雨が降っても傘をささない
今日は雨。
天気予報では降水確率80%と出ていた。
だから傘を持って行かないわけがない。
会社帰りだ。随分と雨が降っている。
電車で自宅の最寄駅に着き、改札を出る。
傘を持っているとはいえ、ざざぶりの雨に気を重くする。
とにかく早く帰ろう。
傘をさし、駅から出ようとした時だ。
一人の女性が、じっと佇んでいた。
見るに、傘がなくて帰れない様子。
そんな馬鹿なことがあるか。
今日はどの天気予報を見たって、雨だと予報していた。
今朝も雨は降っていなかったとはいえ、どんよりとした雲で空が覆われていた。
傘を持っていかないはずはない。
だがその女性には、傘がなかった。
何を考えているのだろうか、と私は少し怒りにも似た感情が芽生えてしまった。
だが怒っても仕方がない。この女性にとっては怒りを向けられる筋合いもないはずだ。
私は考えた、この女性を傘に入れてやるかどうか。
これほど雨が降るのは確実だった日に、傘を持ってこないというのは言語道断。
自己責任ではないのか。わざわざ傘に入れてやる義理もあるまい。
そう考えた。
他のこの場に居合わせた人々も同じ考えなのだろうか、
女性を傘を入れてやるでもなく、傘を貸してやるでもなく、
スルーしてそれぞれ帰路に着く。
本当にこれでいいのか。
このまま私が何もしなかったら、街ゆく人々と同じではないか。
所詮私も、この街の風景と同程度のつまらない人間で、
困っている人に何もしてやれない、無情な者の一人にすぎないのではないか。
やはりなんとかしてやらなければ……
だが、傘に入れてやるというのはどうなのだろう。
女性の家と私の家、同じ方向かどうかわからない。
まったく別の方向だとすると、女性の家までついていくというのだろうか。
いきなり話しかけられた男に、家までついてこられるというのは気味が悪いのではないのか。
何か下心があるのではないか、そう思われても仕方がない。
だったら、私の傘なのだから、私の家までついていってもらって、そこで解散するというのはどうか。
いや、何も変わらない。家まで連れてきた男だと思われる。
では、コンビニまで付いていって、そこで傘を買ってもらうというのはどうだろうか。
十分な妥協策だろう。だが、コンビニまで一緒に行っておいて、
傘を買ってくれという感じになったらどうするのだ。
自分の傘なんだから自分で買うというのが筋だろう。
だが、本当に親切な人間なら、傘も買ってやってそこで親切は完了するというものなのではないだろうか。
私は知らない人間にわざわざ金を出してやるほど、余裕もないし器もない。
だから却下だ。
色々考えあぐねた末、やはり私はダメだと思った。
こういう局面で人助けができる人間というのは、
直感的に、思考の隙も与えぬ速さで人助けができるというものではないか。
ぐちゃぐちゃ考えてしまった私には、やはり人助けできる資格もない。
それに何より、私も雨に濡れたくはなかった。
でも、その辺にいる群集にはならない程度に振舞わなければならない。
このまま無視して通り過ぎるというのも自分が許せない。
だったら程々に助けよう。そうしよう。
私はある妥協策考えついた。
鞄を開き、ガサゴソと荷物を漁る。中からタオルを出した。
これが私にとっての唯一の落としどころだった。
傘は貸さないし、入れてはあげない。
だから、せめてタオルで雨を少しでも防いでもらって、なんとかしてもらうのがいいだろう。
とはいえこのタオル、私が職場で汗を拭いたタオルだ。
私の匂いがついている。
そんなタオルを渡して大丈夫なのだろうか。
自分の匂いのついたタオルを渡すなんて、変態と思われないだろうか。
そんなことは言ってられないだろう。
タオルならいい。なぜか、特に理由はない。根拠もないが、とりあえずタオルならいい。
そう自分に言い聞かせて、タオルを備えた。
「すみません」
女性は振り返り私を見る。
「もしよければ、タオルを差し上げますよ。これで雨を防いでください」
私はなんの躊躇いもなくタオルを渡した。
すると女性は「ありがとう」と一声かけて、
タオルを受け取る。
そして、ニヤリと笑ってタオルで目隠しをし始めたのだ。
私は、女性が何をやっているのか、皆目見当がつかなかった。
なぜ、目隠しなのだ?前が見えないのではないか?
そんな心配も他所に、彼女はタオルで目隠しをした状態でふらふらと歩き始めた。
前が見えていない女性は、ガードレールや電柱にぶつかる。
だが、横断歩道はカンでなのか、青信号の時にうまく渡った。
そのままふらふらと歩いていった彼女の姿は見えなくなった。
そして雨がやんだ。