8 怪力女傑、中東騎士(マムルーク)に鉄拳を振るう
「はあッ!」
決闘開始の合図が下されるや、わたしは馬を駆け一気に距離を詰めた。
元々わたしは近接戦が得意だし、対するズルールは複合弓を選んでいる。遠距離のままでは相手に主導権を渡すに等しく、愚の骨頂だ。
当然向こうもこちらの接近を警戒しており、つかず離れずの距離を保とうとするが……その戦術を維持するには、この闘技場はやや狭い。
ズルールはすでに弓を構え、引き絞っている。しかしこの距離では有効な射撃はできない。
矢が放たれた。なかなかの剛射ではあるが――やはり距離が近すぎる。わたしは馬を操り、難なく矢の軌道をかわした。
「やたっ! 行っけぇフィーザ!」アンジェリカが歓声を上げる。
わたしは槌鉾を振りかぶった。
この槌鉾は馬上で扱う事を想定しており、柄は長く作られている。馬の頭越しに打撃を加える事も十分可能だ。
「くらえッ」
が――眼前のズルールは、目にも留まらぬ速さですでに半月刀に持ち替えており、今度は逃げるどころか逆にこちらに踏み込んでくる!
「!?」
「弓は仕留める為ではなく――そなたを誘うために撃ったのだ」
わたしの読みを遥かに上回る踏み込みの速度。わたしの槌鉾は必殺の間合いを外され、奴の構えた刃がこちらの左肩を切り裂こうと迫ってきた。
がぎん!
どうにか間合いを取り、肩当てで刃の直撃を食い止めたものの、完全には防げなかった。半月刀の刃が肩当てを滑り、わずかに左腕を傷つける。
「くおッ!」
すぐさま反撃のため得物を振るったが、すでにズルールは間合いを離れた後だった。
「なんてヤツ……さっきまで弓を射っていたじゃない!」唇を噛むアンジェリカ。
「アレが中東騎士の真骨頂さ。馬上であらゆる武器を使いこなす」とハール。
「それだけじゃない。馬上でありながら、武器の持ち替えも瞬時に行えるんだ。弓を構えながら刀を振るうぐらい、熟練者なら平然とやってのけるのさ」
「恐ろしいわね……騎士っていうより曲芸師みたい」
いまいち脅威に感じているのかどうか分からない感想を述べる魔法少女。
ともあれ――仕切り直しだ。ズルールの弓はこちらの動きを牽制し、誘導する目的でも使えるらしい。こちらも彼の騎士としての実力を、甘く見過ぎていたという所だろうか。
今度こそ、とわたしは馬を進める。もっと素早く相手に近づき、こちらの間合いに持ち込まなければ勝ちは望めない。
そして数度、打ち合っては間合いを離される事を繰り返す。だがいずれも、ズルールの懐深くに飛び込む事は叶わなかった。
「はあッ……はあッ……」
何度も攻撃が徒労に終わり――わたしは息を荒げる。しかしそれ以上に、馬の動きが鈍り始めていた。
「気のせいか? マルフィサ殿……少しずつだが、間合いを離し過ぎてはいないか?」ジャハルが訝しむ。
「言われてみれば。どんな敵にも物怖じしない彼女にしては、腰が引けてしまっているように思えるな」ハールも同意する。
「え……フィーザ。嘘でしょ。怖気づいちゃったの?」アンジェリカが青ざめて言った。
「もしかして、あのズルールって男――フィーザの両親を殺した仇だから、その時のトラウマが残っているんじゃ……」
消極的になったわたしの攻めを見て、ズルールは大きく笑みを浮かべた。
「逃げてばかりでは勝てるものも勝てんぞ、マルフィサ殿。それともスタミナ切れかね?
そなたは音に聞こえし女傑と思っておったが……その程度か! よもや過去の記憶が仇となり、怯えておるのではあるまいなァ!」
それまでこちらの出方を伺っていたズルールだったが、段々と攻めに転じる場面が多くなってきた。
まだだ。もう少し――もっと大胆に、踏み込んでこい!
「……ようやく、こちらの誘いに乗ってくれたな」
「!?」
本来であれば奴の半月刀の間合い。だが寸前のところで、わたしは退くと見せかけ、逆に馬を前に繰り出した。
「何ッ……!?」
馬が疲弊していた事まで、偽装だとは思わなかったのだろう。電光石火の如く踏み込むわたしの馬の動きに、ズルールは攻め手でありながら完全に不意を突かれた。
「そうか。さっきまでの動きは、相手を自分の間合いに誘うためのフェイクだ!」ハールが叫んだ。
「信じられない! 疲れたフリをして相手の油断を誘うという戦法はよく聞くけれど……馬にまで演技をさせるなんてッ」ジャハルも舌を巻いた。
「そ、そうよね。あのフィーザに限って……仇だろうが何だろうが、ビビって手出しできないなんて、あるハズがない!」
アンジェリカの言う通り。むしろ逆だ。かつての弱く、ろくに戦う術も知らなかったわたしと、今のわたしは違う。八年の間に身に着けた力と技で、己の過去を乗り越える絶好の機会なのだ。
向こうも警戒はしていたのだろうが……これまでの優勢、単調な逃げ腰を装っていたわたしの動きに、無意識の内に気が緩んでしまっていた。
それでもズルールの刃の軌道は鋭い。本来であれば、わたしの左腕を斬り落とすぐらいの威力はあっただろう。
しかしそうはならなかった。わたしは敢えて危険な半月刀の軌跡に飛び込み――それを左の手甲で受け流した。凄まじい火花が上がるものの、手甲には傷一つつかない。それどころか半月刀の勢いは大きく減じ、逆に弾き返すほどであった。
「何ッ!? その手甲、その紋様――もしやダマスクス鋼か!」
「気づくのが遅かったな、ズルールよ!」
しかし敵もさるもの。接近戦で不利と見るや、即座に馬を返し距離を取り、弓の構えに切り替えていた。不安定な体勢から、この切り返しの速さは驚嘆に値する。
わたしも追いすがるが、槌鉾の間合いにはわずかに届かない――だが。
「だあッ!」
わたしは槌鉾を放り投げ、ズルールが構えようとした複合弓にブチ当てた。渾身の力を込めた槌鉾の投擲が弓の弦に引っかかり、もろともに地面に叩き落す。さらに槌頭の部分が彼の脇腹に命中し、身体のバランスを崩した。打撃武器の利点は、鎧の上からでも十分な衝撃を加えられる事にある。
そしてわたしは、馬同士がすれ違う寸前の至近距離で――よろめいたズルールに掴みかかり、組みついた状態から右拳を奴の顎に放った!
「ぐぶッ…………!?」
ズルールとて頑丈な兜で頭部を護っている。だがわたしの鉄拳は、兜の上からだろうと――屈強な勇者をも昏倒させる威力を持つのだ。
「なッ……馬鹿な、ズルール様が……!?」敵側のマムルークたちからも、驚愕の声が上がる。
「ウッソでしょ……日頃から怪力だとは思ってたけど、兜越しに素手で相手をブン殴るなんて……」アンジェリカも呆れたような声を漏らした。
(行ける! このまま畳み掛ければ……!)
わたしは手ごたえを感じ、さらに拳を叩き込むべく追撃しようとした。
ところが――意識が朦朧としかけた騎士は、口から血を吐きつつも……不意に眼球が反転し、こちらを睨みつけてニヤリと笑う。
「むぐッ――」
先刻も嗅いだ「嫌な臭い」が急速に広がり、わたしは不快感に思わず顔をしかめ、一瞬動きが止まってしまった。
次の瞬間。奴の口や脇腹から流れた血から、何やら「黒いもの」が出現し、わたしの目に向かって飛び込んできた。




