5 怪力女傑、結婚を申し込まれる
「ひょひょ、そう怖い顔をせんでくれ。愛らしい顔が台無しじゃぞ」
「……誰だ、と聞いているのだ。いつからそこにいた?」
「人に名を尋ねる時は、まず自分から名乗るもの……ではないかね?」
老人はからかうように笑って、片目をつぶって見せる。
「……それもそうだな。わたしはマルフィサ。見ての通り戦士だ」
「ひょひょ。ワシの名はアブドゥル。ま、今はただのつまらん魔術師じゃよ」
茶目っ気があるようにも思えるが、わたしはそんな風には受け取れなかった。この老人――魔神の力をもってしても、言葉の炎を感じ取れない。
今までこんな事はなかった。ハール皇子や魔法少女のアンジェリカ、人ならざる喰屍獣どころか、実体を持たない幽精ですら、発した言葉や心の「炎」の揺らぎを見る事ができた……にも関わらず、このアブドゥルなる男には炎どころか、煙一つ立たないのだ。
「不安そうじゃのゥ、お嬢ちゃん。まァ無理もないかの?
確かにワシの『心の炎』を読み取る事はできんじゃろう」
「! わたしの力についても知っているのか……!?」
「ひょひょ。ちょいとお主の内なる声に尋ねただけじゃ。大した話ではないわい。
なのでワシの言葉しか、判断材料にはならぬ。信じて欲しいと言っても、そうはいかぬであろうなァ。
何しろ人という連中は『嘘がつける』、世にも珍しい生き物じゃからして」
絶句するわたしを前にして、老人はまっすぐにこちらを見据えてきた。
「余り時間がない。今からそなたに厄介事が起こる。もうすぐそこまで来ておる。それを言いにきたのじゃ。
信じる信じないはお嬢ちゃんの自由じゃが……ここはひとつ、信じてみてはくれぬかのォ~」
「……ひとつ訊きたい。なぜあなたの『炎』は見えないのだ?」
「今ここで答える必要はない――いずれ分かる事じゃし、ワシの口からは言えぬ。
ただ……ワシはそなたらの敵ではない。……おっと、長話が過ぎたようじゃの。ではまたな、勇ましきお嬢ちゃん」
アブドゥルなる老魔術師は、一方的にそれだけを言うと……忽然と消えた。まるではじめから、そこにいなかったかのように。
そして――わたしの目の前に、一人の背の高い男が近づいてきていた。禿頭で筋骨隆々の男。年の頃は四十代に入った所だろうか。
「……マルフィサ殿だな。随分と探したぞ。
俺の名はズルール。このダマスクスの治安維持を任されている中東騎士だ」
ズルール! よもや、こんな形で巡り合う事になるとは。
「わたしの名と顔を知っているのか」
「もちろんだとも! そなたの高き武名はこのアルバス……いや、中東でも轟いておる。
三年前、西方諸国との大戦があった時など……マルフィサ殿は若き女性でありながら、数多の武功を上げ、そして数多くの怪物を退治せしめた!
常々一度、お目にかかりたいと思っておったのだ」
……予想していた態度と大分違うな。わたしは内心困惑した。
確かにこのズルールという男、わたしの「戦士としての顔」は知っているようだが……それ以前の顔をまるで知らないように思える。
もしや八年前にわたしの家族を皆殺しにしたのは、実はこの男ではないでは? と訝しんでしまうほどだ。
「……ならばわたしが此度、帝都でしでかした事も知っているのでは?」
「うむ。残念ながら聞き及んでおる……が、立ち話も何だ。
あちらに昼間でも利用可能な兵士専門の酒場がある。向こうで話そうではないか」
こうして鉢合わせしてしまった以上、すっとぼけるのも無意味だろう。
こうなる予感はしていた。少しでもわたしの事を知っていれば、鍛冶職人の工房に出入りする事も予想がつくだろうから。ハールやアンジェリカらが一緒にいないのが救いか。
***
「……単刀直入に訊こう。わたしを逮捕しないのか?」
酒場に入るなり、わたしは大胆な質問を浴びせてみた。
兵士専門の酒場――とはいえ、昼間だからか、たむろしている兵の数はそう多くない。
それどころか、わたしの事などまるで眼中にないかのように振る舞っている。
「こちらにも事情があるのだ」とズルール。
「いくらアルバス帝国が優れた情報伝達手段を持っていても、俺がダマスクス警護隊長に任命されてから一週間と経っておらぬ。
ましてや俺は、先代聖帝マフスールの覚えはめでたくなかったからな……新参の成り上がり者の命令に、大人しく従う兵はそう多くはないのだよ。
加えて今は断食祭だ。この時期のスクル教徒の兵どもは、昼間まったく役に立たん」
新たな警護隊長はそう言って、深々と溜め息をついた。
意外と世知辛いものだな。アルバス帝国は西方諸国と違い、優れた官僚と常備軍を持つ先進的な国家だというのに。
「しかし――今すぐここでそなたを捕らえない理由は、もうひとつある。俺にとってはそちらの方が重要なのだ」
「? どういう事だ?」
「マルフィサ殿、率直に申し上げよう。このズルールの第三の妻となる気はないか?」
「な――――」
禿頭の武骨な男の口から洩れたのは、わたしにとって予想外過ぎる提案だった。
「何を言っているのだ……正気か?」
「もちろんだとも。そなたの武勇伝を聞き、俺は密かにそなたを慕っておった。まさに女傑と呼ぶに相応しき勇者よ!
こたび逃亡した罪人・ハール皇子に付き従ったのにも、何か特別な事情があるのであろう?
もし俺の申し出を受け入れてくれるのであれば……スクルの教えにのっとり、他の二人の妻と平等にそなたを愛する事を誓う。
そしてハール皇子の処遇も、決して悪いようにはせぬよう、俺から現聖帝に口添えする事も約束しようではないか」
本来であれば、即座に鼻で笑って一蹴するような、馬鹿げた申し出だ。
だが今のわたしは、言葉に詰まって拒絶する事ができなかった。魔神の力を借り、この男の「魂の炎」を見た結果――おぞましい事に、彼の言葉は真実だった。
つまりわたしを慕い、妻に娶ろうという彼の言葉は本物だという事だ。こいつはわたしの家族の仇だというのに!




