1 怪力女傑、断食祭(ラマダン)を体験する・前編
わたし達の前に見えてきた、古都ダマスクス。
砂漠の長旅を終えた者にとっては、肥沃で活気に賑わう、世界のどこよりも救われる巨大なオアシスといったところだ。さしたる障害もなく昼間の内にたどり着けたのはまさに、天の采配だろう。
「すっごい! 大きいわね! 帝都マディーンと同じか、それ以上に大きいじゃない!」
魔法少女のアンジェリカがはしゃいだ声を上げた。彼女はダマスクスが初めてなのだろう。大喜びするのも無理はない。
彼女の隣では、20歳前の若者――ハール皇子がニヤニヤしていた。彼はこの広大なるアルバス帝国、第二皇位継承者だったが……新たに聖帝となった兄ムーサーから濡れ衣を着せられ、追われる身となって身分を隠している。
しかしその割には……今の彼には余裕があるように見える。さして周囲を警戒してもいないようだ。
「どうしたハール。随分嬉しそうだが。あまり気を抜かない方がいいんじゃないのか」
「いや。気を張らなくていい時はリラックスした方がいい。四六時中張り詰めていたら疲れるし、いざという時対処もできないだろう?」
「……まだ昼間だというのにか?」
「『昼間だからこそ』さ。『今の時期』は特にね」
「…………? そうなのか?」
「それにさ。街に着いた時、アンジーがどんな顔するか見ものだなぁって。
彼女が喜んだままでいられるか、それともガッカリするか。いっちょ賭けてみないか? マルフィサ」
お道化た様子で少年皇子は申し出てきたが、わたしは首を振った。
「遠慮するよ。というかそもそも、スクル教的に賭け事は禁忌じゃなかったのかい」
「相変わらずおカタい事言うねぇ~。いいじゃんマルフィサ! きみはスクル教徒じゃないんだしさ。
……と、そうだ。言いそびれていたけれど……アンジーから聞いたよ。きみ、炎の力が使えるようになったんだって?」
「…………ああ」
わたしが答えると、ハールの表情から途端に笑みが消えた。
「僕はそこまで気にしないけれど、あまり人前でその力を使わないようにした方がいい。
スクル教だけじゃない。祖神教や西方異教の信者たちにとっても、炎の力はちとシャレにならない。幽精憑きなんて話じゃ済まなくなる」
「……それもそうだな。気をつけよう」
彼が懸念している理由はよく分かる。下手をすれば、わたし自身が迫害されかねない。
わたしの返答に一応満足したのか、ハールは元の気の抜けた笑顔に戻った。
***
わたしもようやく、街の様子が一カ月前に立ち寄った時と違っている事に気づいた。
静かなのだ。昼間だというのに、これだけ大規模な都市にしては……活気が無さすぎる。
近づくにつれ、アンジェリカも雰囲気が異様なことに勘づいたらしく、首を傾げている。
「ねえ……フィーザ。皇子さま。なんかこの街、おかしくない?
真昼間だっていうのに、人がほとんど出歩いていないような……もしかして、何かあったのかしら。
まさかもう白仮面の手が伸びていて、恐ろしい事件に巻き込まれているとかじゃ……!?」
嫌な想像を膨らませたのか、青ざめるアンジェリカ。ちなみに白仮面とは、わたし達が敵対する魔術師の名だ。
そんな彼女の様子を見て――ハールは可笑しくてたまらなかったのか、腹を抱えて笑い出した。
「ちょっと皇子! いったい何がおかしいのよ!?」
「いや、心配は要らないさ。今の時期、ダマスクスが静かなのは何もおかしな事じゃあない。
君たちはスクル教徒じゃないから、いまいちピンと来ないかもしれないが――今月は断食祭なんだよ」
***
「あ、ふぁい。三人ね。旅行目的で、数日間ダマスクスに滞在をご希望と。
ハイ。いいですよ。どうぞゆっくりなさってって下さいな。ふあぁ……」
都市の出入りを取り仕切る門衛は、実に気だるそうな様子でわたし達の入城を許可した。
眠たげでやる気の無さそうな門衛の男に、アンジェリカは拍子抜けしたらしく――こっそりハールに耳打ちしていた。
(いったいどうなってんの? この兵隊さん、全然ダラけてるじゃない!)
(しょうがないさ。もう三週間以上も断食祭が続いてるんだし、彼もきっと寝不足なんだよ)
「……随分、お疲れのようだが?」わたしはそれとなく話しかけてみた。
「ああ、すいませんね。ここんとこ断食祭続きで、徹夜しては昼寝してるような毎日でねえ。
でもちゃんと仕事はしてますよォ~。この時期、厄介ごとが起きるといったら日没前か、真夜中と相場が決まってるんで。ふわっはっは……」
早馬ですでに、ハールやわたし達の手配書が回っているという話だったが……そんな事どこ吹く風といった様子で、あっさりダマスクスに入る事ができた。
何らトラブルもなかったのは喜ばしい事だが、わたしも正直、アンジェリカと同じ気持ちだ。
「フィーザはラマダンがどんなのか、知ってるの?」
「詳しくはないが、噂程度には。約一ヶ月にわたって修行と称し、太陽が出ている間は一切の飲食を断つ行事だと聞いている」
時期的に考えると、断食祭が始まったのはちょうど、わたし達が帝都マディーンを脱出した直後という事になる。
以前わたしがダマスクスに立ち寄った時は気にも留めなかったが……言われてみれば、心なしか住民たちはせわしなかったように思えた。それも全て断食祭の準備のためだったのか。
「スクル教徒なら全員参加なんでしょ、ラマダンって。ハールも断食しなきゃいけなかったってこと?
その割にはキャラバンと一緒に旅してた時、昼間っからパクパク何かつまんでたよーな気がするけど!」
「おいおい、偏見だなぁ。あくまで断食祭の参加は任意であって、強制じゃないよ。
食事を抜いたら命に関わる子供や老人、それに旅行者や軍人たちは『無理してラマダンせずとも良い』と、預言者スクルージもおっしゃってるのさ」
ハールの言うように、きちんと例外もあり融通の利く制度のようだ。
それにしてはあの門衛、しっかり断食に参加していて半分眠りこけていたが。
「……ひょっとして、今街が静かなのって」
「日中は食事どころか、水を飲むのも厳禁だからね。無理して起きていてもしんどいからさ。
断食祭になるとたいていのスクル教徒は、昼の間ずっと寝て過ごしたりするんだよ」
「何よソレ……夜になったら食事してオッケーになるんでしょ?
昼間寝てるんだったら結局、食っちゃ寝してるだけじゃない! それのどこが修行の一環なのよっ!?」
かくいうわたしも断食祭の様子をつぶさに見るのは、今回が初めてだ。
何となく「辛く苦しい断食を耐え忍ぶ、厳格なスクル教徒たちの修行」というイメージしか持っていなかったのだが、実態は全く異なるらしい。それはそれで、面白そうではあるが。




