8 怪力女傑、水源を探る
その日は大事を取って、宝物殿の前で野営をし、一晩過ごす事にした。
長旅の後に戦闘を行った疲れを癒す意味合いもあったが、何より大きかったのは、妖術師の目的が宝物殿ではないと判明したからだ。
『あいつら、ここらの発掘は適当に切り上げて、さらに奥の方へ進んでるぜ』
そう言ってきたのは、アンジェリカの指輪の宿る時の幽精だ。彼のトンボのような眼は(実際、見た目はトンボだが)、宝物殿での彼らのやり取りを幻視にして映し出していた。
「……なるほど確かに、人員の大半はここを素通りしているな。
奴らがここで襲撃を仕掛けてきたのは、わたし達の目を宝物殿に向けさせ、無駄な時間を使わせようという腹積もりだったか」
「……あのケバい妖術師、何も考えてなさそうに見えて、意外と姑息な手を使ってくるもんだねえ」
ハール皇子は口調こそ呆れ気味だったが、感心したような表情を浮かべていた。
アンジェリカと幽精の助力がなければ、今頃わたし達は誤誘導を見抜けず、誰もいない宝物殿を延々捜索する羽目になったかもしれない。
「ふっ、けどお生憎様だったわね! このアンジェリカ様の目は誤魔化せないわ!
今日はちょっと醜態晒しちゃったけど、明日からは覚悟なさい。星魔女だろうが何だろうが、あたしがギッタンギッタンにしてあげる!」
すっかり元気を取り戻したアンジェリカが、意気揚々と叫んでいた。先ほどまでの落ち込みようが嘘みたいだ。
両極端な気がしなくもないが、わたしとしても沈んだ彼女よりは、明るい彼女の方がずっといい。親身になって励ました甲斐もあったというものだろう。
***
翌朝になると、わたし達は身支度を整え、さらに奥に進むべく歩き出した。
宝物殿の前は開けた大地のため、暗い細道と違い、朝を迎えれば陽光が差し込んでくる。朝日に照らされた遺跡の宮殿も見事な眺めだったが、のんびり鑑賞している時間は取れなかった。
「なんか……ここに来て急斜面多くない?」
「もともとペトラは標高のある崖に築かれた都市だからね、仕方ないね」
高低差が激しい上、道なき道を進む事になる――実質登山に近い感覚だ。
道中、数多くの埋もれてしまった遺跡が目に入る。しかしロクに発掘された形跡も見当たらない事から、妖術師の居所とは考えにくい。
アンジェリカはおろか、ハール皇子ですら疲労の色が濃くなってきた。道が険しい以外にも、問題はあるのだが……
それでもどうにか分け入っていくと、崩れたレンガ壁の上に腰かけた、見覚えのある黒衣の老人の姿があった。
「ひょひょ。どうやら……惑わされる事なく、ここまで到達できたようじゃのう」
「アブドゥルおじーちゃん!」
アブドゥル・アルハザード。ダマスクス出発前にも出会ったが、50年前に魔導書を著した大魔術師だという。つまり本来の彼の肉体は滅び、ここにいるのは残留思念のようなものらしい。
「思ったより早かったのう。もう二、三日音沙汰がなければ、宝物殿にいた過去のわしも呼び起こそうかと考えておったのに」
「そんな事ができるなら、昨日の時点で忠告してくれてもよかったんですが?」
ハールが呆れ気味に言うが、アブドゥルはいやいやと手のひらを振った。
「その予定もあったんじゃが、敵の誤魔化しに気づくのが早かったでのう。意外とやるのう、お嬢ちゃん」
「ではあの妖術師は……この近くの遺跡に潜ったと考えていいんですね?」
わたしが問うと、老人は大きく頷く。しかし一見して、あちこちに建物の痕跡があり、どれが当たりかなど見分けがつかない。
「大丈夫よおじーちゃん! ここまで地形を絞り込めれば、後は時の幽精の力を借りれば――」
「あー、それなんだが、アンジェ」
アンジェリカが早速指輪を使おうとした時、わたしはおずおずと挙手した。
「ここ数日だけでなく、もっと過去の幻視を見る事はできないか?」
『んあ? ま、やろうと思えばできるぜ』トンボの姿をした幽精は答える。『でもなんでまた?』
「ここから先は時間との勝負だ。それに――ペトラ遺跡と言えば、古代ナヴァト人が何百年も生活してきた一大地盤。水源を――割り出せたらと思っている」
ペトラが繁栄したのは、単に高地で攻めにくかったからだけではない。そもそも山というのは、普通に考えれば水の便が悪いのだ。これまで旅してきた印象では、雨の量が多いという訳でもない。
にも関わらず、数千人の古代ナヴァト人が子々孫々に至るまで、ほんの三十年ほど前まで生活できていた。人の営みには水が不可欠――いったいその水は、どこから引いてきたのか?
もちろん、ここまでの旅で手持ちの飲料の残りが心許ないという理由もあるが……戦士として、気になるところだ。戦いにおいて、最も重要なのは補給なのだから。
『なるほど、水源ね。オイラたち幽精と違って、人間は水を飲まないと干からびて死んじまうからなぁ』
そう言って幽精は、虹色の羽根から過去の幻視をわたし達に見せてくれた。
かつては色鮮やかだった生活空間。円形の巨大な――劇場だろうか? 大勢の人々が、古代帝国の名残である演劇や歌劇に夢中になっている。もはや瓦礫と岩の区別もつかなくなっていた場所に、これほどの広大な空間が形作られていたのか。
古代ナヴァトの人々は、このような断崖の高地にありながら、豊富なパンと水、そしてサーカスを満喫していた。そして……今からは信じられないほど高度な技術で作られた、細く長い用水路の位置も見えてくる。
(なるほど……そういう事だったのか)
そして――幻視はつい最近のものにまで切り替わった。妖術師とその一団が乗り込んでいったのは、ちょうど北側に位置する、巨大な聖堂のような遺跡であった。
豆知識:古代ローマ史などで「パンとサーカス」を習うと思いますが、ここでいう「サーカス」とは曲芸をやる見世物の事ではなく、戦車競走が催される円形競技場=サーキットが語源です。




