騎士隊長、老魔術師に出会う
※アグラマン視点です。
帝都マディーン。
聖帝ムーサーに謁見したあの日以来、アタシは騎士隊長としての肩書はそのままだったものの……あからさまに閑職同然の立場に追いやられた。
(すっかりヒマになっちゃったわねェ。やる事といったら、ジャハルちゃんの父親の護衛役と称して一日中つきっきりでいるぐらい。
そう言えば、あれからジャハルちゃんの姿も見かけないけど……?)
アタシはそれとなく、ジャハルの父ヤフヤーに仕える召使いたちに尋ねてみたが――彼は火急の用件とかで、昨日すでに帝都を発ったらしい。
「聖地に急いでるってワケでもないわよねェ? 巡礼隊商の出発はもう数日先の話だし」
「ジャハル様の事です。女にせがまれて、会いたくなったとかじゃねえですかい?」
召使いはそんな事を言って笑う。まァ確かに、ジャハルちゃんの女好きは有名だし、仕事をほっぽり出して逢引きなんて今に始まった話でもない。
しかし……親友のハール皇子が追われる身となった緊急事態に、そんな呑気な真似をするような男とも思えない。
(もしかして、マルちゃんやハール殿下の行き先が分かったとか……?
それならそれで、アタシに一言声をかけてくれても良かったと思うけれど)
アタシが召使いと別れ、建物の外を見やると――何やら怪しげな気配がこちらに向かってくるのが分かる。
「こんな真昼間から、殺意を隠そうともしないとは。随分と大胆な刺客じゃないの」
アタシの前に現れたのは、フードを目深に被った下層民らしき人影が二つ。門衛をしていた見張りは何をしているのかしら?
……不意に血の匂いが濃くなる。コイツ等の口から、不釣り合いに大きい不気味な牙が覗いた。
耳障りな雄叫び。まるで調律の狂った木琵琶の弦を、力任せに引き千切ったかのよう。フードの中から不可解な軌跡を描いた刃が複数、アタシに向かって飛び出してきて――それらは全て、アタシが抜いた半月刀によって叩き落された。
刺客たちは獣じみた驚きの奇声を上げる。動きの止まった刃を握る腕は、明らかに人の「それ」ではなく、ヌメヌメと輝き触手めいていた。
所詮人間だと、こちらを侮っていたのだろう。残念だけれど、コケにしすぎよね。人外の化け物だか何だか知らないけど、ここ数日この手の怪異には慣れっこなのよ、アタシ。
「この調子じゃ、人間の言葉も通じないかしら? じゃ、手加減しなくてもいいわね」
奴らは見張りを殺して強引に押し入ろうとした。どのみち生かしておく理由はない。
アタシは敵が体勢を立て直す前に、新たに引き抜いた舶刀二本を使い、奴らの身体にそれぞれ突き刺した。
最初に切り結んだ際に、心臓の位置は大体割り出した。実体を持たない幽精とかでもない限り、これで大抵は何とかなるハズ。
二匹の化け物は前のめりに倒れた。鼓動が聞こえないところを見ると、どうやら上手くいったらしい。
倒れ伏した刺客の姿を確かめようとしたが、フードを取った途端、中身はボロボロの木炭のように崩れ去った。いつぞや夜中に暴れていた魔物どもと同種か。まったく、こいつら証拠が残らないから厄介よね。だからこそ刺客として差し向けるのに最適なんでしょうけれど。
「ひッ……ひいッ!? 何じゃこれはァ!」
さっきの召使いが悲鳴を上げる。どうやら殺された門衛の死体に気づいちゃったみたいね。
「さっきのも見てたわよね? アナタ。早いところ、ヤフヤー様に報告してちょうだい。
これ以上、ノンビリ帝都の屋敷に構えている訳にもいかなくなったようだし」
「……は、はいッ! アグラマン様!」
アタシに促され、慌てて屋敷の中へ走っていく召使い。
やがてアタシもヤフヤー様に呼び出され、荷造りを手伝うよう言われた。
「やはりジャハルの言う通りだったようだな。これより我らバルマクの一族は帝都を離れる。
ここはもはや危険だ。栄光ある帝都は――いずれ遠からず、幽精の跋扈する魔都と化そう」
「……あらあらあら。現実主義のヤフヤー様ともあろうお方が、随分と幻想的な事をおっしゃるのねェ」
普段の彼からは一生聞けないような単語が飛び出したので、思わずアタシも目を丸くしちゃったわ。
しかし――ヤフヤー様の口調も表情も真剣そのもの。そもそも彼から、冗談の類を未だかつて一度も聞いた事がない。厳つい髭面の見た目通りな人物なのよね。
「わしも最初は信じておらなんだ。君子たるもの、怪異の類を語るものではない。だが――
どんなに馬鹿げたものでも、この目で見たものであれば……信じるしかない、という事だ」
「その目で、ご覧になったのですか……? ヤフヤー様」
バルマク家の現当主にして、ハール皇子最大の後ろ盾である大老は、アタシの言葉に大きく頷いた。
「ひょっひょっひょ、そういう事じゃ」
「!」
不意に奇妙な笑い声と共に――アタシとヤフヤー様の間に、小柄な黒いフードを被った人影が現れた。
しゃがれた声からすると、ヤフヤー様よりさらに年上だろうか。しかし……いつの間にここにいたのかしら? さっきまでは絶対にいなかった。にも関わらず、この部屋にはじめから居たかのように自然に佇んでいる。自分で言うのも何だけど、それなりに場数を踏んでいる中東騎士であるアタシにも気取られないなんて……
「のうアグラマンよ。警戒したくなる気持ちは分かるが……ひとつ信じてくれんかね?
少なくともワシは敵ではない。お主らの味方じゃからなぁ」
「……ヤフヤー様が信じるぐらいだもの、さぞかし高名な魔術師であらせられるのかしら? お名前をお聞かせ願っても?」
「ひょひょ。ワシの名など、もはや大した値打ちはない。歴史に埋もれ、ただ消えゆくだけの老骨じゃからなぁ。
じゃがどうしてもというのなら、アブドゥルと名乗らせてもらおう」
アブドゥルと名乗った老魔術師。彼と会った事は恐らく一度もないハズ。なのにアタシの名前を知っている? ヤフヤー様から聞いたのかしら。
「ヤフヤー殿からは聞いておらぬ。じゃが……お主の心に尋ねさせてもらったのよ」
「……すごォい。人の心が読めたりするんだ」
喋ってもいない、心の中の声を見透かされ――これだけ友好的なのにも関わらず、アタシは密かに冷や汗をかいた。
「皇子と少女は女騎士に守られ、すでに帝都を脱出した。じゃが……彼らを助ける者たちも命を狙われる。それを護るのが……お主の役目じゃ。アグラマン騎士隊長どの。
お主らはいずれ、白仮面に立ち向かわねばならぬ。しかし今はまだその時ではない。備えすらできておらぬでな」
「白仮面……? 去年誅された、反乱軍の指導者ね。とっくに死んでいるハズの」
「……あやつは死んではおらぬよ。お主も心当たりがあるじゃろう? つい先日も――『仮面をかぶった者』と会うたばかり。違うかね?」
「…………!」
魔術師の言葉を聞き――ここ数日ずっと抱いていた、違和感の正体に思い至った。繋がらなかった謎の糸が、次々と結ばれていく。
ジャハルちゃんの警告。一夜にして変貌した新たな聖帝。あれらは全て――真実にして、紛い物だったのだ。すでにアレは、ムーサー殿ではない……?
「……分かってくれたようじゃのう。真実も、これからお主の為すべき事も」
「……ええ。ありがとう、お爺ちゃん。この事を……マルフィサちゃんにも伝えなくっちゃね」
アタシの答えに、老魔術師はカラカラと満足げに笑い……次の瞬間には消えていた。まるではじめから、そこにいなかったかのように。
第3章の開始は11/16(火)を予定しています。今後ともよろしく。




