3 騎士隊長、名馬を手懐ける
※今回はアグラマン視点です。
アタシはアグラマン。帝都マディーンの治安を守る中東騎士の隊長を務めている者だ。
「アグラマン隊長! あの馬です! 見つけたという報告がありましたッ!」
「ふゥん。間違いないのね?」
「あの女が乗っていた、とんでもない図体の黒馬ですよ。見間違えようがありません!」
アタシは部下からの報告を受けて、馬に乗って現場に急行した。正直、乗り気じゃなかったけどね。
(どうしてこうなった……わずか一夜にして、アタシの仕える主君、ハール皇子は罪人に仕立て上げられ。
アタシの友人にして頼れる戦士のマルちゃんは、アタシが帝都に招いたせいで皇子と運命を共にするハメになった)
本来なら、アタシに恨み節のひとつでも言うのが筋でしょうに。
あの娘ったら、あんな猛々しく戦い抜いたかと思えば、爽やかに笑顔を見せて、ハール皇子を助けて欲しいというお願いまで聞いてくれた。
昔からそうだったわ。自分の好きな人間のためなら、どんな不利な状況だろうと喜んで身を投じる――ある意味、どんな豪傑よりも男らしい彼女の心意気に、アタシは知らず知らずの内に甘えてしまっていたのだ。
彼女のまっすぐな生き方が、ますます自分の罪悪感を膨らませていく。
主君であるハール皇子はもちろん、マルフィサも見捨てる訳にはいかない。そんな真似をすれば、アタシはマムルークどころか、人間としても最低という事になる。
彼女らは今頃、この帝都を脱出するための準備を進めている事だろう。ならば出来得る限り、マルフィサたちの逃亡を助ける。それが今のアタシにできる事だ。
マルフィサの愛馬アルファナを発見したという報告が上がったのは、彼女が先日泊まっていた宿からさほど離れていない場所だった。
アタシの部下である中東騎士三人に取り囲まれているのは、巨大な黒馬と、隣に寄り添うように立っている男。彼は確か……マルフィサの従者だったかしら。
「アナタ、名前は?」
「……ハンスです」
「ハンスちゃんね。抵抗しなければ悪いようにはしないわ。その意志はある?」
「馬を保護して下さるのであれば、大人しく従いましょう。ですが自分、主人に『見捨てられた』身ですゆえ、その居場所も分かりませんが」
アタシが降伏を勧めると、従者ハンスは含みのある返答をした。
このハンスとかいう男。まだ若いし、人畜無害そうな顔をしているけれど……流石にあのマルフィサちゃんの従者やってるってだけあるわね。屈強なマムルーク四人に囲まれているというのに、全く物怖じしていないし、肝が据わっているじゃない。
「ハンス。アルファナは素晴らしい良馬だし、何より牝馬。保護する事じたいに異論はないわ。ただし一つだけ、条件がある」
「……伺いましょう」
「……アナタ、スクル教徒だっけ?」
「? いいえ」
「だったら、今ここでスクル教に改宗する意思はある? そうして貰えると、こっちとしては大助かりなんだけど」
「いかなる理由でしょうか」
「スクル教はねェ、とっても馬を大切にする宗教なんだけど。スクル教徒の間でしか、馬を取引してはならないって戒律があるのよ。
アルファナちゃんを保護するのが目的だったら、ここで改宗して損になる事はないわ。改宗の儀式もたった一分で済むし」
アタシの言葉を聞くと、従者の若者は少しだけ沈黙してから「……分かりました」と承諾した。
その後、改宗の儀式として――アタシの唱えた中東語を彼に復唱させる。スクル教の神と、預言者スクルージ、そして初代聖帝を讃える聖句だ。
「ん、おめでとう。これでアナタも今日からスクル教徒よ。経典の教え――許可と禁忌に従い、己を律して生きる事。いいわね?」
「……分かりました。今後ともよろしくお願いします」
ぶるるるるるっ!
ハンスの降伏の言葉を受け、アタシの部下たちが馬を確保しようとすると……巨大な黒馬は唸り声を上げて大地を踏み鳴らした。
「うおッ……危ねえ! なんて荒々しい馬だ!」
「アグラマン隊長。この馬は狂暴すぎます! 連れ帰るなんて無茶なのでは?」
黒馬に近づく事すらできない部下たちを見て、アタシは思わずため息が漏れた。
「アンタたちねえ……帝都の中東騎士を名乗るんなら最低限、馬の扱いぐらい理解してないとダメよ?
見て分からないかしら。この娘はアンタたちの『影』に怯えてんのよォ」
「か……影、ですか?」
「いーからさっさと、建物の影に隠れなさいな」
アタシは部下たちに馬から遠ざかるよう指示し、アタシの影がアルファナから見えないような位置からそっと近づいた。
馬というのは、大きな図体をしていても、人間よりもずっと繊細で、臆病なのよね。だからちっぽけな人間の影が見えただけでも、怯えてしまう事がある。暴れるのは恐怖の裏返しってワケ。だからまずは、こちらに敵意がない事や、仲良くしたいって事を最大限アピールしなくちゃお話にならない。
マルちゃんがポロ競技の後にやっていたように、アタシが彼女の首を軽く叩くと――幾分、落ち着いてくれたようだった。唸るのを止め、アタシの方に鼻をこすりつけてくる。
「おお、流石はアグラマン隊長!」
「あのじゃじゃ馬を、あっという間に従わせるとは……」
部下たちはアタシが馬を鎮めた事に感嘆の声を漏らした。……彼らは彼らで、あらかじめ人間に慣らされた馬しか知らないようだから、この反応は仕方がない。
「つくづくアナタが牝馬でよかったわ。牡馬だったら処分されてたかもしれないわね」
これは冗談でも何でもなく、この地域では当然のしきたりである。砂漠が多く食糧の乏しい中東では、馬は量より質の少数精鋭が基本。そうなると優秀な種馬を除き、牡馬はほぼ生き残る事はできず、必然的に牝馬が主となってしまうのだ。
ともあれアタシ達は、マルフィサの従者ハンスとその愛馬アルファナを伴って、円城への帰路に着いた。
※豆知識:今回の馬に関する描写は、紀元前からあるクセノポンの馬術書を参考にしています。
最近でも東京五輪の競技で馬が言う事を聞かなかった事件がありましたが、アレの原因は女性選手の前に乗っていた騎手が経験不足で怯えてしまい、ムチャな扱い方をして馬も身構えてしまったせいです。馬は悪くなかったんですね。




