表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/90

12 怪力女傑、戦いを制し古都を後にする

 あれから中東騎士(マムルーク)ズルールの遺体は、秘密裏に焼却された。

 病魔を媒介する屍病蠅(ナァス)の苗床に等しかったのだから、仕方のない判断だった。


 ハール皇子の演説と、ジャハルによる根回しが功を奏し――ズルール死後の兵士たちの混乱は、幸いにもほとんど起こらなかった。

 つい先日まで(濡れ衣とはいえ)お尋ね者として注意深く行動せねばならなかった身としては、ありがたい転機だった。ダマスクスの街はすでに、現聖帝(カーリフ)ムーサーではなく、ハール皇子の影響力が巻き返しつつある。将来的には白仮面(ムカンナア)と相対する重要拠点となる事だろう。


***


 翌日になると、もうひとつの朗報があった。

 ダマスクスの街にやってきた新たな隊商(キャラバン)。新たな帝都からの刺客か――? と身構える者もいたが、それは杞憂だった。


「ヤフヤー殿! ヤフヤー殿ではありませぬか! ご無事で何よりです!」


 すでにハール皇子に忠誠を誓っていた警護兵たちは、歓喜の声を上げた。

 ヤフヤーというのは、アルバス帝国の元宰相にして、パルサ人の名門バルマク家の当主。つまりハールの親友ジャハルの父親である。要するにこちらの味方だ。


 そしてキャラバンの護衛の中に、嬉しくなる顔があった。


「アグラマン! ヤフヤー殿の護衛をしていたのか」

「どーも、マルフィサちゃん。お久しぶりねェ~。また会えてよかったわァ」


 歴戦の中東騎士(マムルーク)にして、わたしの親友でもあるアグラマン。彼がヤフヤーを護っていたなら、道中の盗賊や魔物といった脅威も問題にならない。


***


 今、ダマスクスの街はこれまでと打って変わって人々が活気づき、大賑わいを見せている。

 別にわたし達がズルールを倒したから、ではない。断食祭(ラマダン)が先日最終日となり、今日から新年祝(イードゥ)が始まったからだ。


 一週間前に見かけた三人組の子供たちが、ほくほく顔で往来を走り回っているのが見える。


「お~い、待ってくれェ~」

「お前、ラマダンのせいで前より太ったんじゃねえか!? いっつも食いすぎなんだよ!」

「だって~。一日我慢してから食べるご飯、すっごく美味しいんだもん」

「みんな、お年玉は持ったな! これからこの豊富な軍資金で豪遊だぜッ!」

『イェーイ!!』


 スクル教徒にとって新年祝(イードゥ)は、その名が示す通り新たな年の幕開けであり、それを祝う催しが開かれる。子供たちにはお年玉が配られ、街の店はそれを見越して新年セールを行ったりするのだ。


「お気楽そうでいいわね~お子様は」


 そんな事をぼやきつつも、アンジェリカは羨ましそうに彼らを見ていた。


「アンジェもお年玉が欲しいのか?」

「え!? な、何言ってんのよ! あたしはもう立派に大人なんだから、そんなもの――」

「アグラマン達との話し合いまでまだ時間がある。……少ないが、これでしばらく楽しんでくるといい」


 わたしがディル銀貨の入った袋を渡すと……最初はバツが悪そうにしていたアンジェリカだったが、結局受け取った。


「しょ、しょうがないわね! フィーザがくれるっていうなら貰ってあげる!」


 模範解答のような台詞を残し、魔法少女は嬉しそうに商店街に向かって走っていった。

 ……さて。わたしにも寄る所があるし、急がなくてはならない。


***


 わたし達は今後の方針の為、アグラマンと話し合う事になった。

 場所はバルマク家の所有する家屋のひとつ。わたしとハール皇子、アンジェリカ。バルマク家からはハールの親友ジャハルと、その父親ヤフヤー殿。そして二人の護衛役を務めるアグラマンである。


「こちらもそれなりに大変だったが、聖帝(カーリフ)ムーサーの手先だった騎士ズルールはわたしが倒したぞ」


 わたしがズルールに求婚された事や、その後の決闘、屍病蠅(ナァス)の出現などを語ると、アグラマンも驚いた様子だった。


「……あらあら、そんな事になってたのねェ。やはりズルールも白仮面(ムカンナア)の息がかかっていたのね」

「あなたも知っているのか? 白仮面(ムカンナア)の事を」

「ええ。一昨年に処刑されたハズの反乱首謀者にして、邪悪なる魔術師。まさか生きているなんて、ね。

 しかも、彼についてはもっと恐ろしい事実があるのよォ」


 アグラマンは皆の注目を集めるためか、一旦言葉を切ってから、再び口を開いた。


「ジャハルちゃんの言う通り――今の聖帝(カーリフ)、ムーサー殿は別人である可能性が高い」

「! なんだって……!?」


 アグラマンの言葉に最も驚いたのは、ほかならぬハール皇子だった。

 無理もない。いかに今は対立しているとはいえ、彼にとっては実の兄なのだ。


「直にお会いしてハッキリと分かったわ、ハール殿下。もはや(ムーサー)は以前のアナタの兄君じゃない。

 別人がなりすましている。本物のムーサー殿が今、どこで何をしているのかまでは分からないけれど――」


「――死んどるよ、残念ながらな」

『!?』


 突如、その場に集まった中の誰でもない声が、テーブルに響き渡った。

 いつの間にそこにいたのか。アグラマンの隣に、黒いローブを纏った小柄な老人がひっそりと座っていたのだ。わたしも数日前、鍛冶屋の帰りに遭遇した――名前は確か、アブドゥルといったか。


「アブドゥル殿、それはまことか」

「あらァ~ホントいっつも、唐突に出てくるわねェ」

「アブドゥルおじーちゃん! どうしてここに!?」


 意外だったのは、ヤフヤー殿やアグラマンだけでなく、アンジェリカも老人と面識があった事だ。

 しかし何よりも皆を驚かせたのが、彼の言い放った「ムーサーはすでに死んでいる」という発言だった。


「……確かにあのムーサー殿は別人だと思ったけれど」とアグラマン。

「ムーサー殿がこの世にいないというなら、彼になりすましているのは――もしや――」


「――白仮面(ムカンナア)、か」


 わたしがアグラマンの言葉を継ぎ、邪悪な魔術師の名を口にすると……アブドゥルは大きく(うなず)いた。


「ひょひょ。分かっておったようじゃのう、勇ましいお嬢ちゃん」


 その場の誰もが絶句していた。

 アブドゥルの言葉が真実だとするならば――今聖帝(カーリフ)として帝国を牛耳っているのは、アルバス家の人間ですらない、一昨年処刑されたはずの反乱首謀者という事になる。


「信じられん、といった感情が多数を占めておるな。もちろん疑うのは自由じゃ。

 じゃがいくらわしの言葉を疑ったところで、事実は(くつがえ)らん。受け入れるしかないのじゃ。

 分かっておろうのう? ヤフヤー。そしてアンジェリカちゃん」


 ヤフヤー殿は無言でコクリと頷き、彼の言葉を肯定した。それが決め手となった。半信半疑だった者たちも、この黒い老人の言葉を信じざるを得なくなった。


「帝都マディーンにいるムーサー様が、偽者だというのならば――我らは、奪還せねばなるまい」ヤフヤー殿が(おごそ)かに言った。

「我ら帝国の民にとって、真に(いただ)くべき聖帝(カーリフ)は……ハールーン皇子(ラシド)様に他ならぬ。

 なればこそ、このダマスクスの街を足掛かりとし! 卑劣なる簒奪者(さんだつしゃ)を除かねばならん!

 偉大なるスクルの神と、栄光あるアルバス家のために!」

『ははあッ!!』


 流石は長年バルマク家の当主を務め、ハール皇子の後見人をしてきた人物。言葉の重みが違う。

 ヤフヤー殿の力強い宣言に、その場の誰もが感化され、ハールの為に力を尽くす事を誓うのだった。


***


 それから――ヤフヤー殿の呼びかけで、主だったダマスクスの有力者を集め、ハール皇子が演説をする事になった。

 その時のハールの立ち居振る舞いは流石、一世一代の大演説と呼ぶに相応しく。バルマク家の根回しもあったのだろうが、おおむね好意的に受け止められた。


「ダマスクスの街がこのハールに協力を惜しまぬ事、大いに感謝する。こたびの恩、決して忘れぬ。

 しかし今はまだ、表立って帝都に敵対する時ではない。私が再びこの地に戻るまで、雌伏と忍耐を心がけて欲しい」

「それは何ゆえでありますか、殿下?」

「まだ我々は、このダマスクスすら完全に味方につけていない。アルバス帝国の領土は広い!

 前線都市アンティオキア、聖地イェルザレム、地中海(メソジオス)に面する港湾都市アレクサンデラ……これらの地と民を束ね、兄上(ムーサー)の名を(かた)簒奪者(さんだつしゃ)へ対抗しなければならないのだ!」


 ハールの力強い言葉に、有力者たちのほとんどは納得した顔を浮かべた。首尾は上々、といった所か。

 その後の話し合いで、ハール皇子はわたし達と共に南下し、最終的にアレクサンデラを目指す事が決定。北のアンティオキアにはハールの親友ジャハルが向かい、太守を説得する任を担う事となった。

 そして当面、ダマスクスの治安維持隊長には、死亡したズルールの穴を埋めるため、アグラマンが任命される事も決まった。


「……ジャハル殿。折り入って頼みたい事が」


 ハールの演説が終わり、会合も解散となった後。わたしはジャハルにそっと話しかけた。


「……何なりと、女傑殿」

「今日、死んだズルールが養っていた妻二人と会ってきた。彼女たちに罪はない。

 どうか未亡人となった彼女たちの、今後の生活が立ち行くように取り計らってはくれないか?」


 ズルールは八年前、わたしの家族の命を奪った憎き仇。その事実と過去を覆す事はできない。

 だが――そんなズルールを、彼の妻たちは慕っていた。夫の訃報を聞き、流した彼女たちの涙に偽りはなかった。

 わたしとの因縁はどうあれ、彼女たちにとってズルールは良き夫であり、誠実なスクル教徒であったのだろう。


 わたしの言葉を聞き、ジャハルは微笑みながら答えた。


「了解しました。スクルの神に誓って、ズルールの元妻たちが路頭に迷わぬよう、尽力いたしましょう。

 それに彼女たちが許されたと知れば、帝都側についていた人々も心変わりし、ハールの為に戦ってくれるかもしれない」

「――ありがとう。感謝する」


 懸念のひとつが消え、わたしは晴れ晴れとした顔でハールやアンジェリカと合流した。

 ダマスクスの街を離れ、わたし達の旅路は続く。帝国を簒奪し、中東(アラク)の地を破滅させようと目論む、白仮面(ムカンナア)の野望を阻止するために。



(第3章 了)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

第4章は来年1月から開始予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ