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10 怪力女傑、炎の力を抑え込み激闘を制す

 このままでは――勝てない。

 中東騎士(マムルーク)ズルールの操る屍病蠅(ナァス)は、わたしの活力を奪うだけでなく、吸収し奴へと還元しているらしい。

 早急にこの力を奪う「黒い霧」に対処しなければならない。そしてその方法は――わたしの中にあり、実践する事は可能だ。


 だが――ここに来て、この街(ダマスクス)に入る前に言われた、ハール皇子の警告が頭の中に蘇った。


『僕はそこまで気にしないけれど、あまり人前でその力を使わないようにした方がいい。

 スクル教だけじゃない。祖神教(ウルズ)西方異教(ヴェルダン)の信者たちにとっても、炎の力(そいつ)はちとシャレにならない。幽精(ジン)憑きなんて話じゃ済まなくなる』


 彼の危惧(きぐ)する理由は、痛いほど分かる。

 この世界の一神教の信徒たちは、死しても魂は滅びず、いずれ全ての人間が救われる「審判の日」を迎える、という教義を信じている。

 「審判の日」を迎える為には、肉体が残っていなければならない。故に彼らが死亡した際の埋葬方法は、基本的には土葬となる。

 しかし肉体を焼かれた場合は別だ。彼らの刑罰で最も重いのは火刑。肉体を火あぶりにされてしまったら、来世での救いを得られないからだ。


 要するに、スクル教をはじめとした一神教の人々にとって、炎は恐怖の対象なのだ。

 彼らの前で、わたしが魔神(イフリート)より授かった「炎の力」を行使すればどうなるか。驚かれるだけでなく、忌むべき悪魔(シャイターン)の娘だ何だと、騒ぎ立てられるのは必定だろう。

 そしてそんなわたしとつるんでいるアンジェリカやハール達が、周囲からどんな目で見られるか……最悪の結末が待っているのは、文字通り火を見るよりも明らかだ。


(向こうが屍病蠅(ナァス)の力を使う以上、わたしの力は吸われ続ける。

 この『黒い霧』を取り払うためには――魔神(イフリート)の炎で焼き尽くすしかないだろう。

 だがそれをして、わたしに炎の力がある事が、他のスクル教徒たちにバレてしまえば――たとえこの場で勝利できたとしても、わたし達の立場は詰む。

 ならば――どうするか?)


 悠長に考えている時間はない。今思いついたこの「方法」を実践するしかないのだ。

 わたし自身、かなりの覚悟を要するが……躊躇(ためら)ってなどいられない!


 わたしは精神を集中しやすいよう、両拳を握りしめ――敵の眼前ではあるが、敢えて目を閉じた。

 わたしの中に宿る魔神の炎の力を呼び覚ます。しかしただ行使するのでは、凄まじい火柱がわたしの全身から飛び出し、忌むべき力が白日の下に晒されてしまう。

 ならば……これらの力を、全て我が身体の内に閉じ込め、その熱だけを放散する!


「ぐ…………おおおおおおッッ!!」


 炎の力を扱う時、我が肉体も絶えず熱に晒されている。それでも炎を外に出しさえすれば、皮膚や筋肉の火傷は最小限に抑えられた。

 しかし今回は敢えてそれを行わず、体の中に押しとどめようというのだ。我ながら無茶な手を思いついたものである。


(しかし、ズルールの屍病蠅(ナァス)を目の当たりにしなければ……そもそも思いつきもしなかったな。

 この手の魔術は、やりようによっては常人の目には見えぬように調整する事もできると知れた。もっともわたしの場合は、能力が能力だけに危険(リスク)は高いが……な)


 普段とは比べ物にならないほどの高熱が、全身を駆け巡る。血液が沸騰するような感覚。意識さえも朦朧(もうろう)としてきた。猛り狂う「炎」が自由を求め、隙あらばわたしの中から出たがっているのが分かる。だが……抑え込まなければ!


「どうしたマルフィサ殿! もはや立っているのもやっとではないか?

 だがこれも決闘である! そなたがいくら弱っていようと……俺が手を緩める事はないッ!」


 ズルールは勝利を確信したのか、暗く歪んだ笑みを浮かべ、半月刀(シャムシール)を構えて突進してきた。一気に決着をつけるつもりなのだろう。

 奴の刃がわたしの喉元に到達しかけた、まさにその時。


 わたしの身体を覆っていた「黒い霧」が、一瞬にして燃え上がり――残らず消失した。


「!?」


 次の瞬間、驚いて動きの止まったズルールの顎に、わたしの放った容赦ない鉄拳が叩き込まれる。不意を打たれた中東騎士(マムルーク)の体勢は大きく崩れた。


「ぶげッ……馬鹿な、まだそんな力が……!? 何をしている(ハエ)ども! もっとマルフィサの力を奪え!」


 焦りを覚えたズルールが、新たな屍病蠅(ナァス)を繰り出してくる。先ほどより遥かに数が多く、黒い投網のようにわたしに覆いかぶさろうとした。

 だがそれらも――わたしに到達する寸前、瞬く間に消し炭と化し、一匹たりともわたしに触れる事は叶わなかった。


「な、何ッ……!?」

「無駄だ。今のわたしに、その汚らわしい攻撃はもはや通じない」


 人は風邪を引いた時、高熱を出す。それは弱っているのではなく、体内に入り込んだ病魔を払い除けるための自己防衛だと聞いた事がある。

 今や全身に魔神(イフリート)の熱を宿したわたしに、疫病を運ぶ蠅は近寄る事すらできなくなっていた。


「お、おのれえッ!」


 もはや屍病蠅(ナァス)に頼れなくなった事を悟ったズルールは、半月刀(シャムシール)で真っ向勝負を挑んできた。


(ズルール……お前は強い中東騎士(マムルーク)だ。家族の仇でさえなければ、惚れてもいいぐらいに思える武人だった。

 なのに、白仮面(ムカンナア)にたぶらかされたのか、それとも利用されたのか……おぞましき蠅の力などに頼らなければ、もっと素晴らしい勝負ができたものを)


 向こうが超常の力を使わないと分かれば、こちらも魔神の力を借りる必要はない。

 わたしは炎の力を抑え――ダマスクス鋼の手甲で、敵の刃を迎え撃った。


 ぎぃんっ!


 互いの得物がぶつかり合う。一瞬、拮抗したかに見えたが……


「ぬおああああッ!!」


 がぎん、と凄まじい破砕音が響き渡る。ズルールの半月刀(シャムシール)は力負けし、砕け散っていた。

 放心したズルールが我に返り、今度は素手での格闘戦を挑もうと肉薄してくる。ここに来てまだ戦意を失わない、その意気や良し!


 刹那。

 わたしの放った右拳は、カウンターとして相手の顎を再び捉えていた。その衝撃は凄まじく、奴の巨体は宙を舞っていた。

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