7 怪力女傑、魔法少女を鼓舞する
わたしの放った拳は、狙い過たず妖術師の顔面に吸い込まれた――かに見えたが。
「ウフフフフ、噂に違わぬ怪力のようねェ、お嬢ちゃん……道理でズルールが敗れた訳だわ」
「!?」
空気を殴ったかのように手ごたえがまるでない。奴の姿は見る間にぼやけていく……幻覚の類か?
「でもねェ、せっかくキレイな顔をしてるのに、ちょっと身体を鍛えすぎじゃない?
アンタが男だったら惚れ惚れする所なんだけど……色んな意味で残念ねェ~」
「……余計なお世話だ。貴様の本体はどこにいる?」
わたしの問いかけに素直に応じるとは思っていない。奴はケラケラと笑い始めた。
「卓越した戦士相手に、無防備な身体を晒すほど自信過剰じゃないわァ。
アタシはすでにペトラ遺跡の中に入っている……悔しかったら追いかけて、アタシを見つけ出す事ね」
その言葉を最後に……偽りの身体は完全に消え去り、後には何も残ってはいなかった。
妖術師の気配が消えると、屍病蠅が操っていた盗賊団の死体も、黒ずんだ灰となって風に吹かれ、跡形もなく飛んでいく。
やがて宝物殿は、先刻までの激闘が嘘のように静寂に包まれた。
いつの間にか日は傾き、すでに夕暮れになろうとしている。
「……逃げられたが、ひとまず安心かな」ハール皇子が言った。
「それよりも、アンジェは? 大丈夫か」
いつも勝気な魔法少女が、妖術師に言われた「星魔女」という言葉ひとつで、あそこまで動揺したのだ。只事ではない。
アンジェリカを見やると、彼女は地面にへたり込んだままだったが……近くに「時の幽精」もいて、落ち着かせようと懸命に魔力を振るっているらしい。やや過呼吸ぎみだった少女も、幾分平静を取り戻していた。
「……アンジェ。奴に何を言われたのか、わたしは知らない。
だがもし、頭に思い浮かべるのも苦痛な話なら、無理をしなくてもいいんだぞ」
わたしとしては、気遣いのつもりでかけた言葉だったが……それを聞いた途端、彼女はゾッとしたような表情を浮かべ、すがるような上目遣いでわたしの顔を見た。
……かけるべき言葉を間違えたか。彼女はここで、わたし達に置いて行かれてしまうとでも感じてしまったらしい。
わたしは少女の手にそっと触れ、しゃがみ込んで目線を合わせ、できるだけ優しい口調で言った。
「アンジェ。敵は得体の知れない妖術師で、奴に対抗するためにはきみの卓越した魔術と、その知識が必要なんだ。
だが次再び相まみえた時、さっきみたいにきみを仲間に引き入れようとするかもしれない。
無理にとは言わないが……わたし達も奴の世迷言について知っておきたいと思ったのだ。でなければ、恐らくわたし達は勝てない」
見捨てるつもりなどない、むしろ頼っている……それは紛れもない本心だ。
やがてアンジェリカは、少しだけ救われたような顔になり……小さく呟くように答えた。
「……うん、もう大丈夫。ありがとね、フィーザ。
星魔女についても、今からちゃんと説明するわ」
***
アンジェリカが言うには、星魔女とは古代パルサの宗教、拝火教に伝わる女悪魔であるという。彼女らは流星にまたがって地上にやってきて、そこで悪事を働く存在らしい。
「ふうん。アンジーがその星魔女ねえ……とてもそんな風には見えないが」
とはハール皇子の弁。わたしもこの件に関しては完全に同意だ。
しかしアンジェリカは違ったようで、まだ言葉の端に震えが混じっているのが分かる。
「あたしも最初は違うと思ってた。でも……よくよく考えると、おかしいのよ。
あたし、未来から来たって話はしたわよね? でもその未来の世界で、どんな風に生まれ過ごしたか……まったく記憶がないの。
友達がいた事はなんとなく、おぼろげに覚えているんだけど……父様も、母様も……分からない。あたしが人間だったなら、両親の記憶があって当然じゃない?」
「いや、そうとも言い切れない。戦災で孤児になる者も大勢いる。
中東はおろか、西方や東方の諸国でもそういう者は必ずいた。己の親の顔も知らずに育った者など、珍しくもない」
などとフォローを入れてみたものの、わたしとしても腑に落ちない点はある。
もしアンジェリカが孤児だというなら、一体誰に魔術を習い、時の幽精を宿す指輪や、小奇麗な衣服や魔力の込められた宝石を手に入れたのか?
そして何より、アンジェリカの生い立ちに関わる話だというのに、さっきから時の幽精がずっと口を閉ざしている事も気がかりだ。彼女の出生や正体は、それほどまでに秘密にせねばならないような大事なのか?
「星魔女というのは邪悪な魔女だそうだが……昔の宗教の話だろう?
スクル教が主流のアルバス帝国じゃ、その名前を知っている人間の方が少ない。そうだろう、ハール」
「……ああ、僕も星魔女なんて言葉は、人形劇や講談師の話からも聞いた事がない」
「仮に万が一……アンジェ。きみがその星魔女だったとしよう」
「!」
「だがそれがどうした? きみの助力があったお陰で、わたしとハールは命拾いをし、帝都を逃れ、こうして旅を続けられているんだ。
少なくとも今のきみは、邪悪な存在などではない。かけがえのない協力者であり、友人であり、仲間だ。違うか?」
彼女の出自など問題ではない。その正体が何であれ、決して見捨てる事はない。
……それは旅を始めた当初から思っていた事で、わたしにしてみれば当然の話だったのだが……こうして口にしてみると、少々背中がかゆく感じる。
とはいえ、アンジェリカにとっては安堵に足る呼びかけであったようだ。
無言でひし、とすり寄って来る少女からは、まだ不安の「炎の色」が完全に消えた訳ではないが……それでも、くすぶり、冷えかかっていた魂に暖かみが戻ったのが分かる。
(この灯を絶やさないようにしなければ)
わたしは彼女の小さな身体を受け止めつつ、改めてそう決意するのだった。




