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第四章 賭け


書いているうちに、物語の終わりが徐々に見えてくるものです。

ラストはあらかじめ決めていたのですが、そこに至る道のりはぐちゃぐちゃ。

ここがこうなってこうなるから、最後はこう。

そうして物語は形になっていきます。

書く楽しさと苦しさは、紙一重なのですね。

まさに、産みの苦しみというヤツでしょうか。

 小宮山幹には母親がいない。まだ幼い頃に生き別れたため、記憶も曖昧にしか残っていない。

 恵まれた国である日本でもそう珍しいことでないだろうし、幹本人もそれを特別不幸だとは思っていない。

 よくある不幸とは割り切れないが、それにこだわるほど繊細にはできていないのだ。

 母の不在をどう感じるか、幹は一度大樹に聞いてみたいと思っているが、それは未だに実現していない。幼い頃からほぼ独学で家事をこなしてきた大樹は、決して自分から母親のことを語ろうとはしない。毎年、母の命日には朝から一人で弁当を作り、そのくせ幹が誘うまでは家から出ようとはしない。そしてその日は決まって無口でいる。

 もしかしたら、幹の知らない所で何かがあったのかもしれない。それが大樹に何か影響したかもしれないし、しなかったかもしれない。そもそも何も無かったかもしれないのだが、今更聞けるようなことでもない。

 その大樹だが、今でこそ信じられないが、小学校にはいった頃にいじめにあっていた経験がある。

 当時の父は幼い子供達を一人で養うために、かなり根を詰めて働いていた。父が働いている姿を見たことは無かったが、幼い幹と大樹は、普通の父親は子供が寝てしまってから家に帰ってきて、Yシャツを着たまま布団に入るものだと信じていたほどだ。

 学校に来てくれる親がいないということはつまり、小学生にとっては絶対的守護者の不在に等しかった。

 更に、その頃の大樹は取り憑かれたように家事を勉強していて、クラスメイトと遊ぶことも無く家に帰ることが常だった。必然、友達も目に見えて減ることとなった。

 いじめは上履きをゴミ箱に捨てたり教科書を破いたりといった、どの学校にでもあるようなものであったが、もちろんそれは6歳の子供が簡単に受け入れられるようなものではなかった。

 一人で抱え込み、幹にも父親にも相談しようとしない大樹を見かねて、幹は父親を頼った。それは小学生がとる選択として妥当なものだった。

 小学生だった幹は、当時の父の言葉を今でも覚えている。


 おまえが大樹を守ってやるんだ


 こうして幹は父に代わって大樹の守護者となり、大樹のクラスメイトの敵となった。

 そして父は、自らが守護者となる道を拒んだ。

 父の心は、どこか遠くに置いてけぼりのままだった。


 

 戻って来た幹と渡辺を最初に迎えたのは修司だった。

 預かっていた子供を側にいた中学生に任せると、修司は二人の方に駆けつける。

 適当にやると言っていた修司だが、一応まじめにはやっていたようだ。それとも、小学生と波長があっていただけなのかもしれないが。

 幹も渡辺も急ぐ気になれず、三人が合流したのはちょうど校門の辺りだった。

 二人の側に来た修司はまず鼻をヒクつかせると、いつもの笑顔をこころなしか更に明るくした。

「二人ともタバコ臭いね、今まで吸ってたの?」

「あー、わりい。ついな」

 あー、こいつやっぱ怒ってるよなー……などと思いながら、ぽりぽりと頭を掻く幹。

 短い付き合いだが知っている。こいつはキレないけど、別の意味で怖い。

「三枝さんが知ったらなんて言うだろうねー」

「いや、ホント悪かったから、それはカンベンしてくれ……」

 あまりに悪質かつ合理的な嫌がらせに、戦慄を覚える幹であった。この男なら、それぐらいのことは平然とやってのけることを、短い付き合いのなかで幹は思い知らされている。

 先日とった赤点で、幹の臨時教師を務めていた千紘はそりゃあもう見事に荒れた。思い出すと、踵がモロに入った太腿が痛くなってきた。

 そんなやり取りをみて、下種な勘ぐりをする中年もいたりした。

「三枝ってのはなんだ、幹のコレか?」

 そういって小指を立てるのだから、さすがにそれはウザイと思う幹であった。

「ただのクラスメイトですよ。それと、俺は大分嫌われているみたいですから」

「ほー、嫌われてんのか」

「そうらしいですねー」

 そう言ってなぜか二人でニヤニヤしだす修司と渡辺先生。置いてけぼりの幹は、なんだか面白くない。

「このあと何かあるのか?」

 話題を変えるために、幹は言った。もっとも、本当の狙いは別にあるのだが。

 それに答えたのは修司だった。

「このあとはみんなでお昼を食べて、それから解散になる予定だよ。ちなみに僕はここの女の子たちに呼ばれて打ち上げがあるんだけど、幹もどうせなら来なよ」

「ああ、時間が余ったらそうさせてもらうかな」

 そう言ったあとにすぐ、タバコと村越あすろのことを幹は思い出した。確証はないが、なぜかそんな気がしたのである。

 まあ自由参加なら、出なくてもいいんだろう。年下とか女の子とか、その手のことははっきり言って苦手。さっそく及び腰の幹であった。

「ねえ幹、時間が余ったらってことはこのあと何か用事でもあるの?」

 修司は本当に何気なく聞いたのだが、それは幹にとって痛い所を突いた。

 さり気なく聞いておくつもりだったのだが、話の流れがこうなってしまっては今更どうすれば良いというのであろうか。

 苦虫を噛み潰したような顔をして、それから幹は修司の肩を捕まえてひそひそ話の形に。

 こうなっては渡辺だけでも排除してやる。

「おいおい、男同士の内緒話は気色悪いぞ」

「すいません、渡辺先生。俺たち後から行くんで先に飯食っていてください」

 今度は渡辺がつまらなそうにして、それから体育館の方に歩いていった。先ほど修司と一緒にいた子供達と連れ添って、渡辺は小さな男の子の手をつないであげたりしている。

 意外な光景に驚いた幹は、こちらを不思議そうに見てくる女子中学生と目が合った。こちらは女の子と手をつないで、隣のアレとは違って絵になる組み合わせである。

 彼らを見送ると、幹は半ばやけっぱちで修司に聞いた。

「なあ修司、お前は七年もここに来てるんだよな」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、一見さんとリピーターの見分けもつくよな」

「そりゃあ、一応ね」

 ここまで来れば質問の意図は分かったらしい。幹としても、サクサク話を進めたいところだった。やけっぱちの願ったりである。

「市川沙雨って分かるか?」

 この名前を口にするのは、やはりと云うか重たい気がする。

 それでも口に出したのは、自分のためか、それとも彼女のためか。

「沙雨ちゃんのこと?」

「知り合いか?」

 いいや、と言って首を横に振る修司。

「彼女は今年で二回目で、去年は僕が持てたんだ。難しい子だったでしょ?」

「ああ、見事にやられた」

 あはは、と短く乾いた笑いをした修司。修司は校庭に並ぶ木の陰に入ると、手招きで幹をよんだ。

 青々と茂った桜の木々は、野球でいうライト側から右中間に、ボールから校舎を守るようにして並んでいる。

 風が吹き寄せるたびに、桜の葉は音を立てて風になびく。

「僕もやられちゃってね。多分沙雨ちゃんは僕のことなんか覚えてないと思うよ。だから、知り合いじゃなくて僕が一方的に彼女のことを知っているってこと」

 修司は相変わらずの笑顔を揺るがせない。細い目が何を思っているのか、幹には読み取ることが出来ない。

「あいつのこと、知ってるだけ教えてくれ」

 幹は懐のタバコに伸びそうな手を押し止めながら、修司の返事を待った。

 修司が口を開いたのは、それから一分ほど間を置いてからだった。

「沙雨ちゃんはね、小学生の頃に交通事故で足が動かなくなったんだ」

 結構大きな事故だった、と修司は続ける。

「僕も少しだけ調べたんだけど、お父さんと二人で乗っていた乗用車が急カーブを曲がりきれずに、トレーラーと衝突したらしいんだ。お父さんは即死で、沙雨ちゃんは事故で足が動かなくなったってこと」

 どちらともなくお互いに目をそらす二人。さんさんと照りつける日差しはどこまでも眩しく、思わず幹は顔をしかめた。

 世界中にどれだけの不幸があろうとも、太陽は変わらず光を届けてくれるのだ。

「それから?」

 幹は修司に先を促した。

「事故の後、しばらくしてからこっちに引っ越して来たみたいなんだ。今は母親と二人暮らしらしいよ」

「じゃあ、その事故ってのもそんなに昔のことじゃないのか」

「そうだね、小五で事故に合って、中学受験ってことでこっちに来たみたいだよ。今は中二、来年は受験生だね」

「そっか……」

 交通事故で足が動かなくなった、それは分かる。

 だが、分からないのは、

「ふつう、そういう子はこんなとこに来るもんなのか?」

 真っ先に思い浮かんだのは巽裕太の無表情だった。沙雨が言っていた通りなら、先天性の病気で表情を作れないとか。字が汚いのも、目がどこか虚ろげだったのも、きっと関係があるはずだ。

 幹にからすれば、交通事故の沙雨と生まれつきの裕太とでは、質というか、次元の違いを感じるのだ。

 そして沙雨の言葉。彼女は帰りたいと言った。意訳になるが、ここにいる人間は、何らかの支えが欲しいのだとも言っていた。そして沙雨は、他人を拒絶していた。

 幹には、誰かが無理矢理彼女をここにつれて来たように思えた。

 おそらく、母親だろう。それくらいの人でないと、あの少女が嫌々ながら来るとは思えない。

「誰かにこう、行きたくないのに無理に行かせられて、それであんなに機嫌が悪くなっちゃったのかな」

「性格が悪いのは元々なんじゃねえのか?」

 周りの人間がことごとくいいを性格しているので、性善説など信じていない幹である。沙雨のアレも、素だと思っている。

 そんな心ない言葉にも、修司は特にたしなめたりはしなかった。

「でも、幹がこんな風に沙雨ちゃんに興味を持つなんて、ちょっと意外だなぁ」

「ああ、そうですかい」

 にこやかに言ってくれた修司にトゲトゲしく言い返した修司。なんだかこいつの思うつぼになって来ている気がした幹である。

「いや、別に深い意味は無いんだよ」

 幹の視線にも白々しい態度の修司である。不良連中ならこれだけで臨戦態勢に入るのだが、それともこれが友達というヤツなのだろうか。

 まるで一方的に怒っているみたいで、決まりの悪さを感じる幹。それを見て修司はやれやれといった感じだ笑ってみせた。

「ホントはね、幹なら沙雨ちゃんのことをなんとかしてくれないかって期待してたんだ」

「そりゃあどうも」

「結果は想像以上だったけどね」

 思わずカッとなり、気づいたら拳を振り下ろしていた幹。だが、その拳は修司には届かなかった。

 修司はいつの間にか幹の懐に入り、拳でコツンと幹の胸板を叩いた。

 驚いた幹を無視して、修司は笑顔で続ける。まるで、茶番を楽しむかのように。

「最初に沙雨ちゃんから逃げられたときは、そんなに心配はしてなかったんだ。僕のときもいきなりバッくれようとしたからね、あの娘」

 それから拳を離し、おどけた風に両手を上げながら距離をとる修司。笑顔のまま、幹に語りかける。

 幹は先ほどの衝撃もあり、黙って耳を貸すしか無い。

「少しは重荷を背負ってあげて、力になれるんじゃないかって、そう思ってたんだ。だけど、いろいろ話を聞いて、彼女が抱えている事情を知って、僕は沙雨ちゃんのことを諦めたよ。まるで役不足だったからね」

 自重気味に話す修司は、俯いて幹と視線を合わせようとしない。

 幹は友人の意外な言葉に、かける言葉も無かった。

 先ほどから修司の思わぬ一面を見せつけらっぱなしで、頭が混乱気味である。

「幹はすごいよ。三枝さんのときもそうだったけど、今度も全然目が死んでないもん。ほんと、よくよく考えたら根拠も何も無いのに、幹ならなんとかしてくれそうだって思えるから」

「三枝は関係ないだろ」

「そうかい? ごめんよ」

 褒めているのかバカにしているのか、修司の顔からはまったく読み取れない。相変わらずどちらともとれそうな笑顔だから。

 だからこんな時は、修司の言葉を信じるしかないのだ。幹はそう思っている。

「三枝さんもあの性格だからね、苦労はしているんだよ」

「あいつ、友達いねぇからな」

 人のことはいえない幹なのだが。

「ホントに見てらんないんだよね、危なっかしくて。でも、そこまで悲観はしてなかったかな。どこにでもいい人はいるんだからね」

 そうしてまた修司はクスリと笑った。

 相変わらず暑い日だ。日陰にいても汗が吹き出てくる。

 修司は携帯電話を取り出すと、サイドキーを押して時間を確認した。

「それじゃあ行こうか、もうお昼は残ってないかもだけどね」

「ああ」

 全く空腹を感じていなかったから、そんなこと関係のない幹だった。


 二人が体育館に戻ってくる頃には、昼食はすっかり終わっていた。

 もちろん幹達の分は食べ盛りの子供達の胃袋に消えていて、中学生や居場所を探し始める。

 渡辺はすぐには見つからなかった。あの風貌は目立つから、すぐに分かると踏んでいた幹だった。しかし、好き勝手にしている子供達や雑談をしている大人達のなかには、あの白衣姿は見られない。

 いや、まだ見ていない場所もあるのだが、さすがに違う気がしてならなかった。

 それは子供達と保護者が集まって、ちょっとした人ごみになっていた。先ほどから歓声や拍手が起きては、更に人ごみは大きくなっている。

 そしてやはりというか、そこに渡辺はいた。

「ほれ、ここを電池とつないでやるんだ」

 渡辺の手元には透明なアイスのカップがあって、それが弱々しく光を放っている。よく見ればカップの蓋からエナメル線が伸びていて、それが単三電池につながっている。

 流石は化学教師と言った所だろうか、先ほど食べたばかりのアイスの空が電球になって子供達は大喜びである。

 渡辺は嬉しそうにして、一人一人に作り方を手ほどきしている。

 さっさと諦めて、見なかったことにしようと思った幹だったが、渡辺は目敏く気づいた。

「おお、幹! オレはもう少しこっちにいるから、適当にやっとけや!」

「そうさせてもらいます」

 楽しそうな渡辺先生は置いといて、幹は沙雨を探しに再び体育館を出た。


 沙雨がいたのはグラウンドを挟んで体育館の向かいにあるプールだった。

 いくら体育館にスロープがついていたからといって、車椅子でここまで来るのは難儀だっただろう。それに恐らく、沙雨がここに来たのは幹達が体育館に入ったのと入れ違いだったはずだ。まあ何と言えばいいのか、いい性格をした娘である。 

「おい、市川」

 無視されるのも覚悟で言ってみたが、返事はすんなり返って来た。

「苗字で呼ばないで」

「じゃあ、おまえ」

「お前っていわないで」

 そしたら残るのはアレしか無いのだが、困ったことに幹はアレで呼ぶような仲の人間は大樹しかいないのだ。初対面の女子中生相手にアレで呼ぶのはさすがに気が引けるのであった。

「今、キモいこと考えてるでしょ? 最低」

 沙雨のその言葉で、幹は気楽になった。やはり性格が悪いヤツは相手にし慣れているというもの。

「沙雨はどうしてこんな所に来たんだ?」

「あんたには関係ないでしょ? わたしの勝手よ」

「母親にいわれて来たのか?」

 沙雨の目の色が変わった。嫌悪感から、露骨な敵対心に。

 車椅子に座ったまま、背の高い幹を睨みつける。それが彼女の戦い方。常に低い所から高い所へ。敵は、自分のいる場所へは降りて来てくれないのだから。

 だから幹は、あえて目線の高さを合わせない。尊大に上から見下ろした。

 敵は強力だ、下手に出れば食い殺される。

「沙雨、賭けをしようぜ」

「賭け?」

 予想外の言葉におうむ返しの沙雨。幹はかまわずに続ける。

「賭けに勝った方が負けた方に何でも一つ命令できる。賭けの内容は沙雨が決めていい」

「私が死ねっていったら?」

「二度と顔を見せない、接点を持たないくらいでカンベンしてくれ」

 幹を再び睨みつける沙雨。強気な所とか物怖じしない所とか、いちいち大樹や千紘に似ていると修司は思った。

 それからやや間を置いて、沙雨は口を開いた。

「分かった、それでいい」

 それから、彼女は賭けの内容を告げた。

「今すぐ私を走れるようにする。いま、すぐに」

 沙雨は、できない方にかけた。

 そして幹は、できる方に。

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