怪力女傑、生い立ちを語る
時は少し遡る。わたし達が古都ダマスクスに到着する、数日前の話だ。
「……気になるわね」
きっかけはアンジェリカの一言だった。
「へ? 何が?」隣にいたハール皇子が、キョトンとして尋ねる。
「フィーザの過去よ! 何か色々いわくありげじゃない、彼女!」
フィーザというのは、このわたし――マルフィサの愛称らしい。今のところ、使っているのはアンジェリカだけだが。
「……個人的には、未来の世界から来たっていうきみの方がずっと気にはなるけど」
「分かってないわね皇子さま! アンタが生き延びて、白仮面を倒す事ができれば……あたしが住んでたクソったれな未来なんて無かった事にできるのよ!
将来起こり得ない悪夢の世界の話なんてしても、しょーがないじゃない!」
「……そーゆーもんなの?」
「という訳だからフィーザ! 今夜はアンタの過去話について、洗いざらい喋ってもらうわよ!」
まるで犯罪者の取り調べでもするかのような口調で、アンジェリカはわたしに向かってグイグイ距離を詰めてきた。
「……マルフィサ。アンジーはこんな事言ってるが……別に話したくなかったら、無理に語る必要はないぞ」
「お気遣いは感謝するが、ハール。別に語りたくなかった訳じゃない。今まで誰も聞いてこなかったから、話す機会がなかっただけだ」
「じゃあ気になるから! 是非とも聞かせてちょうだい! フィーザ!
何も生まれた時から筋肉モリモリだった訳じゃないんでしょ!?」
「さりげなく言う時は言うんだな、アンジェ……
しかし……話したところで信じてくれるか? わたしはどうも、昔話というやつが苦手でな」
『それならオイラに任せな!』口を挟んできたのは、アンジェリカの指輪に封じられたトンボ――じゃなかった、時の幽精である。
『オイラの力を使って、アンタの過去の思い出を幻影にして、二人に見せてやるよ!』
どうやら言葉だけでは伝わりにくい表現も、彼が補ってくれるらしい。
「そういう事なら、始めようか。かつてのわたしは、そこらの地方領主の娘と同様、非力な存在だった」
「そんな、嘘でしょ……フィーザに非力な頃があったなんて……!」
「きみ、わたしの事を一体何だと思っているんだ?」
***
わたしは東陽の豪族の娘だった。アルバスのような大帝国から見れば、小国もいいところだったが……庶民に比べれば、裕福な家柄で育ったのだと思う。
わたしの言葉は控え目だったが、「時の幽精」が見せるビジョンは鮮明に、幼少期のわたしの姿を映し出していた。
「あらかわいい。ちょっとブカブカっぽい民族衣装も似合ってる!」
「すごいなマルフィサ……美人だとは思っていたが、やはりこの頃から面影がある。
これが将来、マッシヴな女戦士に育つなんて言われてもきっと誰も信じないぞ!」
次のシーンでは、十二歳の頃のわたしが素手で毒蛇の頭を握り潰していた。
確かこれは、母様に襲いかかろうとしていたのを無我夢中で防いだ時のものだな。
「……………………何これグロい」
「……ああ、これはマルフィサですわ。怪力の片鱗、この頃からあったんだな」
「何を驚いている? これぐらい普通だと思うが……」
「ンな訳あるかい!」
それから、実の兄だったロジェロとのささやかな交流シーン。
「ロジェロ兄さんか……懐かしいな。よく兄さんとは抱き合っていたものだ」
「フィーザ。抱きつかれてるお兄さんの表情がものすっごく引きつってるんですがそれは……」
「なんというか、いくら外見ちっちゃくて可愛らしくても、この辺実にマルフィサってカンジするな……」
「……ともあれ、そんな幸せな日々も長続きしなかった」
今から八年前。東方では大事件が起こった。白仮面がホラザン人に決起を呼びかけ、大規模な反乱を起こしたのだ。
「ちょうどこの頃、長年にわたり先代聖帝マフスールに貢献していたはずのホラザン人将軍が粛清されてしまった。
その不満をつのらせたホラザン人が大勢いたのだ。わたしの血族はどうにか反乱を思いとどまらせようと奔走したが……民衆の憎悪のうねりは、抑えきれなかった。
我が血族は『中央におもねる裏切り者』の烙印を押され、反乱軍の標的にされてしまったのだ。
そしてわたしの家族は、兄さんとわたしを除き、皆殺しにされてしまった。同じホラザン人の手によってな」
わたしの説明を受け、アンジェリカもハールもショックを受けた様子だった。
幻影にも、わたしの父や母を襲った賊の姿が映る。筋骨隆々の禿頭の大男が率いる盗賊騎士たちが、無慈悲に殺戮と破壊を撒き散らす光景――息を飲むのも無理はない。
「そんな……そう、だったのね……フィーザも、白仮面のせいで、家族を……」
「すまないマルフィサ。間接的とはいえ、我が父の強引な粛清のために……幸せな生活を奪ってしまった事になる」
二人とも、ひどく深刻な面持ちだ。……こういう暗い雰囲気は、個人的には苦手なのだがな。
「そんな辛気臭い顔をするな、ハール。わたしの家族がああなってしまったのは、過ぎ去ってしまった運命だ。断じてきみの父や、ましてやきみのせいなんかじゃない。
『時の幽精』にも言ってやったが、わたしは今の境遇をそんなに悲観してはいないよ」
「しかし……元はホラザン地方の王族の家系なんだろう? 故郷に戻って、家名を再興したいとは考えないのか?」
ハールの問いに、わたしは思わずハッとなった。久しく考えた事もない発想だったからだ。
「家を再興、か……戦士稼業が長かったせいか、すっかり考えなくなってしまったな。何しろ明日をも知れぬ身だったし。
戦う事自体は嫌いではない。だから戦いの最中に果てるのもそう、悪くはないと思っていた。未来についてなど、言わずもがな、だ」
「ダメよ! そんな捨て鉢な考え方!」
突如アンジェリカが叫んで、うるんだ瞳でわたしを見つめ、手を握りしめてきた。いささか予想外の反応だ。
「ア、アンジェ……」
「フィーザが死んだら、あたしや皇子はどうなるのよ!」
「……いや、少なくともハールの無実を証明し、帝都に返り咲かせるまでは死ぬ気はないぞ」
「それから先だって、ずっとよ! もうあたし、友達を失うなんて嫌なの!」
……そう、か。アンジェリカも過去に――わたしにとっては未来か――大切な人を失った事があるのか。
わたしは彼女の涙をぬぐい、諭すように言った。
「いくらわたしでも、絶対に死なないとは約束できん。だが……最大限努力はしよう。それでいいか?」
「…………うん…………」
こういう時、気の利いた事を言えないのがわたしの欠点かもしれない。
それに嫌な顔を見た。わたしの家族を殺した禿頭の騎士――後に知ったが、名をズルールといったか。
もし奴と再び出会う事があったら、わたしの全力を以て復讐を成し遂げる。それはかつて、わたしが戦士として生きる道を選んだ時の誓いだった。




