7 怪力女傑、隊商(キャラバン)と旅する
わたし達の紛れ込んだ民間キャラバンは、先んじて帝都マディーンを出発する事になった。
アルバス帝国の軍が護衛する巡礼キャラバンは大規模なだけあり、参加予定の人数がまだ集まっていないのだとか。いつまでも貴族令嬢の変装などやってられないし、一緒に出発する羽目にならなかっただけでも僥倖というものだろう。
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わたし達が変装して出発する直前、グレグは言った。
「……じゃ、マルフィサの姐御。ご武運をお祈りしてます」
「お前は一緒に来ないのか? グレグ」
「あっしはまだ、帝都でやる事がありますんで。盗賊詩人として活動も続けたいっスから。
馬に関してはご心配なく。キャラバンが立ち寄る予定の集落で、あっしの名前を出してくれれば取引できます」
彼の詩人としての腕前と集客具合では、前途多難な気もするが……そこは黙っておく事にした。
「……と、そうだグレグ。もし頼めるなら――聞いてくれないか」
「何でしょう? 姐御の頼みでしたら、何なりと!」
「スラムにいる子供たちを、どうか守ってやってくれないか。彼らのリーダーのカシムは、まだ若いがなかなか見所がある。お前の侠族に迎え入れても損はない逸材だ」
わたし達は帝都を離れる。それは帝都でわたし達に協力してくれた人々を直接助けられない、という事だ。
特に南部地区は下層民が多く、治安も悪い。子供などは格好の標的であり、水面下では人さらいも横行しているのだ。比較的安全であるはずの北部ですら、アンジェリカが誘拐されそうになった事もある。
「……分かりやした。姐御がそこまでおっしゃるんでしたら」
「ありがとう。お前しか頼れる者がいないから、助かる」
せめてもの信頼の証に、わたしはグレグの手を握った。
赤子を喰らうと言われる喰屍獣に、子供の未来と安全を託す――傍から聞けば滑稽な話かもしれない。
だがこの男のわたしに対する崇敬と信頼は本物だ、と……彼の「魂の炎」の色がわたしに告げている。不純な黒ずみのない、明るく暖かな青い炎がはっきりと見えた。
グレグに別れを告げ、わたし達のキャラバンは帝都の門をくぐり――西の古都ダマスクスへ向かう旅に出るのだった。
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キャラバンは帝都から西へ進み、エウプラテス川近くの村で交易品と引き換えに、水と食糧を補給した。
ようやくわたしも、無駄にゴテゴテした変装を解いて一息つける。
敵に見つからない為とはいえ、貴族令嬢のフリなどしていたら労働もできない。わたし達は言うなれば「居候」なのだから、隊商にとって貢献できる存在でなければならないのだ。
「ねえ、フィーザ」
「? どうした、アンジェ」
後ろに乗るアンジェリカが、不安そうにわたしの袖を引っ張ってきた。
今キャラバンは一列のラクダの群れとなり、砂漠の中を整然と進んでいる。
「朝からずーっと歩き通しなんだけど……このキャラバン、いつになったら休憩するの?」
「季節や進む道にもよるが……すでに我々は『母なる大河』エウプラテスを越えた。
あの肥沃な土地を離れた以上、近くに集落もオアシスもない。だから夜まで移動するだろうな」
「えー、じゃあ今日は日没まで休憩なし!? 信じられない……!」
魔法少女はショックを受けていたが、個人的にはこの程度の事も知らないアンジェリカの方が意外である。隊商は過酷な砂漠ルートだと、1日16時間はずっと移動というパターンも珍しくはない。
「ここらはまだ帝都に近いし、マシな方だぞ? 東方の大砂漠を抜ける時など、一週間近く水の補給もできない事があった。
しかもアテにしていたオアシスが運悪く枯れていてな。そのせいで脱水症状を起こす者が後を絶たず――」
「ちょっと、やめてよ!? そんな怖い話聞きたくないっ!」
アンジェリカは堪らず大声を上げて耳を塞いだ。
「砂漠の旅……甘く見過ぎていたわ。あたしもうダメかも……」
「あんな大きな声を上げられるんだったら、まだまだ元気だと思うが。気を紛らわせたいなら、あっちに行って一緒に歌おう。ハールもいるし」
「へっ……?」
それを聞いて少女はようやく、キャラバンのメンバーがゆったりした調子で鼻歌を口ずさんでいる事に気づいたらしい。その中心にハール皇子もいた。
「……みんな何やってるの?」
「隊商歌だ。砂漠の旅は静かすぎて、聞こえるものと言えばラクダの足音ぐらいだからな。
だから皆でああやって、気分を盛り上げるために自然と歌うようになったんだ」
最初はただ、耳を傾けていただけだったアンジェリカも……隊商に混じって歌っているハールの楽しげな様子に惹かれたのか、わたしに歌の輪に入るよう頼んできた。彼女の注文通りにラクダの歩を進める。
やがてアンジェリカの歌声も響き渡った。広い砂漠にも関わらず、思いのほかよく通る美しいソプラノ。彼女が歌い出した途端、隊商だけでなくラクダまでもが足取り軽く進むようになり、皆がどよめいた。
「おー、お嬢ちゃん。いい声持ってるじゃあねえか!」
「可愛らしくて癒されるねえ。ぜひ明日の昼のスクル経典朗読もやって欲しいもんだ!」
出発直後はあれほど疲れた表情をしていたのに、周囲に持ち上げられ楽しそうにしている。現金なものだが、彼女の機嫌も治ったようで何よりだ。
「マルフィサは一緒に歌わないのかい?」
ハールがこっそり声をかけてきたが、わたしは首を振った。
「……せっかくだが遠慮しておく。実は歌は苦手でね。昔、兄上にも一度聞かせた事があったんだが……それ以来、二度と催促されなくなった」
「うっへ、マジか……そこまで行くと、逆に一度聴いてみたい気もするけど……」
「やめておけ。わたしはあの悲劇を繰り返したくない」
「悲劇になるレベル!?」
そんな他愛無いやり取りもあったが、その日は時間が経つのが早く――ふと気づけば、空に闇が染み渡りはじめていた。
***
幸いにしてキャラバンは、日が完全に沈む寸前にオアシスのある位置にたどり着く事ができた。
隊商のメンバーが野営の準備を始めたのを見計らって、ハール皇子はすぐにラクダを降り、辺りの景色を見渡していた。
「ん? どうしたのよ皇子サマ。何探してるの?」
「いや、ちょっとね……この地形、この風……絶好の『狩り場』だな。よし、これなら行ける!」
ハール皇子は開けた場所に立ち、短く口笛を吹いた。
しばらくすると、夕闇から見覚えのある鷹が飛んでくる。ハールの飼っているシャジャだ。彼の差し出した左腕に止まり、与えられた餌をついばんでいる。
「あの時の鷹じゃない。こんな所までついてきてくれたのね! よーく見ると可愛い――」
アンジェリカが不用意に近づこうとするので、わたしは彼女を押しとどめた。
「こらアンジェ。ハールが良いと言ってもないのに勝手に寄ろうとするんじゃない」
「え、でもさフィーザ。あんなに彼に懐いてるなら、人間にもきっと慣れてるんじゃ?」
「……とにかく、邪魔しないよう様子を見るんだ」
わたしに説得され、魔法少女は不承不承といった感じで頷き、押し黙った。
シャジャはハールの腕から解き放たれ、大空に舞い上がった。次の瞬間、まっすぐ岩陰に急降下し――目にも留まらぬ速さで「何か」を掴んで再び飛び上がる!
「! すっごい……ほとんど見えなかったけど……」
「『狩り』は成功のようだな。なかなか肉付きのいいウサギを捕らえている。流石だ」
シャジャは「戦利品」をハールの下に携え、ハールはそれを神から授かったかのように丁重に受け取った。
中東世界において鷹狩は貴族の道楽などではなく、人が生き抜くための手段である。アルバス帝国の南、アラキア半島に住む「砂漠の民」はハヤブサを飼育し、キツネやウサギなどを狩って食糧とする。スクル教の経典においても、預言者スクルージが「鷹狩で得られる血肉は清浄であり、神からの贈り物である。安心して食しなさい」と述べているぐらい、彼らの生活に浸透している習慣なのだ。
「ありがとう、シャジャ。これで今晩の食事は豪勢になるぞ」
ハールが礼を言うと、シャジャは「ピーィ」と愛らしく一声鳴いてから――再び闇の中を飛び去っていった。




