10 怪力女傑、火災の正体を見出す
ハール皇子は激昂して叫んだ。
「お前たち、よりにもよって何を言ってるんだ!?
僕が放火しただって? 母様の住んでいる塔を? ふざけるな!
そんな事より、母様だ! 母様は無事なのか!?」
「――それについては、我が説明しよう」
「……兄上ッ」
わたし達を取り囲む衛兵の間から、背の高い青年が現れた。顔立ちはハールに似ており、切れ長だが冷たい目をした男。彼がハールの兄ムーサーか。
「我らの母君ハイズラーン元皇妃は、先ほど救助された。今は別室で休まれておられる」
「そ、そうか……母様は無事なんだな。よかった……! 兄上、聞いてくれ。僕は今ここに戻ってきたばかりだというのに、兵たちが僕を放火犯だというんだ。
とんでもない誤解さ! 兄上からも皆に言ってやって――?」
ハールはそこまで言って、言葉を飲み込む。兄の様子がおかしい事に気づいたからだ。
それにこの男……もし、わたしの聞き間違いでなければ、ハールの母親のことを「元」皇妃と言わなかったか?
「確かに母君は無事だが……それとは別に訃報がある。たった今、我らが父君にして聖帝であらせられた、マフスールがお隠れになった」
「! そんな、バカな……数日前まで、あれほど元気だった父上が……!?」
ハールは頭を殴られたように、茫然となった。
母親の生存を知って安堵したのも束の間、今度は父親の死をいきなり知らされたのだから、無理もないが。
「急を要する事態だ。塔の火災もまだ続いている。故に第一の後継者であるこのムーサーが、聖帝の座を引き継ぐ。
その権限で以て、我が弟ハールよ。お前の身柄を拘束する!」
「何故です!? 僕は断じて放火なんてしていない! 第一、なんで僕が母様を焼き殺さなきゃならないんだ!?
それについさっきまで僕は、マルフィサたちと共に南部地区にいたんだ! アリバイだってある!」
必死で強弁するハールだったが――周りの兵士は彼の言葉を信じきってはいない。兄ムーサーなど、心なしか笑みを浮かべているようにも見えた。
「母君の塔の周辺で、コソコソしているお前の姿を見たという兵が何人もいるのだ。我が弟よ」
「…………!? どういう、事だ……!」
「それに今の話。お前が本当に南部地区にいたのなら、何故ここに顔を出せるのだ? あそこから円城まで、どれだけ急いでも三十分はかかるハズだろう」
「それはッ…………」
まさかアンジェリカの「空飛ぶ絨毯」でひとっ飛びした、などと証言はできない。ハールは絶句し、ガクガク震えながらその場にへたり込んだ。
申し開きができない事より、実の兄に母の殺害未遂を疑われている今の状況に、大きなショックを受けているようだ。
「……ちょっと、皇子さま。しっかりしなさいよ」
頭を抱えるハールを見て、さすがにいたたまれなくなったのか。アンジェリカが駆け寄った。
衛兵たちはムーサーの命令で、やや躊躇いつつも、ハールの身柄を拘束しようと動く。わたしはそれを遮るように、前に立った。
「なんだ貴様。女か? 邪魔立てすると貴様もひっ捕らえるぞ!」
「わたしはマルフィサ。今晩、ハール殿下の護衛をしていた者だ。そのわたしが証言する。
ハール殿下はわたしと共に、別の場所にいた。たった今戻ってきたところだ。放火などできる訳がない!」
わたしは敢えて自信満々に、堂々と言い放った。
こういう時は勢いが肝心だ。ハールが精神的に打ちのめされている今だからこそ、せめてわたしだけでも気丈に振舞わなければならない。
「マルフィサ……? ああ、確か昼間のポロ競技に飛び入りで参加したという女の騎士か」ムーサーが小さく舌打ちする。
「そうだ。我が戦士としての名誉にかけて、偽りを述べていない事を誓おう。ハール殿下は無実だ!」
「では放火があった時間、ハールの顔の目撃報告が上がったのはどう説明する?」
「さあな、知らん。わたし達も先ほど、帝都を脅かす魔物を退治して戻ってきたばかりだ。おおかた屍喰獣あたりが化けて出たのではないか?」
「戯言を……! さては貴様、弟に色仕掛けで取り入ったな? 惚れた弱みで庇い立てでもしようというのか!」
……よりにもよって、何という言いがかりだろう。わたしがハールに惚れている? 思わず笑ってしまいそうになるじゃないか。
「……まあ、そんな事よりも、だ。先に解決しなければならない問題があるだろう?」
「何ィ? 尋問をしているのはこのムーサーだ。貴様に提案する権利など――」
ムーサーが詰め寄ろうとした途端、上空で凄まじい爆発が起こった。炎上した塔の火は未だ消えておらず、壁の一部が崩落してしまったのだ。
「危ない、殿下!」
「ここは危険です。ムーサー様、お退がり下さい……!」
飛んできた瓦礫があちこちに降り注ぎ、ますます火を大きくする。悲鳴が上がる。運の悪い兵士が何人か炎に巻き込まれ、あるいは瓦礫に当たって大怪我を負った。
当然、わたしの所にも瓦礫は落ちてきたが――
「ふんッ」
わたしは気合を込めて鉄拳を繰り出し、瓦礫を粉々に砕いた。
周りからどよめきが起こる。たまたま砕ける大きさだったから迎え撃っただけで、そう大した事ではないはずだが。
「不確かな尋問など後回しにしろ。今は皆で一致協力して、塔の火災を鎮めなければならない。違うか?」
ムーサーとやらの姿は見えない。火に巻き込まれそうになってさっさと退散したか。意外と根性なしだな。
周囲の兵たちも動揺が広がっており、わたしの言葉を受け、どうしていいか決めあぐねているようだ。これは思ったよりも良い傾向だ。ハールはああ見えて部下には好かれており、逆にムーサーにはさほど人望が無いという事。上手くすれば説得して切り抜けられるかもしれない。
ともかくわたしは、未だ燃え続ける塔を見上げた。……ん?
「――あの巨大な炎。心なしか、巨人の姿に見えないか?」
塔の砕けた壁から吹き上がる炎。最初はわたしも気のせいかと思ったが……時折、赤い巨大な人影が拳を振り上げているように映るのだ。
「……言われてみれば、見えるような……?」
「馬鹿か、そんなハズはない。よく見ろ、ただの火じゃないか」
兵士たちの意見は割れていて、混乱気味にざわついている。
そんな中、わたしの言葉を真剣に問いただしてくる者がいた。アンジェリカだ。
「フィーザ。ひょっとして、あの魔神が見えるの……?」
「……あれが魔神なのか。噂に聞いた事はあるが、見るのは初めてだな」
魔神。中東世界でも伝説上の力ある存在。人の目に見えぬ幽精の上位種族であるという。
「どういう事? 魔術の素養がない人間には、実体化もしていない魔神を見る事なんてできないハズ。なぜアンタには普通に見えてんのよ?」
それはこっちが知りたい。自分でも心当たりがないからだ。過去に魔術を習った経験がある訳でもないし。
「何にせよ、塔の火災を起こしているのは、あいつの仕業か。なら奴を倒せば、あの炎は鎮まるんだな?」
「簡単に言ってくれるけど……相手は魔神なのよ? 屍喰獣や酔魔とは訳が違う。
悔しいけど、あたしにだってあんな巨大な魔神に立ち向かえるだけの力はない。いくらフィーザでも……!」
「だが誰かがやらなければ、火事は収まらない。見ろ、周りの様子を」
城の兵や召使いたちが、必死に消火に当たっているにも関わらず……魔神が腕を振るうたび、炎が飛び散り誰かが焼け焦げる。奴は明らかに、無力な人間を嘲笑っていた。のたうち回り苦しむ人々を見て、暗い愉悦に浸っている――
「それに、あんな輩がいい気になっているのは……わたし個人の感情としても許せんな」
「違う。確かに魔神は強力な存在だけれど、本来はあんなに残虐じゃない。
考えられるのは、アイツを使役している主人が、よっぽど性格ねじ曲がってて憎しみに満ちているとか、だと思う」
なるほど。だとすればあの魔神を操っている輩は相当、どうしようもなく邪悪な人間だという訳か。
「なら、ますます止めなくてはな。魔神を倒す方法自体はあるんだろう? 頼むアンジェ。どうかわたしに、力を貸してくれ」
わたしが真摯に訴えかけると――アンジェリカはこくりと頷いた。そしてわたしに「方法」を耳打ちをしてくれた後、「空飛ぶ絨毯」まで貸してくれた。
「あたしが乗らなくても、絨毯を動かす事自体はできるわ。それに乗れば、屋上まですぐに飛んでいけるハズ」
「……感謝する」
アンジェリカから魔法の道具を幾つか借り、わたしは「空飛ぶ絨毯」に飛び乗る。すると絨毯はふわりと浮かび上がり、瞬く間に燃え盛る塔の頂上まで到達した!




