろうか。
「……皇子、フィーザ。隠れて」
突如、アンジェリカが警戒した面持ちで言った。
「どうしたアンジェ? 急に」
「洞窟に入ってからずっと、禍々しく凶暴な意思の力を感じていた。
あの二人が儀式をしている間も、それはどんどん強くなっていって……!」
魔法少女の懸念の正体に、わたしも今ようやく気づいた。
精巧で本物同然にしか見えないが、ここはあくまで現実ではなく、アブドゥル老人の魔術によって造られた過去の映像。それゆえわたしの持つ魔神の力で「魂の炎」を見る事はできなかったのだが……迂闊にも、アブドゥルとハキムの二人のやり取りにばかり注意を向けてしまっていた。アンジェリカのいう「凶暴な意思」は、わたし達のすぐ間近まで迫っていたのだ。
「……うん? 今何か、揺れ――」
ハール皇子が呟いたその瞬間、わたしはアンジェリカとハールを抱え、その場を駆け出した。そして――
洞窟だけでなく、ペトラの街全てを揺るがすような凄まじい激震が走った!




