12 魔法少女、少年皇子に未来を視せる★
※アンジェリカ視点です。
※今回の挿絵のキャラクターは、貴様二太郎さんにデザインしていただきました。ありがとうございます!
フィーザ(註:マルフィサの事)が「空飛ぶ絨毯」に乗り、塔の頂上へ向かった。あの女には驚かされてばかりだ。どれだけ鍛えているのか知らないが……チンピラだろうと魔物だろうと、筋肉が全てを解決すると言わんばかりである。
魔術の素養もないはずのただの人間なのに、本当に炎の魔神にも勝てるかもしれない。そう信じてしまいたくなるほどの力強さが、彼女にはあった。
(はッ……こんな事をしてる場合じゃない。ここを離れないと)
未だへたり込んでいるハール皇子――あたしのいた世界では、ラシドと呼ばれていた男――彼を連れてこの場を脱出しなければならない。
塔から崩れた瓦礫が炎を撒き散らし、彼の兄ムーサーの兵たちが右往左往している今が好機だ。
「アンタさぁ、いつまで呆けてんのよ! ここでじっとしてたら、本当に捕まっちゃうわよ?
せっかくフィーザが時間稼ぎしてくれてるんだから、この隙に逃げましょう!」
「……逃げる……逃げるだって? そんな事をして、何になるっていうんだ……?
僕は母殺しの疑いをかけられた罪人だ。兄は本気で僕を捕らえようとしている……僕はもう、終わりだ……」
いきなり何を言い出すのだろう。ついさっきまでの、鼻持ちならない生意気な態度はどこへ消えてしまったの?
……まったくもう、世話の焼ける!
「アホみたいな事言ってないで! アンタここで捕まったら、殺されちゃうのよ!? そーなったら、あたしが困るのよッ!」
「…………? 何を言っているんだ。なんできみが? きみとは今日、会ったばかりじゃあないか……」
確かにその通りだ。今この時点では、ラシドとは初対面でしかない。
あたしがいくら口で説得したところで、絶望してしまった彼の心を変える事はきっと、できないだろう。
(……こうなったら、あたしも……覚悟を決めなくちゃ。コイツに死なれたら、全てが終わってしまうんだから)
彼を奮い立たせるには、あたしの正体を知ってもらわなければならない。
自分をさらけ出す勇気が、今までのあたしには無かった。でも今は――なりふり構っていられない!
あたしはラシドの手を握った。口の中で小さく呪文を唱える。
「…………ッ!?」
ボーっとしていた少年皇子の顔色が変わった。周囲をキョロキョロと見渡し、混乱と恐怖に戸惑っている。
「……何だこれは。何なんだこの光景は!?」
「今あたしは、あたしを『この世界』に導いてくれた、時の幽精の力を借りている。
アンタが今見ている風景は――かつてのあたしの記憶。正確には、アンタが殺された後のクソったれな未来」
あたしの脳裏にも映っている。破壊され、疲弊し、全ての大地が不毛の荒野と化した……破滅の世界だ。
やがて見えてくる。人々が死に絶え、巨大な廃墟と化した……円城、そして昔は繁栄した「帝都だったもの」。
「信じられない……幻覚か!? それにしちゃあ、真に迫り過ぎているが……」
「残念だけど、幻覚なんかじゃない。これが幻だったら、どんなに良かったか」
「じゃあこの地獄のような光景が、同じ中東の世界……? 未来の帝都マディーンだというのか!?」
「……そうよ。あたしにとっては過去の出来事だけれど、アンタにとっては未来の世界。
もしアンタが今、ここで命をあきらめたら……未来はこうなっちゃうって事なのよッ!」
あたしが大好きだった友だちが。あたしの愛した母様が。楽しかった思い出も、日常も……何もかもが壊れ、そして皆、いなくなった。
あの時の怒りと悲しみが、再びあたしの心を冷たい手で握りしめてくる。寂しさとやるせなさで……出したくもない涙が流れ、あたしの頬を伝った。
「……………………」
ラシドは絶句し、微動だにしない。
――いくら絶望の「未来の記憶」を共有したところで。突拍子もない話である事には変わりない。
信じてもらえるだろうか。あたしの言葉は彼に届くだろうか。
「……だから、お願い。ラシド……絶望する気持ちは分かる。でもここで立ち止まらないで。
あなたの命が失われれば、この国に住む人々――何万、何十万もの生命と希望が……全部、消えてなくなっちゃう……」
不安と寂しさが入り混じり、感情がぐちゃぐちゃになったあたしは――自分でも奇妙な行動を取った。
怯えるラシドに寄り添い、そっと抱き締めたのだ。そんなつもりは無かったのに、自然と体が動いていた。
「……凄まじい光景だが、心の整理がつかない。未来の景色を、信じていいものか……僕には判断がつかない。
でも……アンジー。きみは僕の隠された名前を知っていた。皆が知っている『ハール』ではなく……本来、親しい家族や恋人にしか明かしていないハズの名前をね。
それにきみの見せた涙と訴えは、本物だと思う。僕は……きみの言葉を、信じようと思う」
ラシドはそう言って、立ち上がった。間近で見ると、あたしよりずっと背が高い。
普段は軽口ばかり叩いているくせに、女の子の前では恰好をつけたがる性なのだろう。
この期に及んで、あたしが恥を忍んで覚悟を決めて、膨大な魔力を消費してまで見せた「絶望の未来」じゃなく、あたしの言葉を信じる?
「……信じてくれるってんなら、最初から、そう言いなさいよ……まったく」
悪態をつこうとしたが、泣きじゃくった声のままでは、ぐずった子供そのものだ。恥ずかしい。
「!?」
安心したのも束の間。あたしは立ち直ったラシドの肩越しに――とんでもないヤツを見た。
「……どうした、アンジー」
あたしの強張った様子が伝わったのだろう、ラシドも只事ではない気配を察知し、あたしの視線の先を見ようと振り返る。
炎の中から人が現れた。白い装束をまとい、白い仮面を身に着けた背の高い男。
装束からわずかに覗く皮膚の色は、気味の悪い青黒さで――まるで死人のようだった。あたしはコイツを知っている!
「そんな……白仮面……!? なんでアンタが、ここにいるのよッ!」
「白仮面……? 何を言ってる? 奴は去年、東方で焼け死んだハズだ。
そこに立っている男の事か? あいつは仮面なんかつけてないじゃないか」
ラシド皇子は理解不能といった様子だ。どうやら厄介な事に、白仮面は外見を偽装しているらしい。あんな見た目では目立ちすぎるものね。
「魔術で変装してるのよ。でもこのアンジェリカ様の目はごまかせないわッ!」
「…………ほう。子供のくせに、私の正体を見破るとはな」
男――白仮面から、しゃがれた声が漏れる。聞き覚えのある声だ。忘れもしない――あの「クソったれな光景」を生み出し、あたしの世界を蹂躙した元凶。
お前がラシド皇子を殺さなければ。お前が母様を殺さなければ。お前さえ……お前さえいなければ!
あたしの感情は沸騰した。
「おおああああッ!!」
気づいた時には、あたしはラシドの制止を振り切って飛びかかっていた。憎き仇だ。こいつを殺さなければ、全てが終わってしまう!
手のひらに魔術の力を込め、あたしは白仮面に一気に近づき――次の瞬間、真後ろに吹っ飛ばされていた。
「うぐッ」
「アンジー!」
脳天に殴られたような熱い痛みが走る。憎き白仮面は右手を上げただけで、魔術の詠唱すら聞こえなかった。
にも関わらず、見えない力があたしを弾き飛ばしたのだ。
「貴様が何者なのか、気にはなるが……私の変身術を見透かせるとなると、厄介だな」
仮面の男の口から、くぐもった声が聞こえた。
「ハール皇子殿下、安心めされよ。お主は今ここでは殺さぬ。まだ死んでもらっては困るのだ。お主とお主の血族に対する恨み――そんな簡単に済ませてよいものではない。
この場で捕らえ、死よりも苦痛を。不快を。精神の蝕みを。じわじわと、永劫にも錯覚するほどの長き時間をかけ、味わわせてやる」
暗い情念だけで形作られたような、胸の悪くなる声だった。あたしも人の事は言えないが……白仮面の恨みはそれ以上だ。
人間、どれだけの屈辱を味わえば、ここまでおぞましく人を憎めるのか――本物の「憎悪」を目の当たりにし、あたしの怒りの感情はどこかへ消し飛んでしまっていた。
「アンジー、何を考えてる? 今はここから逃げるんじゃなかったのか?」
「……そう、だったわね。ごめんなさい」
「よしッ! じゃあさっそく逃げよう!」
ラシドはそう言って、あたしの腕を引っ張って駆け出そうとし……いきなり「何か」にぶつかって鼻を押さえた。
「痛って! なんだ……? 何もないハズなのに、壁が……!?」
「……白仮面は今、人払いの結界を張った。あたしがさっき吹っ飛ばされたのも、その結界のせい」
「そーゆー大事な話はもっと早く言ってくれない? どうすりゃいいのさ!?」
「奴の魔術を解除しない限り……あたし達はここから出られない。結界の中で殺されれば、誰にも気づかれない……!」
「何ソレ反則じゃん!? あいつメチャクチャ強そうだし!」
「……この魔術も知っておるのか。アンジェリカ、といったか? 未熟とはいえ、お主は野放しにはしておけぬな。やはり今すぐ殺すべき!」
あたしは己の愚かさを呪った。白仮面を見た途端、怒りに我を忘れ――本来やるべき事を怠った。奴の結界魔術が完成する前に、全力で防ぐべきだったのだ。
奴は続けざま、あたし以上の魔術を打ち込むつもりだ。今度は詠唱込みの、死を招く奪命術。アレを放たれたら、この狭い結界の中でかわしきる術はない。
――万事休す。かに見えた、その時だった。
突如「ぱんッ」とガラスを割るような音が響いたかと思うと、大きな羽音と共に、やや小ぶりの鷹が飛び込んできたのだ。
「……何ッ! バカな……我が結界が!?」信じがたい事態に、狼狽する白仮面。
鷹はそのまま、ラシド皇子の左腕に止まり……案外可愛らしい声で「ピーィ」と小さく鳴いた。
「シャジャ! 助けに来てくれたのか……」
「アンタの飼ってる鷹?……そっか。あくまで人払いの結界だから、人じゃない動物だったらあっさり突破できるのね。……盲点だったわ」
「邪魔が入ったようだが、もう遅い」
白仮面が、両手に集めた魔力を解き放とうとした瞬間――再び奇妙な事が起こった。
彼の操っていた魔力が消える。それどころか、奴は突然頭を押さえ、苦しげにその場に膝をついた。
「……何……だと……? あの筋肉女、ただの人間のくせに我が魔神を……!? 信じ、られん……」
どうやらフィーザが、塔で暴れていた炎の魔神に勝利したらしい。普通に考えれば望み薄の戦いだったというのに、本当に倒したのね。あたしも信じられない!
白仮面の姿は、周囲の炎と煙に巻かれ――現れた時と同様、忽然と消え去っていた。
「え……あれ? あいつ、逃げた……? もしかして、助かったのか……?」
「変身術が解けかかったみたいね。あの目立つ人相がバレたら、大騒ぎになるし……そうなる前に撤退したんだわ」
(それに人払いの結界が破壊された以上、無理に凶行に及べば周囲の人間に気づかれてしまう。
白仮面、ラシドの事は殺さないとか言っていたけど……「もののはずみ」で、あたしごと彼の事も抹殺しかねない。それだけの殺意に満ちた眼をしていた)
しかし一番大きかったのは、やっぱりフィーザが魔神を打倒した事だろう。
彼女のお陰で、絶体絶命の危機から一転。あたし達は九死に一生を得たのだった。




