3 怪力女傑、公衆浴場に行く
「ちょっ、モガモガ! あがっ……!」
「おとなしくしろ! 金目のモン全部出しやがれ!」
さほど離れていない裏通りで、アンジェリカと名乗った少女は、三人のならず者に羽交い絞めにされていた。
彼女、魔法使いだとか名乗っていたが――不意打ちで動きを封じられてしまっては、なす術もないようだ。
「おい、何をやってる。離してやれ」
わたしの鋭い声に気づくと、男たちはギョッとして振り返り、面倒くさそうな顔をする。
「なんだァ? お前、こいつの護衛か?」
「いや。まったく赤の他人だが」
「ならすっこんでな。分け前ならやらねェぞ」
彼女が不用心かつ、世間知らずだったのは否めないが――大の男が三人がかりで、年端も行かない少女を手籠めにしようとしている――これを見過ごすのは流石に寝ざめが悪い。
近づいてくるわたしに対し、流石に警戒したのか。ならず者たちは少女の首を掴み、これ見よがしに叫んだ。
「それ以上、こっちに来るんじゃねえ! このガキがどうなってもいいのか!」
「別に。さっきも言った通り、赤の他人だからな」
「ンなッ……!」
冷たく言い放つと、彼らも虚を突かれたのか、動きが一瞬固まる。
それで十分だった。わたしは一気に間合いを詰め、アンジェリカを捕まえている男の腕の肘を思い切り叩き上げる!
「ぎゃああああッ!? いィ痛でェェェ……!?」
「あ、兄貴ィ!」
わたしの踏み込みを、男たちはまったく目で追えていない。兄貴分らしき男の右腕は、関節が反対方向に折れ曲がっており、たちまちうずくまって悲鳴を上げた。
怒りに我を忘れ、残る二人もわたしに挑みかかってくるが……まあ、過程をわざわざ述べるまでもない。奴らは場末のチンピラ程度の実力しかなく、瞬く間にわたしの鉄拳で叩きのめされた。
「くそっ! 覚えてやがれ!」
捨て台詞までもがチンピラ同然で、ならず者たちはほうほうの体で逃げ去っていった。
「あ、ありがとう……助かったわ」アンジェリカは茫然としながらも、意外と素直に感謝の言葉を述べた。
「何。礼を言われるほどの事はしていない。……はむ。確かに美味だな、この蜂蜜漬け棗椰子は」
「あー!? アンタいつの間に……! あたしの勝手に食べないでよっ!?」
「救助の報酬代わりだ。一個くらい安いもんだろう? ご馳走様」
「意外と図々しいわねアンタ……食べるなら食べるで、ちゃんと許可取りなさいよっ!」
デーツを一切れ食べ終え、わたしは言った。
「下手に金持ちっぽく振舞わない方がいい。帝都といえど、ああいう不心得者がいくらでも湧くからな。
アンジェリカ、だったか? アンジェと呼ばせてもらうぞ。これに懲りたら、親御さんの所に帰るんだな――」
「う、うるさいわねっ! アンタにあたしの何が分かるのよ!?」
どうやらわたしの言葉が気に障ったらしく、アンジェリカは機嫌を損ねて声を荒げた。
ふと、表通りでガチャガチャと騒々しい音が聞こえてきた。どうやら衛兵たちが騒ぎを聞きつけ、先ほどの連中を追い立てているようだ。
「やばッ! 衛兵こんな所にまで。面倒な事になったわね……!」
「え? きみ、他にも後ろめたい事、何かやってるのか?」
「そ、そうじゃないけど! あいつら何故か、あたしを見るなり追いかけ回してくるし……!
ちょっと子供だましな魔術を目の前で使っただけなのに、なんであんな目くじら立ててくるのかしら」
どう考えても、追われる原因は魔術だろう。スクル教に限らず、宗教国家は魔法や魔術の類をあまり歓迎しないからな。
「……とりあえず、連中をやり過ごしたいんだな?」
「うん、そうだけど……」
「じゃ、わたしと一緒に来るといい。連中とやり合ったせいで、わたしもだいぶ汚れてしまったしな。
せっかくだし『ハマム』に行こうじゃないか」
「え……ハマム? 何それ」
信じがたい事だが……この少女は帝都にいながら、「ハマム」を知らないらしい。
「知らないんだったら、わたしがハマムについて教えよう。衛兵に見つかりたくないだろう?
心配しなくてもいい。料金はきみの分もわたしが出そう」
わたしが提案すると、アンジェリカは怪訝そうな顔をしながらも、うなずくのだった。
***
わたしとアンジェリカは、衛兵たちをやり過ごした後、近くにあった公衆浴場を通りがかった。
これもこの国では庶民的な施設で、国民の大半を占めるスクル教徒は綺麗好きで知られている。「父なる大河」ティグラを擁し、水も豊富な都マディーンともなると、浴場の数は数百にも及ぶそうだ。
長旅の汚れや、一日の労働の疲れを癒したい。そんな衝動に駆られた者たちは、皆こぞって公衆浴場の暖簾をくぐるのである。
「あー。ハマムってお風呂屋さんの事だったのね」とアンジェリカ。
「見た事はあるのに、今まで一度も入った事なかったのか?」
「……だって、なんかいかがわしいお店のような気がしたんだもの」
わたしの問いに、少女は口を尖らせてそっぽを向いた。
「いらっしゃい。男はこちら。女はあっちの暖簾だよ」浴場の親方が愛想笑いを浮かべ、わたしを男性用の風呂場へ案内しようとする。
「すまない親方。わたしはこう見えても、れっきとした女なのだが」
「な、なんですと……? これは失礼。余りに美丈夫な体格だったものですから」
親方は慌てて言ったが、わたしの姿を見ても半信半疑だった。
まあ無理もない。戦士として生きており、スクル教に帰依している訳でもないわたしは、一般的なスクル教徒の女性のように覆布で顔を隠していないのだから。
わたしは貴重品の類を親方に預け、女性用の風呂場へ向かうと更衣室で衣服を脱いだのだが……
「……ちょっ!? フィーザ、アンタ何ぜんぶ脱いじゃってるのよっ!? 恥ずかしくないの?」
アンジェリカが顔を真っ赤にして抗議してくる。
異国の出身だからか、わたしの名前の発音も「マルフィサ」から若干変わってしまっているが……いちいち咎めない事にした。フィーザという響きも悪くない。
「……? 別に。旅している時は、従者に衣服の着替えを手伝ったりしてもらうし。自分の裸など見られ慣れている」
「で、でもっそんな……いきなりっ……!」
「公衆浴場じゃこれが普通だぞ。服を着たまま入浴するのは禁じられているしな」
男性は腰布をつけるのがマナーだが、女性は何も身に着けずに入浴するのが通例だ。
「……それってつまり、あたしも裸になんなきゃいけないって事!?」
騙された、と言いたげな顔をしてプルプルと震えているアンジェリカ。
「何を恥ずかしがっている? ここには女しかいない。……まあ、子供なら布を身に着けて入るのも、きっと許してもらえるだろう」
「~~~~ッッ……あたし子供じゃないしっ! わ、分かったわよ! こうなったら覚悟を決めるわっ!」
……よく分からないが、少女は自分の頬を両方から思いっきり平手打ちすると、真剣な表情をして服を脱ぎ始めた。
他の入浴客の女性たちから、驚きと羨望の眼差しが向けられる。主にわたしに対してだ。まあこの反応も珍しい事ではないので、慣れてはいるが。
心地よい香り漂う蒸し風呂で汗を流す。最初は不満そうにしていたアンジェリカも、恍惚とした表情で風呂を楽しんでいる。ひとまず安心だ。
蒸し風呂の後は、あかすり師がやってくる。女性客には当然、女性のあかすり師があてがわれるのだ。
「お客さん、引き締まったステキな身体ねェ~。これは気合を入れてマッサージしなくっちゃね」
「ああ、頼む。並大抵では物足りないからな。いつもよりキツイぐらいが丁度いい」
公衆浴場のあかすり師たちのマッサージは手荒だとよく言われるが、その分心地よい。
「痛だっ、痛たたたたっ!? ちょ、もうちょっと……優しく……あひィッ」
一方のアンジェリカは、全身を赤くしてヒィヒィ言っていた。初の浴場マッサージながら、いささか厳しい洗礼となってしまったようだ。
***
入浴が終わると、辺りはすっかり日が暮れていた。心も身体も満足した状態で、わたしは代金であるディル銀貨四枚(二人分)を支払い、浴場を後にしようとした――その時だった。
アンジェリカが突如、真剣な面持ちになり……夕闇の中、一人で先を歩き出す。
「? どこへ行くんだ?」
「フィーザ。ゴロツキから助けてもらったし、お風呂もおごってもらったから、アンタには感謝してる。
でも今日は、ここでお別れ。あたしにはやるべき事がある。アンタを巻き込む訳にはいかないわ」
少女は振り向きもせずそう言うと、制止する間もなく……姿を消してしまった。
注意深く見ていたつもりだったが、アンジェリカの気配はどこにもない。魔法使いだと言っていたのは、本当だったのか。
仕方なく、わたしは夜闇の中を進んだ。
昼間あれだけいた人だかりは嘘のように消え失せ、周囲に人の気配はない――そう、人の気配は。
突如、獣じみた鋭い殺気と共に、わたしに「何か」が振り下ろされた。
わたしは間一髪、素手でその「刃」を払い除け、距離を取る。
闇の中に、得体の知れぬ翼の生えた獣がうずくまっていた。こいつがどうやら、わたしを襲ったらしい。
「夜の公衆浴場には幽精が出る」とは言うが。つくづく怪異に縁があるようだ。