4 騎士隊長、聖帝に謁見する★
※今回の話もアグラマン視点です。
※今回の挿絵は、貴様二太郎さんに描いていただきました。ありがとうございます!
アタシは城の厩舎にマルちゃんの愛馬を預け、事の報告を行うため聖帝ムーサーの下へ向かおうとしていた。
「……アグラマン殿!」
道中、15歳前後の少年がアタシを見つけて駆け寄ってくる。
青いターバンからゆるくウェーブのかかった銀髪を覗かせ、黒い高位服を見事に着こなしている。特徴的なのは左頬に刻まれた紋様――恐らく、若者の間で流行っているファッションだろうか。
「あらあら、ジャハル様じゃない。お変わりないかしら?」
アタシがお道化た調子で挨拶をすると、ジャハルと呼ばれた少年ははにかみ笑いを浮かべた。
彼はまだ若いが、帝国の内政を一手に引き受けるパルサ人の名門・バルマク家の一員だ。
「『様』はやめてください、アグラマン殿。偉大な父君と違い、わたくしはただの若造に過ぎないのですから。
ハール様が大変な目に遭われたというので……ご婦人方との約束をすべて取り止め、てんやわんやでしたよ」
表向き平静を装っているが、彼も内心では気が気でないハズだ。
ジャハルはハール皇子と親しく、つい最近まで夜の散策にも一緒につるんでいた。身分の貴賤を問わず人々との交流が盛んで、ハール皇子が女好きになったのも、きっと彼の影響じゃないかしら。
そして何より――ジャハルの父は、ハール皇子の後見人にして、アルバス帝国の現宰相という、きわめて重要な地位に就いているのである。
ジャハルはアタシと並んで歩き、雑談でもするように話し始めた。
周囲には廷臣や女給が多く、みな噂話に興じている。下手に静かな密室よりこういう騒がしい場所のほうが、内緒話ってかえってやりやすいのよね。
「……むしろ慌ただしくなるのは、これからでしょう。
わたくしも今朝、ムーサー陛下にお会いしましたが……陛下は、一夜にして変わられてしまった」
「一夜にして、ねえ。そりゃ父の後を継いで新たな聖帝になったんだから、威厳を出すためにイメチェンもするでしょうけど」
「いいえ、そういう事ではなく……わたくしをもう、気にもかけなくなってしまったのです」
「気にも、かけなくなった……?」
「わたくしは名実ともに、ハール様と懇意にしている事は誰しも知るところ。それゆえ、これまでムーサー様はわたくしと話す時、いつも苦々しい顔をしておられた。
しかし今朝の陛下は……わたくしにごく普通に接して下さったのです。まるで今までの因縁など、なかったかのように」
「…………」
「若造の戯言とお聞き流し下さい。ですが、あの違和感は只事ではなかった。まるで今日、初めて会った者であるかのような振る舞い。
別人にでもなってしまわれたのかと……疑ってしまうほどでした」
まるで別人――本人じゃなく、なりすましって事かしら。喰屍獣が化けている?……そこらの下層民ならともかく、国のトップである聖帝そのものになりすますなど。
(でも昨夜は放火された塔の近くで、ハール皇子の目撃報告が複数あったらしいわね。ありえない話ではない……か)
思い返してみれば、毎夜のごとく起こっている怪物騒ぎがいい例だ。お膝元の帝都ですら、得体の知れない事件が頻発している。
昨夜塔の火事を消しに行った時もそうだ。そこにはマルフィサがいて、彼女は明らかに見えざる「何か」と戦っていた。
(マルちゃんは魔神と言っていたけれど……)
最初は信じられなかった。伝説上の魔神の姿など、アタシの目には映らなかったからだ。
しかし……マルフィサが単身炎の中に突っ込んでいった瞬間、かすかに見えた。赤い肌の巨人の姿が。アレも魔術の類で呼び出された怪物って事?
「……鷹の手紙によれば、ハール様はご無事です。
ハール様が追われているように、我々バルマク家の人間へも締め付けが強まってきています。今のところ、父上がどうにか差配しておりますが……それもいつまで保つか」
最後に、背を向けたまま――別れ際、ジャハルは呟くように言った。
「くれぐれも今の陛下には、ご用心くださいませ。アグラマン殿」
「――肝に銘じておくわ」
……これは実際、ムーサー陛下本人に会って確かめる必要がありそうね。
アタシは聖帝拝謁の間の門扉をくぐった。
***
拝謁の間にて。重臣たちがかしずく中、アタシは現聖帝・ムーサーの前に跪いた。
「あの女騎士の乗っていた馬を捕らえたそうだな、アグラマンよ」
「……はい、陛下。大変見事な牝馬でしたので、接収させていただきましたわ」
「見事な牝馬、か……惜しい事だが。捕えた馬は処分せよ」
「何故でございます、陛下」
「聞けばマルフィサとかいう女、スクル教徒ではないのであろう?
いかに素晴らしき馬といえど、異教徒の所有物。ましてや、母君暗殺を企て逃亡中のハールに仕えていたという、忌まわしき罪人の馬ではないか」
……まあ、そういう理屈を言ってくる可能性は考慮していたけどね。
でもここで引き下がったら、マルちゃんの大事な相棒にして財産を奪われてしまう。彼女に「できる限りの支援をする」と約束した手前、そこは譲れない。
「――畏れながら陛下。あの黒馬アルファナを処分するのは、悪手だと思われます」
「……どういう事だ? アグラマン」
「確かにマルフィサは異教徒ですわ。でもあの馬と共に引き立てられた従者のハンスは、すでにスクル教に帰依しております。
スクル教がいかに馬を重んじる教義か、聖帝であらせられる陛下ならば、よくご存知のハズ。
預言者スクルージも言っていますわ。『この世の幸福も富も、馬の前髪についている』と。今やスクル教徒の財産である黒馬を自ら手放すのは、神の恩寵をないがしろにするに等しい行為でしょう」
重臣たちはざわついた。ともすれば聖帝の意向を否定する、無礼な発言にも聞こえるでしょうけど。
アルバス帝国のような宗教国家では、元首よりも経典に記された教義の方が優先される。そしてそれが、権威ある教えに基づいた正論であれば尚更だ。
「……なるほど、そなたの言い分ももっともだ。……ならばこうしよう。馬の目利きに長けた者を遣わし、黒馬を検分せよ。
まこと神に仕えるに相応しき名馬であれば、スクル教の財産とし、処分の沙汰は見送ろうではないか」
「ありがたくも賢明なるご判断。心より感謝いたしますわ、陛下」
無難な落としどころになったわね。重臣たちも納得してくれたみたい。
しかし確かに、ジャハルの言っていた通りかもしれない。昨日までの狭量だったムーサーとは、まるで別人。以前は気に食わない事があると、露骨に表情に出ていて分かりやすいぐらいだったのに。今の彼は……まるで仮面でも被っているかのよう。
「アグラマンよ、今しばらく暇を与える。ハール皇子捕縛の任は、そなたではなく別の者に任せよう」
「……陛下、それは」
「我が弟ハールはそなたの主君であった。そしてあやつの逃亡を手助けしている女騎士マルフィサも、そなたの友人だと聞き及んでおる。
中東騎士随一の実力を持つそなたを信じぬ訳ではない。とはいえ、親しき身内を二人も捕らえるなどという任務――いかに名将アグラマンといえど、心苦しく、迷いが生じる事がないとも言い切れん。
それにそなたの助命の願いを今、我は聞き届けた。そなたも我の願いを聞くべきではないか?」
「…………御意の、ままに」
これは一本取られちゃったわね。もともと立場的に、信用されているなんて微塵も思っちゃいなかったけれど。
これでマルフィサやハール殿下をこっそり支援する事が、やりにくくなってしまった。
(……いよいよきな臭くなってきたわねェ。マルちゃんたち、無事に帝都から逃げられるといいけど)
幸いな事に、翌日の検分でアルファナちゃんは見事合格し、従者のハンスが世話係にも任命された。そこは一安心ね。




