白仮面、帝位を簒奪する★
※幕間の話となります。白仮面視点です。
※ショッキングなシーンがございますので、ご注意下さい。
※今回の挿絵は貴様 二太郎さんに描いていただきました。ありがとうございます!
豪奢な衣服をまとった青年――アルバスの帝位を継いだばかりのムーサーは、苛立っていた。
「ハールに逃げられただと!? 貴様ら、揃いも揃って何をやっておったのだ? 無能どもめ!
あんなチャラついた青二才ひとり捕らえられぬとは……何たる醜態。それでも栄えある帝国の騎士かッ!?」
怯える兵たちを叱責している。皇族にあるまじき粗野な口ぶりで、不機嫌を隠そうともしていない。
最も醜態を晒しているのが自分自身だと、気づいてさえもいないだろう。無様を通り越して滑稽ですらあった。
兵が全員、退出した後も……ムーサーの怒りはまるで治まる気配がない。
「ムーサー殿下、気をお鎮めあれ。そのように荒ぶっていては、皆が恐れまする。殿下を利する忠臣すらも、遠ざけてしまいますぞ」
「……その声は、闇か」
私の声を聞き、振り返るムーサー。私の顔――白仮面を見た途端、彼の険しかった表情がさらに大きな怒りに歪んだ。これで弟と同じ血を引く兄とは、にわかには信じがたいほどだ。
「……貴様にだけは言われとうないわ! 我の機嫌が悪いのは、そもそも貴様がしくじったせいなのだぞ?
我が母ハイズラーンは生き残り、塔を無駄に焼いただけに終わった。その罪をなすりつけた弟ハールも捕らえられず、おめおめ城外に逃がすという有様だ!
貴様の計画はことごとく失敗に終わっているではないか! いったいどういうつもりだ、この体たらくは?
二年前、貴様の素性に目をつぶり、命を助けて取り立ててやった恩を忘れたとは言わさんぞ。この役立たずの『穢れた肌』がッ!」
ムーサーはつかつかと私に歩み寄り、怒りに任せて私の頬を思いきり殴りつけた。仮面越しに血が飛び散り、彼の拳に付着する。
「ちッ……穢れた肌の薄汚い血がついてしまったではないか」
「…………畏れながら、殿下」
「ザラーム。いつまで我を『殿下』と呼ぶつもりだ? 貴様の予言通り、父は今宵、病にて亡くなられた。
今やこの我、ムーサーこそがアルバス帝国の聖帝なるぞ。陛下と呼ばぬかッ!」
「……こたびの計画ですが、失敗ではございませぬ。すべて予定通りでございます」
「…………なんだと?」
この期に及んでムーサーは、私の真意を理解できず――暗く淀んだ、敵意に満ちた眼差しを向けてくる。
「ハイズラーン皇妃が生き延びたのも予定通りなら、ハール皇子が逃げおおせたのもまた、計画の内にございます。何も狼狽える必要はございませぬ」
「戯言を申すなッ! 常日頃から我を煙たがっていた母が死なず、我が皇位を脅かす不穏分子の弟ものうのうと生き延びておる。これのどこが計画の内だ!?」
「……確かに、ムーサー殿下には申しましたな。『母君を焼き殺し、その罪を弟のハールに着せて投獄する』……と。そう、ムーサー殿にはね」
「!? 貴様、まさか――」
勘の鈍い兄君もようやく、私の言葉の意図を理解しはじめたらしい。咄嗟に腰の曲刀を抜き、斬りかかろうとした。
どくん。
ムーサーの抜いた刀が私の首筋を切り裂こうと振り下ろされ――すんでの所で、止まる。
ムーサーは必死の形相だったが、微動だにしなかった。意のままに動かぬ己の肉体の異変に気づき、驚きと恐怖の入り混じった顔になる。
「……ザラーム……貴様、いったい何をした……! どういうつもりだ……!? 我を……裏切るのかァ!?」
「今宵、私の血を浴びるべきではありませんでしたな。
殿下。こちらからも言わせていただきまする。私の名は――白仮面。闇でもなければ『穢れた肌』でもない」
ムーサーの全身から脂汗がほとばしる。どれだけ力を込めても身体は動かぬまま。いい気味だ。
この二年間、命を救ってやった「恩人」というだけで、この私にさんざん屈辱的な言葉と暴力を浴びせ続けてきた。これは然るべき報いなのだ。
「ふざけるな! 許さぬぞ。貴様ごときが……本来であれば、反乱の首謀者として処刑されて当然であった貴様が……!」
「その私の誘いに乗り、虎視眈々と母と弟を抹殺する機会を狙っていたお方が、この期に及んでなお尊大な態度。
……いやはや、パルサの上層民とは恐ろしいものでございますな」
今や、立場は完全に逆転していた。
奴の白い鼻っ柱に、我が指先をつきつける。白絹の間からぬっと突き出た、青黒い肌。きっと「醜い腕だ」と思っているに違いない。
私の肉体は肌だけでなく、爪の間にまで濁った溝のような暗い色が染みついている。
「うぐッ……なんだこの臭いは……胸が悪くなりそうだ……!」
ムーサーは思わず顔を背けようとするが、それも叶わない。私は無造作に奴の顔面を掴んだ。
そして私はゆっくりと、己の仮面を取る。ムーサーはさらに驚いただろう。何しろ仮面の下から、自分そっくりの顔が現れたのだから。
「なッ…………!? 貴様、いった、い……!?」
「『あなたの血をいただきます。あなたの地位もいただきます』」
ムーサーは全身を渇きに苛まれ、ビクビクと痙攣し――意識を失う。彼の肉体は見る間に水分を失い、カラカラに干からびたミイラのようになった。
やがてサイズも掌に納まるほど縮んでいく。もはや「これ」が生前のムーサーであったなどと、誰一人として気づく者はいないだろう。
「機は熟した。これより私こそが……いや、我こそが『ムーサー』であり、この国を支配する聖帝と……なる。くくフフフ」
我が全身はすっかり変貌を遂げており、青黒かった腕も、白くみずみずしいパルサ人の「それ」になっていた。
中東最大の帝国アルバス。その後継者の座を、今やこの白仮面が奪い取ったのだ。
「…………終わったのかしら? 白仮面」
奥のヴェールから女の声がして、部屋の中に妖艶な美女が入ってきた。
豪奢なパルサ衣装に身を包んだ、気品と色気を漂わせる女。ムーサーとハールの母にして、元皇妃のハイズラーンだ。歳は三十五を越えているが……こうして見ると二十代にしか見えない。元々は女奴隷の身分であったそうだが、先代の聖帝が入れ込んだのもうなずける。まさに魔性の女と呼ぶに相応しい美しさであった。
「全て滞りなく。母上」
「……赤の他人にそう呼ばれるのは、何ともイヤな気分になるわね」
「そこは慣れていただかねば。これより先、この私があなたの息子、ムーサーなのですから」
いかな敵対していたとはいえ、己が腹を痛めて産んだ長男をこうもあっさり粛清するとは。何事もなかったかのように、顔色一つ変えていない。
「……ハールには逃げられたそうね。あの子の身の安全は――」
「大人しく捕まっていただけたのなら、その点も問題はなかったのですがね。まあ、微力を尽くさせていただきましょう。聖帝の名に懸けて」
「…………ふん。期待しているわよ、ムーサー」
ハイズラーンは皮肉めいた口調で言い捨て、私に背を向けて部屋を後にした。
あの女は、私の真の目的には……気づいているのか? まあ、どちらでも構わない。多少の狂いはあったが、計画そのものは順調だ。
私を破滅へと追いやった、強大にして憎き帝国は、今この時より――私の手によって、破滅への道を辿るのだから。
(幕間 了)
第2章の開始は9/28(火)を予定しています。




