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1 怪力女傑、愛馬と別れる

第2章の開幕です! よろしくお願いします。

 わたしはその日、宿で目を覚ました。

 二、三時間は眠れただろうか。身体中の傷が痛むし、疲労は残っている。万全の状態とは言い難い。

 わたしは朝の日課として、宿にある厩舎(きゅうしゃ)に入った。そこには一際大柄な体格の黒い毛並みを持つ牝馬(ひんば)がいた。


「……おはよう、アルファナ」


 愛馬アルファナ。「彼女」も疲れ切っているが、わたしの顔を見ると嬉しそうに鼻をこすりつけてきた。

 無理もない。昨日は余りにも過酷な一日だった。昼間はポロ競技で駆け回り、夜にはわたしやハール、アンジェリカを乗せて「円城(ラウンドフォート)」を脱出し、全力疾走したのだから。


 わたしはアルファナの労をねぎらうため、愛情を込めて毛をブラッシングする事にした。

 ここ数日、彼女の世話を従者に任せる事も多くなっていたが――今日は特別だ。大仕事を終えた「相棒」として、彼女を特別喜ばせてやらねばならない。


「……ここが気持ちいいのか?」


 長年寝食を共にしてきた間柄だ。彼女(アルファナ)の心地よい箇所、敏感な箇所は肌で覚えている。わたしのブラシが「良い部分」に当たると、愛馬は喜びの表情を浮かべてくれた。馬の世話で気持ちよくなるのは馬だけではない。世話するわたしも同様に嬉しくなれるのだ。

 一通りブラッシングを終え、大量の汗を流した後は朝食の時間だ。上等な麦を食べさせる。預言者スクルージいわく「馬に与えし小麦の一粒一粒が、神への喜びの供物となる」そうだ。


「ありがとう、アルファナ。……しばらくお別れになる。

 わたしも寂しいよ。でも必ず――迎えに来る。待っていてくれ」


 長年連れ添ってきた愛馬と離れ離れになるのは、わたしにとって断腸の思いだった。

 だが――これからやらねばならない事を考えれば、「彼女」を連れていくのは目立ちすぎる。敵に見つけてくださいと言っているようなものだ。


 悲しむべき事だが、不安ではない。必ず再会できる――そう信じて、別れよう。さもなくば、アルファナも不安で怯えてしまう。


「すまないが、後を頼んだぞ――ハンス」


 わたしは従者の名前を呼び、彼に愛馬(アルファナ)を託してから……宿を出発した。

 一旦別れたハールとアンジェリカ。二人と合流せねばならない。別れ際、ハール皇子からこっそり渡された小さな絹紙(セルプ)を開いてみる。

 不思議な材質だ。羊皮紙よりも柔らかく、パピルスよりも薄い割に破れにくい。遥か東方の異国・絹の国(セリカン)から伝わったとされる、全く新しい製法を用いて作られた紙だという。(おおやけ)の文書に使うには頼りないが、こうしてちょっとしたメモや暗号に用いるにはうってつけの品だろう。


 絹紙(セルプ)には短く、人名が書かれていた――「カシム」、と。

 これを他の誰が読んだところで、ありふれた名前でしかなく、何を意味しているのか分かる者はいないだろう。だが単純(シンプル)ながら、わたしとハールだからこそ理解できる「暗号」になっている。

 落ち合う先は、カシムのいたスラム街の廃屋だ。


 わたしは笑みを浮かべ、日が出たばかりの帝都マディーンの往来を歩き出した。


***


 思ったより道中トラブルはなく、わたしは意外とあっさり南部地区に辿り着く事ができた。

 もちろん一応の用心として、スクル教徒の女性がするような覆布(ヒジャブ)を被り、極力顔がバレないようにしてはいたが……それにしても、帝都は静かだった。

 昨夜、円城(ラウンドフォート)で火事があり、その犯人(濡れ衣だが、わたし達の事だ)が逃亡している――そんな状況だというのに、衛兵や巡察官たちはいつも通りで、慌ただしい素振りすら見られない。

 敵はまだ、兵たちを掌握しきれていないのか? それとも、何か別の考えがあるのか。


(何にせよ、助かったな)


 わたしは心の中で安堵しつつ、ハール皇子たちとの待ち合わせ場所であるスラム街に向かった。


「あっ! きのうのでっかくてきれーなおねーちゃんだ!」

「……こんにちは、マルフィサだ。カシムはいるかな?」


 廃屋から十に満たない幼女が顔を出し、わたしを見るなり嬉しそうに元気な声を上げた。どうやら覚えてくれていたらしい。

 奥に通されると、そこにはスラム街の子供たちのリーダー、カシムと――粗末な衣服を身に着けている二十歳前の少年、そして十二歳ほどの少女がいた。変装して薄汚れた風体にはなっているが、顔を見れば分かる。アルバス帝国第二皇子のハールと、魔法少女のアンジェリカである。


「フィーザ! よくここが分かったわね」アンジェリカはわたしを見るなり、パッと顔を輝かせた。

「別れ際に僕が暗号を書いたメモを渡したからな。見つけてくれなきゃ困る」ハール皇子は得意顔だ。


「よっ、また会ったな。マルフィサの姉ちゃん」

「カシム。また会えて嬉しいよ」


 カシムは屈託なくニカッと笑い、わたしに拳を突き出してきたので、わたしも応じて真似をした。手加減したつもりが、カシムはちょっとバランスを崩しかけてしまったが。


「しっかし驚いたな。ハールお前、身なりが貧相だった割に銀貨(カネ)をたんまり持ってたから、只者じゃねーとは思ってたけど……

 まさかマジで、この国の皇子サマだったとはなー」

「今まで黙っていて悪かったよ、カシム。でももう僕は皇子じゃない。()皇子だ。

 聖帝(カーリフ)の座を継いだ兄上に、放火の疑いをかけられて追われる身。ただのお尋ね者に成り下がっちまった――にも関わらず、僕を匿ってくれて本当にありがとう。感謝している」

「水臭いぜ。身分が違うったって、これまでずっと一緒にやってきた仲じゃねえか。

 それにさー。放火がどうこうって話も、要するに濡れ衣なんだろ? 無実を証明すればいいんじゃねーの?」

「それができるなら……こうやって逃げなくても、よかったんだけどね」


 ハール皇子は自嘲気味に笑った。

 百万都市と(うた)われた帝都マディーンを(よう)し、中東(アラク)世界の大半を支配するアルバス帝国。世界で最も栄えている大国といっても過言ではないが……その実態は、聖帝(カーリフ)の独裁色が強い宗教国家だ。

 ハールの父にして先代聖帝(カーリフ)のマフスールは、かつて建国の功績のあった大将軍と政治的に対立し、反逆の罪を犯したとして投獄・粛清を行っている。聖帝(カーリフ)の不興を買えば、長年仕えた功臣ですら弁明の機会も与えられず、闇に葬られてしまう……要するに、そういう国なのである。


「まったく打つ手がない訳じゃない。希望ならまだある」わたしはハールを励ますように言った。

「あのムーサーという男。傲慢で狭量な性格から、母親にも部下にも嫌われていたそうだな。人望のない者が聖帝(カーリフ)になったところで、彼に忠誠を誓う者はそう多くない」


「あたしもフィーザと同意見――でもね」口を挟んだのはアンジェリカだ。

「脅威なのは、ムーサー本人よりもむしろ、彼に仕えている白仮面(ムカンナア)よ。

 奴は強大な魔術師なの。あいつに対抗できる力を身に着ける事が、まず先ね」


 対抗できる力……か。相手が生身の肉体を持つ人間や怪物であれば、わたしも引けを取るつもりはないが。実体のない幽精(ジン)や、得体の知れない魔術が相手となると……少々勝手が違ってくる。ここは専門家である、アンジェリカの意見を素直に聞いた方が良さそうだ。


 ふとわたしは、懐に入れていた握り拳大の紅玉(ルビー)の事を思い出し、取り出してみた。

 昨夜、燃え盛る塔の上で死闘を繰り広げた、炎の魔神(イフリート)の心臓。一見何の変哲もない大粒の宝石にしか見えないが、握ってみるとほんのりと暖かみがある。これも「魔術」とやらのなせる業なのだろうか。


「わあ。すっごいキレイな石!」

「メチャクチャ高価そうじゃね!? それ一つでパンがいくら買えるんだ?」


 うっかりしていた。わたしの持つルビーに気づき、スラム街の子供たちが目をキラキラさせて集まってくる。


「あーこらこら、みんな。それはマルフィサの持ち物だ」カシムが子供たちを制した。

「オレたちは悪党からは盗むが、彼女みたいな善人から盗んじゃいけない! みんなでそう決めただろ」


 カシムの言葉に、子供たちは名残惜しそうな顔をしつつも素直に従った。


「……その紅玉(ルビー)魔神(イフリート)から奪ったものよね?

 倒し方はそりゃ教えたけど、あの程度の魔道具だけで本当に勝っちゃうなんて……」


 アンジェリカが舌を巻き、わたしに羨望の眼差しを向けた。こう面と向かって褒められると、少々面映ゆいものだな。


「わたし一人の力ではない。アンジェの助言と、借り受けた水の護符。そして救援に来てくれたアグラマンのお陰だ。それでもギリギリの勝利だったがな。

 ……と、そうだアンジェ。このルビーだが、握りしめて目を閉じると、妙な光景が見えたんだ。

 昨夜魔神(イフリート)と戦っていた時には、白い仮面を被った男が見えた」

「え……それって、もしかしなくても白仮面(ムカンナア)じゃ……フィーザも、アイツに会ったのね。間接的にだけど」

「うむ。だが今は、違う光景が見える。ぼんやりとだが……岩山の中に、古びた建物がな。どこかで見たような気がするんだが――」


『へえ。そいつはスゴイ! アンタ、幻影(ビジョン)が見えるのか。タダの筋肉娘じゃあねェんだな!』


 突如、聞き覚えの無い不可思議な声が廃屋に響いた。アンジェリカ以外の誰もが、声の主を探ろうと辺りを見回す。

 ほどなくしてアンジェリカの右手中指に嵌められた指輪から、ぼうっとした奇妙な影が出現した。「それ」はぼんやりと透けて見える、大きなトンボの姿をしていた。


「うわっ! なんだコイツ。トンボのくせに……喋った!?」ハールが素っ頓狂な声を上げる。


 周りにいたスラム街の子供たちにも見えているらしく、彼らも驚いている。

 トンボは気分を良くしたのか、宙返りして胸を張るようなポーズを取った。


『オイラはトンボじゃねえ! アンジェリカを影で支える偉大な存在。彼女の指輪に宿る、人呼んで”時の幽精(ジン)”だ! よろしくな』

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