10 怪力女傑、彼女に選択を迫る
喰屍獣は酸欠を起こし、気を失った。
「トドメを刺さないなんて……随分、お優しいのね?」
不満げに言うアンジェリカ――まだ顔は青ざめている。時の幽精の力で、毒の進行を止めているに過ぎないし、まだ気分が優れないのだろう。
「別に。襲ってきた敵相手に、いちいち慈悲の心がある訳じゃないさ。
結果としてアンジェは命を落としていない。もし『彼女』がまだ、殺しに手を染めていなければ……酔魔の酒は完全に抜け、元の喰屍獣の姿に戻るだろう。
そうなったら、また別の道が残されている。わざわざこちらから、可能性をひとつ潰す事はない――そう思っただけだ。
それともどうする? 念のため、今ここでトドメを刺しておくか? きみは襲われた被害者だし、報復を選ぶ権利がある」
「あたしは――」
彼女の返答を聞いた後。わたしは気絶した喰屍獣の懐にあった小瓶を見つけて、アンジェリカに放り投げた。
「……それが解毒剤だろう。早く飲んでおけ」
「フィーザは平気なの?」
「問題ない。炎の力を借りたら、どうやら毒も抜けた」
わたしの言葉に、魔法少女は目を丸くしながらも……受け取った解毒剤を飲み干した。呼吸が落ち着いたところを見ると、効果はあったようだ。
そして――倒れていた喰屍獣の姿が変わっていく。翼は縮み、黒ずんでいた体毛も墨が落ちたように色が抜け、元の茶色がかった美しい毛並みに戻る。
「ふうん。この喰屍獣……雌かな? あたしの殺害を企てたのが初仕事だったみたいね」
「まあ、そんな気はしていた。殺り慣れている喰屍獣なら、毒などというまだるっこしい手など使わず、ひと噛みで頭蓋を破壊しただろうし」
物騒な想像が働いたのか、アンジェリカはぶるっと震えた。
「さて……こいつが目覚めるまでにもう少し時間がかかるだろう。ハールは無事かな? どこだ?」
「……僕ならここだ。どうやら――もう、決着がついたみたいだな」
噂をすれば何とやら――わたしが名前を口にした途端、ハール皇子が姿を見せた。どうやら幸いな事に、彼に敵の手は伸びていなかったようだ。
「へえ……この獣人が、今回の刺客ってヤツか。
喰屍獣にも色々いるんだな。ちょっと毛深くて獣じみた耳を持つ以外、ほとんど人間に近いじゃないか。
その筋に好みがある人間からすれば、なかなか興味深い容姿をしているね」
「皇子さま……ほんと、節操ないわね」
「いや一般論だからね!? 僕がケモ耳娘が好きとか、そーゆー話じゃないから!?」
アンジェリカの指摘に、なぜか顔を真っ赤にして必死に否定するハール。
わたしとしては、個人の嗜好にそこまでとやかく言う気はないのだが。
***
喰屍獣の少女は目覚めた。
ハッとして周囲を見渡し……自分の置かれている状況に気づき、驚き戸惑っている。何しろ敵を前にして傷の手当をされ、縛られてすらいなかったのだから。
「……何のつもり? アタシをバカにしてるの?」
「決着はついた。もう一度やるというのなら……今度こそ容赦はしない」
わたしの脅しを込めた言葉に、彼女はビクリと震えはしたが……それでも、目は臆していなかった。
「殺しなさいよ。アタシにはアンタ達を殺すか、アンタ達に殺されるか……その2つしかないのよ」
「その判断を下す前に――ひとつ聞きたい事がある。塔の火事をハール皇子の仕業に見せかけたのは……お前か? それともお前の一族の誰かか?」
「…………そうよ。アタシが犯った」
少女は躊躇いがちに答えたが……これは、嘘だな。答える直前、彼女の魂の「色」が微かに揺らいだ。
何のために嘘をついているのか。誰かを庇っているのか……何にせよ、やや複雑な事情がありそうだ。
「……もうひとつ聞く。お前はスクル教徒か?」
「……ええ」
「ではなぜ、己の命を投げ捨てるような行動を取った?」
「……それは、白仮面さまがそうしろと命じたから。
たとえ死んでも、スクルの神のために命を投げ出した者は、天国に行けるって」
……ひどい話だ。わたしは思わず自分の顔が険しくなるのが分かった。
「わたしはスクル教徒ではないが。スクル教に帰依する『親友』からこう聞いている。
『正当な理由がない限り、みだりに殺してはならない。それは自分の命も含まれる』とな。
お前に自殺を説いた白仮面の教えは間違っている。それは本物のスクル教じゃない」
「え…………」
少女は心底意外そうな顔になり、絶句してしまう。
「……他に何か、別の理由があるんじゃないのか?」
「……もし失敗して、アタシが逃げ帰ったと知られれば……アタシの一族は、白仮面さまに皆殺しにされる」
「……やはりか。そんな事だろうと思った」
何の事はない。この少女は家族を脅され、紛い物の教えを吹き込まれたに過ぎないのだ。
人外の喰屍獣とはいえ、こんな卑劣な手を使って命を狙う刺客に仕立て上げ、差し向けてくるなど。わたしは久しく感じた事のない不快感を、白仮面に抱いた。
「お前があくまで『戦士』として挑んできたのなら、戦士の誓いに従い、その命を貰い受ける。
だがもし、そうでないのなら……生きたいと願うなら。帝都マディーンへ帰れ。
南部地区にお前と同じ喰屍獣のグレグがいる。彼を頼れ。わたしの名を出せば、力になってくれるはずだ」
「…………」
「それとも……今この場で、もう一度わたしと戦うか?」
我ながら意地の悪い質問だ。彼女からはもう、殺意も戦意も感じられないというのに。
「……きっと後悔するよ。アタシを逃がした事」
「……かもしれないな。我ながら、甘いやり方だと思う。
だが勘違いするな。この提案をしたのはわたしではない。お前に刺された――アンジェだ」
「!」
アンジェリカとハールは、わたし達とは少し離れた場所で、焚火に当たっている。
喰屍獣の少女は信じられないといった表情をしていた。命を狙った張本人だというのに、その標的に救われたどころか、逃がされようというのだから、無理もない。
「あまりお喋りしている時間もない。長居しすぎると、他のキャラバンメンバーもお前に気づいてしまうぞ。さっさと決めろ」
わたしに促されると……彼女は意を決したのか、無言ですっくと立ち上がって暗闇の中へ消えていった。
「……本当に逃がすとはね」彼女が去った後、ハールが声をかけてきた。「あいつを通じて、僕らの足取りが告げ口される危険は考えなかったのかい」
「もうとっくに報告はされているだろう。なら生かすも殺すも、同じ事だ」
わたしはあっけらかんと答える。
「それに――きみ好みの獣耳の少女だ。きみも殺すのは忍びなかったんじゃないか?」
「だーかーら、違うって言ってるだろ!……嫌いじゃないけどさ」
彼の様子を見るだに――やはり彼女を殺さなくて良かったかもしれない。たとえそれが、ただの自己満足に過ぎなかったとしても。
***
次に立ち寄った集落で、わたし達はキャラバンと別れる事になった。
馬を扱う商人が滞在しており、グレグとも顔見知りらしい。彼の名前を出すと、思った以上に格安の値段で馬を二頭、こちらに譲ってくれた。
「ダマスクスに行くんですかい? 砂漠越えならラクダの方が何かと重宝しますのに」
「ただ旅をするだけなら、値は張るがラクダの方が良いのは知っている。だが……我々は先を急いでいるのでね」
こと耐久性だけで考えれば、ラクダの方が優れているが、足の速さでは馬に軍配が上がる。
ともかく、商談は成立。我が愛馬に比べれば見劣りはするが、それなりに良く育てられた馬だ。一頭にはわたしとアンジェリカ、もう一頭にはハール皇子が乗る。
「さて、ダマスクスにはすでに手配書が回っているだろう。引き続き変装は解けないな」
「そうなの? あたし達も随分早いペースで進んでいると思うけど」
アンジェリカが小首を傾げると、わたしに代わってハールが返答した。
「アルバス帝国には『駅伝』があるからね。聖帝の命令書を伝達するだけなら、早馬を使ってとっくに届いている」
先代の聖帝マフスールが整備した、馬で一日おきの距離に設置された厩舎施設――それが駅伝だ。起源はパルサの古代王国の頃からある「王の道」だと言われている。
「連絡というなら、皇子。あなたの飼ってる鷹がいるじゃない。手紙のやり取りしてたんでしょ?」
「帝都にいた時ならいざ知らず、ここまで離れちゃったら『彼女』を伝令には使えないよ。
シャジャが心を許している人間――僕と親友のジャハル――が近くにいたからこそ、できた芸当なんだぜ」
「ふうん、そうなんだ……」
残念そうな顔をするアンジェリカを励ますように、ハールは言葉を続ける。
「まあ心配するな。ダマスクスには僕の知り合いが大勢いる。いざとなれば匿ってくれるアテも幾つかある。
きみの連れている『時の幽精』が見せてくれた幻影は、恐らくそういう事なんだろう。ダマスクスの人々を味方につけろ……と」
帝都を離れ、一週間以上が経つ。目的地が近づくにつれ、意気消沈していたハールも元気を取り戻してきた。それはわたしやアンジェリカの士気を上げるのに十分なものだった。
さらに数日後――砂漠が途切れ、川沿いに見える城壁に囲まれた大都市の姿が見えてきた。規模だけなら、帝都マディーンにも匹敵するだろう。
あれが――数千年の歴史を誇り「神話の時代から人が住み続けている」とまで称されし古都、ダマスクスか。
(第2章 了)
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来週は幕間を2編ほど挟み、第3章に向けた具体的なスケジュールを発表する予定です。今後ともよろしくお願いします。




