2 怪力女傑、魔法少女と出会う★
わたしが組み伏せた喰屍獣は、わたしの名を聞くと驚きの声を上げた。
「マルフィサ……!? 西方諸国で異教のヴェルダン騎士団を相手取り、血みどろの死体の山を築いたという……!
しかも人間どころか、翼竜や九頭竜、果ては邪竜も素手でブチのめした、化け物以上の『怪力女傑』マルフィサか!?」
「ああ、はい。そのマルフィサですよー」
この手の噂話は、人づてにどんどん盛られると聞いた事はあるが。わたしの知らないところで、随分と尾ひれがついてしまっているようだ。
否定し、詳細部分をいちいち訂正するのも面倒なので、わたしは鷹揚にうなずきながら、言った。
「……で、どうするんだお前は? 手下も全員逃げ去ったし、わたしに降参しないのか?」
「くッ……殺すがいい! 見くびるなよ。俺とて誇り高き喰屍獣族の端くれ!
いかに強かろうが、たかが人間ごときに降参などという、ヌルい恥辱をむざむざ受ける訳には――」
「そいつはご立派だな。では今からお前の右肩を百八十度ほど捻じ曲げて、ついでに肘と手首も常人ではあり得ない角度で固定化するとしよう」
「あ痛だだだだだだッ!? ちょ、待て。分かった! ギブギブギブギブ!! 俺、実は身体めっちゃカタいんです降参します!!」
最初は勇ましかった喰屍獣も、少し肩を捻ってやると……三十秒も経たない内に、情けない悲鳴を上げて恭順の意を示した。
「いやいやいやいや! マルフィサの姐御! 実に素晴らしい戦士としての腕前で!
よもや、喰屍獣である俺を力でねじ伏せられるだなんて……お見逸れしました!」
喰屍獣には変身能力があり、それで人間をあざむく事がある。
そのためこの国には「喰屍獣のように色が変わる」「喰屍獣のように気まぐれ」なんて言葉もあるくらいだ。
「……なんか、態度変わり過ぎじゃあないか? 喰屍獣と言えば、人間の赤子を食うんだろ?
その人間相手にそんなへーこらして大丈夫なのか。プライドとかは……」
「何を言っておられるやら! 喰屍獣なんて名前がついちゃいますけどね!
よっぽど飢えていない限りは、そんな悪食に手を染めたりしないんですよ。
ま、こんな外見ですから、みんな恐ろしがってあらぬ噂を立てたりもするんですがねェ」
いけしゃあしゃあと、よく口が回る喰屍獣である。ともかく、わたしに対する敵意はないようだ。
無論、こいつらが旅人を襲う悪党だという事実は消えない。だがその観点から言えば、わたしもこれまで戦士として、戦場で数多くの人間を殺めてきた身。ことさら偉そうに正義漢ぶる気はさらさらない。
彼は彼の統括する盗賊団に、わたしを襲わないよう口を利いてくれるらしい。全面信用した訳ではないが、助かる話だ。
「マルフィサさんは、これから帝都マディーンへ向かうんですかい?」
「ああ、そのつもりだが……それがどうかしたのか?」
「用心して下さいよ。小耳にはさんだ話じゃあ、帝都はここ最近、何かと物騒な連中が出入りしてるって噂になってまさぁ」
喰屍獣からして「物騒な連中」と言わしめるような輩とは……一体何者なのだろうか。
どうもわたしが訪れた三年前とは、やはり勝手が違ってきているようである。
「情報、感謝する。それじゃあな」
「ええ、姐御もお達者で。『神の恩寵あれ』!」
彼は人間の姿に戻ると、別れの挨拶をした。
「神の恩寵あれ」――アルバス帝国における、ごくごく一般的な決まり文句なのだが。神など信じていそうにない喰屍獣から言われると、少々不思議な気分になる。
ともかく、これで道中進みやすくなるだろう。わたしは愛馬アルファナにまたがり、従者と共に帝都マディーンへ急いだ。
***
一週間後、わたしはアルバスの帝都・マディーンにたどり着いた。
適当な宿を見繕い、愛馬を従者に預け……わたしは三年ぶりに訪れた都の変貌に驚いた。
「三年前よりも……随分と大きくなっているな」
目抜き通りは人々でごった返している。市場には新鮮な食糧や高価そうな装飾品が並び、少し歩くだけで華美な聖堂が幾つも視界に入る。
都が建設されてからまだ十年ほど。国を差配するアルバス家が、政治の中心としてこの地を選んでから……人々はこぞって、できたばかりの都に集まってきた。「このきらびやかな都で働き、稼げば、きっと大金持ちになれる」――そんな憧憬を抱いて。
三年前、この都の住人は三十万にも満たなかった。それでも西方諸国に比べれば、驚嘆と羨望に値する桁違いの大都市だったのだが。
しかし噂によれば、今やマディーンの人口は百万を超えているらしい。
「見た事もない品を扱う店が増えたな……ん? 何だこの薄っぺらい紙は。パピルスとも違うようだが……」
「おお、お目が高いですなぁお客さん。そいつは紙は紙でも、遥か東の果て『絹の国』からの輸入品でさぁ。
丈夫さでは羊皮紙にかなわないが、より安価で、パピルスよりもカビにくい。今なら1ダースつけてたったの1銀貨。お買い得だよっ!」
「確かに珍しい品のようだが、あいにくと間に合っている。でも薦めてくれてありがとう」
わたしは丁重に断ると、店を後にした。
紙だけではない。宝石や香料、檸檬と思しき柑橘類など……わたしが昔訪れた時と比べ、品揃えが賑やかになっている。
だが、わたしの目に留まったのは店の商品ではなかった。少し離れたところにある食料品店で、並べられた果物と睨めっこしている、異国出身らしい金髪で色白の、十二歳前後の可愛らしい少女だ。
この地の標準的な女性と比べると、随分開放的な服装をしている。まあ、わたしも人の事はあまり言えないが。
彼女の関心事は、甘ったるい匂いを放つ黒い果実の入った樽のようだ。鼻をヒクつかせ、物欲しげな表情をしている。
「おいおい、お嬢ちゃん。親御さんとはぐれちまったのかい? この果物はなァ、ただの棗椰子じゃないんだぞ」
食料品店の店主が、少女を諭すように言った。
「古代アイギュプト王国に君臨した伝説の美肌女王フィロ・パトラも愛用したという、美容に効果抜群の蜂蜜漬け最高級デーツなんだ。お子様の小遣い程度でホイホイ買える代物じゃないよ?」
「なによっ! バカにしないで。お金ならちゃんとあるんだから!」
少女は子供扱いされたのが気に入らなかったのか、声を荒げると――袋から銀貨ではなく、なんと大粒の宝石を取り出した。
往来を行き交う人々が思わず足を止め、少女に注目する。ギラギラと輝く宝石――ダイヤモンドだろうか?――を見て、店主の態度も途端に軟化するのだった。
「へ、へえ……これはこれは。どこぞ異国の大貴族さまのご令嬢ですかな? 失礼をば致しました」
「分かればいいのよ。これ一個でその棗椰子、一袋くらいは買えるかしら?」
「ええ、ええ! そりゃもう。十分すぎるほどでございますよ、お嬢さま!」
蜂蜜漬けデーツを買った少女は満足そうに袋を受け取り、意気揚々とその場を後にした。何にせよ、普通の光景ではない。
わたしはこっそり彼女の後を尾ける事にした。目抜き通りを抜け、人気のない所に入ると――異国の少女はさきほど買った果物をひとつ頬張り、舌鼓を打っていた。
「ん~~~っ、甘くてヒンヤリしてて、すっごく美味しいっ……! ……はあああ、しゃーわせ……」
「なあ、きみ……ちょっと感心しないな」
わたしが声をかけると、少女はビクッと肩を震わせ、警戒した眼差しを向けてくる。
「……何よアンタ。誰?」
「わたしはマルフィサ。見ての通り戦士だ。ところできみ……さっき果物屋に渡した宝石。あれ、偽物だろう?」
わたしが問うと、図星だったのだろうか――少女の顔がやや青ざめ、冷や汗をかいているのが分かった。
「な、なななな何の事かしら? 偽物なワケないじゃないの」
「分かりやすすぎる動揺をありがとう。そもそもアレが本物なら、市場の果物代に支払うには値段が高すぎる。一袋どころか一樽いけただろう。
で、きみのような少女が、たった一人であんなものを持ち歩いている、というのも不自然だ。おおかた幻術の類で石コロを宝石に見せた……とかじゃないか?」
推論を述べると、彼女は開き直ったようで。フンと鼻を鳴らした。
「へえ。アンタやるじゃない。男みたいな恰好してる割に、このアンジェリカ様の術を見破るなんてさ!」
偉そうに胸を張り、頼みもしないのに名乗りまで上げた。自分の置かれた状況を分かっているのだろうか。
「で? だったら、何だって言うのよ? 詐欺罪であたしを衛兵にでも突き出す気?」
「いや。商取引は成立した後だし、アレを偽物と見抜けなかった店主側の落ち度だ。
ただな。市場であんな高価そうな宝石を見せびらかしてしまうと――」
わたしの言葉が終わらない内に、路地裏から突然、手が伸びてきた。
一瞬の早業。異国の少女は悲鳴を上げる暇すらなく、口元を掴まれ――暗がりの中へ引っ張られていった。
やれやれ、言わんこっちゃない。世間知らずの金持ち令嬢と勘違いした、ならず者にさらわれてしまったじゃないか。




