12 怪力女傑、戦いを制し古都を後にする
あれから中東騎士ズルールの遺体は、秘密裏に焼却された。
病魔を媒介する屍病蠅の苗床に等しかったのだから、仕方のない判断だった。
ハール皇子の演説と、ジャハルによる根回しが功を奏し――ズルール死後の兵士たちの混乱は、幸いにもほとんど起こらなかった。
つい先日まで(濡れ衣とはいえ)お尋ね者として注意深く行動せねばならなかった身としては、ありがたい転機だった。ダマスクスの街はすでに、現聖帝ムーサーではなく、ハール皇子の影響力が巻き返しつつある。将来的には白仮面と相対する重要拠点となる事だろう。
***
翌日になると、もうひとつの朗報があった。
ダマスクスの街にやってきた新たな隊商。新たな帝都からの刺客か――? と身構える者もいたが、それは杞憂だった。
「ヤフヤー殿! ヤフヤー殿ではありませぬか! ご無事で何よりです!」
すでにハール皇子に忠誠を誓っていた警護兵たちは、歓喜の声を上げた。
ヤフヤーというのは、アルバス帝国の元宰相にして、パルサ人の名門バルマク家の当主。つまりハールの親友ジャハルの父親である。要するにこちらの味方だ。
そしてキャラバンの護衛の中に、嬉しくなる顔があった。
「アグラマン! ヤフヤー殿の護衛をしていたのか」
「どーも、マルフィサちゃん。お久しぶりねェ~。また会えてよかったわァ」
歴戦の中東騎士にして、わたしの親友でもあるアグラマン。彼がヤフヤーを護っていたなら、道中の盗賊や魔物といった脅威も問題にならない。
***
今、ダマスクスの街はこれまでと打って変わって人々が活気づき、大賑わいを見せている。
別にわたし達がズルールを倒したから、ではない。断食祭が先日最終日となり、今日から新年祝が始まったからだ。
一週間前に見かけた三人組の子供たちが、ほくほく顔で往来を走り回っているのが見える。
「お~い、待ってくれェ~」
「お前、ラマダンのせいで前より太ったんじゃねえか!? いっつも食いすぎなんだよ!」
「だって~。一日我慢してから食べるご飯、すっごく美味しいんだもん」
「みんな、お年玉は持ったな! これからこの豊富な軍資金で豪遊だぜッ!」
『イェーイ!!』
スクル教徒にとって新年祝は、その名が示す通り新たな年の幕開けであり、それを祝う催しが開かれる。子供たちにはお年玉が配られ、街の店はそれを見越して新年セールを行ったりするのだ。
「お気楽そうでいいわね~お子様は」
そんな事をぼやきつつも、アンジェリカは羨ましそうに彼らを見ていた。
「アンジェもお年玉が欲しいのか?」
「え!? な、何言ってんのよ! あたしはもう立派に大人なんだから、そんなもの――」
「アグラマン達との話し合いまでまだ時間がある。……少ないが、これでしばらく楽しんでくるといい」
わたしがディル銀貨の入った袋を渡すと……最初はバツが悪そうにしていたアンジェリカだったが、結局受け取った。
「しょ、しょうがないわね! フィーザがくれるっていうなら貰ってあげる!」
模範解答のような台詞を残し、魔法少女は嬉しそうに商店街に向かって走っていった。
……さて。わたしにも寄る所があるし、急がなくてはならない。
***
わたし達は今後の方針の為、アグラマンと話し合う事になった。
場所はバルマク家の所有する家屋のひとつ。わたしとハール皇子、アンジェリカ。バルマク家からはハールの親友ジャハルと、その父親ヤフヤー殿。そして二人の護衛役を務めるアグラマンである。
「こちらもそれなりに大変だったが、聖帝ムーサーの手先だった騎士ズルールはわたしが倒したぞ」
わたしがズルールに求婚された事や、その後の決闘、屍病蠅の出現などを語ると、アグラマンも驚いた様子だった。
「……あらあら、そんな事になってたのねェ。やはりズルールも白仮面の息がかかっていたのね」
「あなたも知っているのか? 白仮面の事を」
「ええ。一昨年に処刑されたハズの反乱首謀者にして、邪悪なる魔術師。まさか生きているなんて、ね。
しかも、彼についてはもっと恐ろしい事実があるのよォ」
アグラマンは皆の注目を集めるためか、一旦言葉を切ってから、再び口を開いた。
「ジャハルちゃんの言う通り――今の聖帝、ムーサー殿は別人である可能性が高い」
「! なんだって……!?」
アグラマンの言葉に最も驚いたのは、ほかならぬハール皇子だった。
無理もない。いかに今は対立しているとはいえ、彼にとっては実の兄なのだ。
「直にお会いしてハッキリと分かったわ、ハール殿下。もはや彼は以前のアナタの兄君じゃない。
別人がなりすましている。本物のムーサー殿が今、どこで何をしているのかまでは分からないけれど――」
「――死んどるよ、残念ながらな」
『!?』
突如、その場に集まった中の誰でもない声が、テーブルに響き渡った。
いつの間にそこにいたのか。アグラマンの隣に、黒いローブを纏った小柄な老人がひっそりと座っていたのだ。わたしも数日前、鍛冶屋の帰りに遭遇した――名前は確か、アブドゥルといったか。
「アブドゥル殿、それはまことか」
「あらァ~ホントいっつも、唐突に出てくるわねェ」
「アブドゥルおじーちゃん! どうしてここに!?」
意外だったのは、ヤフヤー殿やアグラマンだけでなく、アンジェリカも老人と面識があった事だ。
しかし何よりも皆を驚かせたのが、彼の言い放った「ムーサーはすでに死んでいる」という発言だった。
「……確かにあのムーサー殿は別人だと思ったけれど」とアグラマン。
「ムーサー殿がこの世にいないというなら、彼になりすましているのは――もしや――」
「――白仮面、か」
わたしがアグラマンの言葉を継ぎ、邪悪な魔術師の名を口にすると……アブドゥルは大きく頷いた。
「ひょひょ。分かっておったようじゃのう、勇ましいお嬢ちゃん」
その場の誰もが絶句していた。
アブドゥルの言葉が真実だとするならば――今聖帝として帝国を牛耳っているのは、アルバス家の人間ですらない、一昨年処刑されたはずの反乱首謀者という事になる。
「信じられん、といった感情が多数を占めておるな。もちろん疑うのは自由じゃ。
じゃがいくらわしの言葉を疑ったところで、事実は覆らん。受け入れるしかないのじゃ。
分かっておろうのう? ヤフヤー。そしてアンジェリカちゃん」
ヤフヤー殿は無言でコクリと頷き、彼の言葉を肯定した。それが決め手となった。半信半疑だった者たちも、この黒い老人の言葉を信じざるを得なくなった。
「帝都マディーンにいるムーサー様が、偽者だというのならば――我らは、奪還せねばなるまい」ヤフヤー殿が厳かに言った。
「我ら帝国の民にとって、真に戴くべき聖帝は……ハールーン皇子様に他ならぬ。
なればこそ、このダマスクスの街を足掛かりとし! 卑劣なる簒奪者を除かねばならん!
偉大なるスクルの神と、栄光あるアルバス家のために!」
『ははあッ!!』
流石は長年バルマク家の当主を務め、ハール皇子の後見人をしてきた人物。言葉の重みが違う。
ヤフヤー殿の力強い宣言に、その場の誰もが感化され、ハールの為に力を尽くす事を誓うのだった。
***
それから――ヤフヤー殿の呼びかけで、主だったダマスクスの有力者を集め、ハール皇子が演説をする事になった。
その時のハールの立ち居振る舞いは流石、一世一代の大演説と呼ぶに相応しく。バルマク家の根回しもあったのだろうが、おおむね好意的に受け止められた。
「ダマスクスの街がこのハールに協力を惜しまぬ事、大いに感謝する。こたびの恩、決して忘れぬ。
しかし今はまだ、表立って帝都に敵対する時ではない。私が再びこの地に戻るまで、雌伏と忍耐を心がけて欲しい」
「それは何ゆえでありますか、殿下?」
「まだ我々は、このダマスクスすら完全に味方につけていない。アルバス帝国の領土は広い!
前線都市アンティオキア、聖地イェルザレム、地中海に面する港湾都市アレクサンデラ……これらの地と民を束ね、兄上の名を騙る簒奪者へ対抗しなければならないのだ!」
ハールの力強い言葉に、有力者たちのほとんどは納得した顔を浮かべた。首尾は上々、といった所か。
その後の話し合いで、ハール皇子はわたし達と共に南下し、最終的にアレクサンデラを目指す事が決定。北のアンティオキアにはハールの親友ジャハルが向かい、太守を説得する任を担う事となった。
そして当面、ダマスクスの治安維持隊長には、死亡したズルールの穴を埋めるため、アグラマンが任命される事も決まった。
「……ジャハル殿。折り入って頼みたい事が」
ハールの演説が終わり、会合も解散となった後。わたしはジャハルにそっと話しかけた。
「……何なりと、女傑殿」
「今日、死んだズルールが養っていた妻二人と会ってきた。彼女たちに罪はない。
どうか未亡人となった彼女たちの、今後の生活が立ち行くように取り計らってはくれないか?」
ズルールは八年前、わたしの家族の命を奪った憎き仇。その事実と過去を覆す事はできない。
だが――そんなズルールを、彼の妻たちは慕っていた。夫の訃報を聞き、流した彼女たちの涙に偽りはなかった。
わたしとの因縁はどうあれ、彼女たちにとってズルールは良き夫であり、誠実なスクル教徒であったのだろう。
わたしの言葉を聞き、ジャハルは微笑みながら答えた。
「了解しました。スクルの神に誓って、ズルールの元妻たちが路頭に迷わぬよう、尽力いたしましょう。
それに彼女たちが許されたと知れば、帝都側についていた人々も心変わりし、ハールの為に戦ってくれるかもしれない」
「――ありがとう。感謝する」
懸念のひとつが消え、わたしは晴れ晴れとした顔でハールやアンジェリカと合流した。
ダマスクスの街を離れ、わたし達の旅路は続く。帝国を簒奪し、中東の地を破滅させようと目論む、白仮面の野望を阻止するために。
(第3章 了)
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第4章は来年1月から開始予定です。




