9 怪力女傑、過去の崖都へ到達する・前編
妖術師が向かったと思しき遺跡までたどり着くのに、さらに数時間ほどの時を要した。
途中、岩で造られた門や通路、そして王家の墳墓と思しき建物群を通り抜け――さらに奥へと進む。
「……見えてきた。あれか」
「ああ。確か名前は――修道院、だったかな」
何十年もの歳月が過ぎ去り、いささか風化してしまっているが――宝物殿と同様の造形をした、巨岩の建築物であった。
しかし岩山をくり抜き、その中に鎮座する宝物殿と違い、遺跡の天井部には空が広がっている。似通ったデザインでも修道院は開放的だ。自然の天蓋あるなしで、ここまで印象が変わるものとは。
わたしは修道院の近くまで来ると、入り口には目もくれず周囲を捜索する事にした。
「? 何してんのよフィーザ」
「いや、さっき時の幽精に見せてもらった幻視で、古代ナヴァト人の生活も見る事ができただろう?
あれから察するに、多分ここら辺りにあると思うんだが……」
幸いな事に、表面上の発掘作業は、先んじていた盗賊団がある程度進めていてくれた。もっとも、彼らの目的はあくまで修道院に眠る「財宝」か、それに類するものだったのだろう。彼らの作業は途中で打ち切られてしまっている。
しかしわたしの見立てが正しければ、さほど瓦礫を動かさずとも発見できるはず。
「ふんッ」
わたしは邪魔な岩を持ち上げ、隣にどかした。
「……やはりあった。大した手間ではなかったな」
「いやいやいや、マルフィサ。それは君がデタラメな怪力持ってるから言える感想であって。
今持ち上げた大岩だって、本来なら並みの男が十人がかりくらいで、やっと押せるかどうかってレベルだったぞ?」
ハール皇子から呆れ気味の言葉が返ってきたが、まあ今はそんな些末な見解の違いなどどうでもいい。
わたしが動かした先には、地下に通じる階段があった。降りてみると、すぐに行き止まりになったが――そこにはわたしが探し求めていたものがあった。水場だ。
ひんやりした地下空間は、すでに無人になっているにも関わらず、乾燥していて風通しも良い。何よりその一角には、澄んだ水が湧き出ていたのだ。
「古代ナヴァト人が利用していた水汲み場か。こんな高地にまで、本当に水を引いていたんだな……」
「すでに打ち捨てられて三十年以上が経過している。用水路の手入れはされていないだろうし、量も減ってはいるが……幸い、まだ飲めるな。ここにいる三人分の水くらいは確保できるだろう」
「え。ここの水飲んでも平気なの? やった! ちょうど喉乾いてたのよね!」
アンジェリカも歓声を上げ、嬉しそうに水を飲み干した後、腰の水袋に補充分を追加した。
これで当面保つだろう。仮にもし保存食が尽きたとしても、水があれば最悪でも死に至る事は少ないはずだ。
***
「……さて、これから修道院に潜る訳だが」
「何よフィーザ。改まっちゃって」
「いや、気にならないか? 三十五年前、ペトラは大地震によって生活居住区としての機能を完全に失ってしまった。
アブドゥル殿の話では、その地震は『人災』だったそうじゃないか」
わたしがそこまで言うと――修道院の柱の影から、待ち受けていたかのように黒衣の老人が姿を現した。
「……噂をすれば、だな。ここまで来たのだから、話してくれるのだろう?
あなたと、白仮面の関係を。そしてこのペトラの地で、本当はいったい何があったのか」
「ひょひょひょ……うむ、そうじゃのう。そういう約束じゃったな」
老人は何事か――中東の言葉ではない「力ある」言霊を紡ぐ。すると……
「!?」
ハールとアンジェリカも驚いている。突如辺りの岩の景色が一変し、幾分鮮やかな建物の姿があちこちに浮き上がってきたのだ。
「なんだこれは……時の幽精。お前の仕業か?」
『いや……違う。オイラは今、何もしてねえ! オイラは基本、アンジェリカの命令がないと力は使えねえんだ』
明らかに過去の風景、なのだが……幻視ではない。人工的に整備された往来を行き交う人々……服装から察するに、古代ナヴァト人たちだろう。
「きゃっ!?」
「おっと、ゴメンよ! 急いでたもんだからさぁ」
さらに奇妙な出来事が起きた。向かい側から走ってきた若者が、アンジェリカにぶつかって謝罪したのである。
「なんだこれは……本物のペトラ、なのか? 大地震によって崩壊する前の」
「それってつまり、あたし達……正真正銘、過去に来ちゃったって事!?」
「いや、なんでアンジーが驚くんだよ。きみ、未来の世界から僕たちの時代に来たって言ってたじゃないか!」
「そ、それはそうだけど……! ソレにしたって、膨大な魔力と大掛かりな術式を使ってようやくできた話なのよ?
こんな風にあっさりと、しかも今来たばかりのあたし達をいきなり連れてくるなんて、まずムチャな話だし!?」
意外な事に、この中で魔術に一番詳しいアンジェリカから見ても、今回の「過去のペトラ」に直接放り込まれたのは、規格外の出来事であるらしい。
これは……一筋縄では行かないかもしれない。




