7 怪力女傑、決闘の場に赴く
「えっ……それで、決闘の約束を受けちゃったの!?」
あれからわたしは、アンジェリカやハール皇子、そしてジャハルにこれまでの経緯を報告していた。場所は未亡人ガザルさんの家だ。
「ああ。あのままではズルールは、ハール達の身柄を強引に拘束してきかねなかったのでな。
かといって家族の仇とも言えるあの男相手に、素直に嫁入りする訳にもいくまい?」
ズルールは性根こそ腐ってはいたが、それでもスクル教徒である己に誇りを持っているのだろう。
少なくとも断食祭が終わるまでは、本格的な行動を起こしたくないようだった。だからこそわたしとの一対一の決闘などという、悠長な条件もあっさり飲んだのだ。
「心配するな、ハール。アンジェリカ。ここを隠れ家にしている事はバレていない。
奴の事だから、こっそり尾行の兵でもつけてくるかと思ったが……そんな気配すら無かったしな」
「いや、僕が案じているのはそういう話じゃなくて」
ハールはコホンと咳払いをしてから、言った。
「いいのか? 万が一負けたら、きみはズルールの妻の一人になるんだぞ?」
彼の表情からも、「魂の炎」からも――わたしをひどく心配している様子が伝わってきた。
ともすれば、彼自身の危機でもあるというのに、わたしの行く末の方が気にかかるらしい。何とも……歯がゆい気分になるな。
「勝負は時の運。絶対という事はないが……勝つ自信ならある」
わたしは噛んで含めるように答えた。
「それに、あのズルールという男の求婚……まごう事なく本心からのものだった。
過去にいかなる因縁があろうとも、その気持ちに応えるべきだと思った。だから戦士としての決闘を申し出たんだ」
「……呆れたわね。ホントに戦う気なんだ」嘆息するアンジェリカ。
「決闘するフリだけして時間稼ぎして、先を急ぐ準備しちゃえばいいのに」
「わたしにそんな真似ができると思うか? 自分から言い出した決闘をすっぽかすなど」
「……ちぇっ。まあフィーザならそう言うと思ったわ」
アンジェリカは諦めたように、ぱたぱたと手を振った。
「……じゃ、決闘の日は応援しに行くから。よろしくね」
「え。いや、これはわたし個人で勝手に受けた話でな。当日向こうが何人兵を連れているか分からんし、何を仕掛けてくるか――」
「だからこそ、よ。フィーザ一人じゃ、万一ズルールが得体の知れない術を使って汚い工作してきたとしても、対処しきれないでしょ! 何しろ白仮面の手先な可能性高いんだから!」
「マルフィサが決闘するというなら、雇い主の僕も見届ける義務がある!」何故か語気荒く主張するハール。
「……ハール。きみが捕まらないために受けた決闘なんだが?」
「だからといって、安全な場所でぬくぬくと待機してろってのか? 心配するな、ちゃんと変装するから!」
「私も興味があるし、殿下を放っておけない。ズルールの動向も気になるからね」どうやらジャハルまで見物しに来るようだ。物見遊山じゃないんだぞ?
「……ね? みんなフィーザの事、好きなのよ。何言ったって引き留められないんだったら、いっそ一緒にいた方がマシじゃない?」
そういうものだろうか――結局、説得するのも無理そうだったので、最終的にはわたしが折れた。
***
明後日の夕刻。断食祭の最終日。
わたしは指定された兵舎に出向いた。
付き添いはアンジェリカと、変装したハールおよびジャハルだ。
ハールやジャハルはもとより、アンジェリカもスクル教徒のような覆布を身に着けており、極力目立たない従者のような恰好をしている。
ズルールからあらかじめ目印を教えられていたので、場所はすぐに分かった。
中東文字が刻まれた高さ3メートルの巨大な石碑の頂点に、半月刀のオブジェが突き立てられている。
「なんか細かい文字がびっしり書かれてるわね」アンジェリカが興味津々で碑文の文字を読んだ。
「えーと、なになに……『偉大なる神の剣、ハーリド将軍の武勲を讃えん。生涯一度の負けもなく、寡兵を率いて神敵を、幾度となく退けん。まさしく神の恩寵なり』……なんか、メチャクチャ強い人だったのね」
「強いなんてもんじゃない」わたしは答えた。「ハーリド将軍は中東に住む人間なら誰もが知り、誰もが尊敬する、伝説的な最強の武人だ。今のアルバス帝国が広大な版図を勝ち得たのも、彼の活躍あってこそと伝わっている」
「へえー。じゃあフィーザにとっても憧れの人なんだ!」
「まあ、そうなるな」
しかし――いざ兵舎に入ると、アンジェリカの機嫌はたちまち悪くなり、顔をしかめた。
「うっわ……男くさい。鼻が曲がりそう……」
「そりゃいかつい男たちが四六時中、鍛錬しているような場所だからな」
うすうす分かってはいた事だが、兵舎の中の空気は彼女の想像の上を行っていたらしい。早くも中に入った事を後悔しはじめたようだ。
「…………む」
わたしも兵舎にはよく出入りしているので、この手の臭いには慣れているつもりだったが……今日はどういう訳か、いつもと違う不快感を覚えた。
心なしか先日ズルールから一瞬だけ感じた、奇妙な臭いに似ている気がする。
(アンジェが嫌がるのも、少し分からんでもないな。
どうもこの兵舎……わたしが知っているものとは違う雰囲気がする)
そうこうしている内に、決闘の場となる練兵場にたどり着いた。打毬の競技場ほどではないが、馬を走らせるには十分な広さだ。
先ほど通った廊下などと違い、天井は吹き抜けになっており換気も利く。これで「奇妙な臭い」とやらも多少マシになるだろう。
「待ちわびたぞ、マルフィサ殿。よう参られた」
ズルールはすでに来ており、肩慣らしにすでに馬に乗っていた。周囲には彼の部下と思しき中東騎士が五人いる。従者らしき若者二人を含めると、向こうの取り巻きは計七人。
「決闘の形式はどうする? そちらが望むなら、平和的にポロでも構わんが」わたしは言った。
「くくく。そういうのも悪くはないが……やはりそなたの実力を最も肌で感じられるであろう、一騎打ちを所望する!
馬と得物はこちらで複数用意しておいたゆえ、好きなものを選ぶがよい!」
ズルールが示した先には、武骨な武器が並んでいる。どれも何の変哲もない、一般的で実用的なものばかりだ。
わたしは幾つか手に取ってみて、重量とバランスが最も手に馴染んだ槌鉾を選んだ。
「ほう――そのような重い武器を選ぶとはな」
「そうか? このぐらいの方がわたしにとっては扱いやすい。威力もある」
そう言って、わたしは軽く槌鉾を振り回した。一振りしただけで風鳴りが響き、ズルールの取り巻き騎士たちがどよめく。
この様子では、連中はわたしの事を女だと思って甘く見ていたようだ。しかし――当のズルールだけは顔色ひとつ変えず、むしろニヤリと笑みを浮かべている。
次に馬を選ぶ。公平を期すため、こういった一騎打ちの際はできる限り均等な実力の馬を並べる。
こちらもどれを選んでも大差はない。わたしは黒毛の中東馬を選んだ。愛馬に比べればやや小ぶりだが、地に足のついた頼りになりそうな眼をしている。
対するズルールは、幅広の半月刀と複合弓を選び、精悍な葦毛の中東馬に乗った。
「え……何アイツ。刀と弓を同時に使おうっての?」アンジェリカが言葉を漏らす。ズルールの武器選択に驚いたようだ。
「ズルールもれっきとした中東騎士。しかもダマスクスのような大都市の警護隊長に任命されるだけの実力者だ」とハール。
「馬上で複数の武器を同時に扱うのは、マムルークのたしなみさ。
連中は基本的に少数精鋭で、あらゆる状況に対応しなきゃいけない。だからどんな武器でもそつなく使いこなすんだ」
「えぇえ……いくらフィーザの力が強くても、そんなとんでもない奴にホントに勝てるのかしら……」
互いに武器と馬を選び終え――いよいよ、わたしの未来を賭けた決闘が始まる。




