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第三章 生きて苦しみ、そして死ぬこと


細部に書き換えなどをしました。

読みやすくなっいれば幸いなのですが……。

 幹と沙雨は二人で体育館の外に出ていた。二人っきりなのには別に深い意味があるわけではない、村越が巽親子にくっついて、それで2と2に分かれたのだ。

 先ほどの一件で、巽ママからはすっかり嫌われた様子だった。今回あつまった子供たちのなかでも裕太君の障害はかなり重い方らしく、母親心理としては心配したくなるのは無理もないことなのか。その辺りはいまいち実感を持てないから、幹としては大人しく距離を置くしか無いのだが。

 町で不良に絡まれる方が数倍楽ではないかとさえ幹は思った。まったく、なんという社会不適合者ぶりだろうか。

 そしてその社会不適合者は今、おんなじくらいダメかもな女の子と二人きりだったりする。

 屋外の風に艶やかな黒髪が揺らされて、微かな芳香が漂う。ひょっとすると、その香は彼女の美貌から立ち上っているのかもしれない。珊瑚を思わせる淡い唇から、かすかな吐息が漏れる。その度に周囲の風景が鮮やかに塗り替えられるようだった。

「帰りたい」

 そんな見目麗しき性悪女の吐く言葉からは、もちろん愛も情も感じることができない。強いていうなれば嫌悪感。幹には馴染み深い負の感情である。沙雨の冷たい言葉は無視するのが良いとすぐに分かったのだが、それでも会話をしないわけにもいかない。

「同感だな。けどな、これをきっちりやらないと、俺は高二になれないんだ。今日だけ付きあってくれや」

 もっとも、幹の言葉もかなり自己中心的なものなのだが。元々あまり他人に気を使ったりしない二人なのである、沙雨からの返事も期待してはいなかった様子だ。

 幹は芝のグラウンドを眺めながら、車椅子を押す手を休める。休日だが、グラウンドには子供と大人が何人か見られる。元気にはしゃぐ子供たちが帽子をかぶらされているあたりに、育ちの違いを感じる幹だった。

「それにしても暑いな」

 思わず空を見上げながら幹はつぶやいた。朝から続くピーカン晴れは、外にいる二人を容赦なく照りつける。ちなみに幹は沙雨に日傘をさしてあげていて、下手に動けない分余計に暑苦しい。

 そんな幹の苦労も完全シカトしながら、沙雨は自前の扇子をぱたぱたと扇いでいる。

 実は、日傘をさしたまま扇子で扇げと命令をしたのだが、幹には相手にすらされなかった。幹は沙雨の抗議には耳を貸さず、日頃の愚痴をこぼしたりしていた。悲しいことに、日頃から横暴な女やマイペースな友人と接しているからか、幹はこの手の理不尽には耐性がついているし、適当にあしらう術もあるのだ。

「なあ、体育館に戻らないか?」

 立っているだけで流れ落ちる汗を拭いながら、幹は何度目かの説得を試みる。

 やけどしそうなほどの炎天下にわざわざやってきて、かといってなにをするわけでもない。校庭では何人かの子供たちが遊んではいるが、眺めるだけでそこに沙雨がはいっていくとも思えなかった。

「戻りたかったら一人で行きなさいよ」

「お前はどうするんだよ」

「お前っていわないで」 

「そりゃ失礼」

 やれやれと幹は思った。沙雨はさっきからこんな調子で、会話を続けようとしないかった。話しかけなければまるで一人っきりのように黙っているので、幹としては何とも据わりが悪い。

 まったく、どうしてさっさと家に帰ろうとしないのだろうか。進級のことを抜きにしてもここを離れたくない自分がいる、そのことがなお一層分からなくて、妙な気分である。

 例えば幹が沙雨に惚れてしまったとか、そんな分かりやすい図式だったらこのモヤモヤは感じずに済んだのだろうが、実際そんなわけでもない。黙っていれば間違いなく美少女なのに、他人を寄せ付けないカベを築き上げてそこから出てこようとはしない。かなり扱いにくい女の子である。

 そんな風なことを考えていたから、それはまさに不意打ちだった。

「ねえ、あなたはどうしてこんな所にきたの?」

「え?」

 沙雨の方から何か話しかけてくるとは思ってみなかったし、頭の中で微妙にけなしていたというのもあった。思いがけない彼女のひとことに、幹は素で驚いた。

 そんな幹の反応が面白くなかったようで、今度は少しだけ語気を強めて、顔を見ずに沙雨はもう一度尋ねた。

「あなた、来たくて来たわけじゃないんでしょ、何か事情でもあったの?」

 事情、か。事情ですか。

「いや、大したことじゃないけどな。これにこないと二年生に進級できないかもしれないんだ。つっても、来たからと言って絶対進級できるってわけでもないんだけどな」

「あなたって、馬鹿なの?」

「どっちかっつーとな」

 幹の周りは、頭がいい人間ばかりである。沙雨が知るはずも無い出来のいい双子と比べられている気がして、幹は何ともいえない感じがした。

「勉強は苦手だし、頭がいいってほめられたことも無いからな。多分馬鹿だよ」

「そう、本当に馬鹿ね」

 沙雨はほんの少しだけ、悲しそうにつぶやいた。

 あきれた風に馬鹿だといわれるのには慣れていたが、これは今まで幹には無かったパターンである。もしかすると、あまりの馬鹿さ加減に同情されたのだろうか。

 もちろんそんなことではなかったのだが、沙雨の言葉は、思ったよりも重いものだった。

「さっきの巽って男の子はね、神経の病気で顔の表情を作れないのよ。いつも無表情で、何を考えているか分からなくて、生まれて一度も笑ったことが無いの。あの子の母親が言ってたわ、裕太が笑ってくれるなら、自分は死んだって良いって。神経でも脳でもあげるから、裕太に笑って暮らしてほしいって」

 感情を込めずに、沙雨は淡々と言葉を紡ぐ。その手の爪が車椅子の肘掛けに深く食い込む。幹は、それをまっすぐに見ることができずに顔をそらした。

「ここに来る連中はね、大なり小なり抱えているものがあるの。助かりたい、助けてあげたいって願っても、それを自分じゃどうにもできない。だから余計にイライラして、そのイライラをぶつける相手もいなくて、抱えてるものだけどんどん膨らんで押しつぶされそうになるほど苦しむことになるの。そうして潰されてしまわないように、心が折れないようにするために集まって励ましあうのよ」

 幹は黙ってそれを聞くしか無かった。言葉がでないのは、自分が責められているのが痛いほど分かるから。

 セーラー服の肩が、かすかに震えている。何もできない無力な幹は、黙って車椅子のハンドルを握ることしかできない。

「だからね、あなたみたいな何も考えずに来た人は場違いで目立つし、とても見苦しいの。みんな一生懸命やっているのに一人だけ何の覚悟も無くてふらふらしていて、それを悔しいって思う人はたくさんいるのよ」

「俺は……」

 何かを言おうとしても、言葉が後に続かない。言い訳が頭をよぎってはすぐに消え、そして無力感が湧く。

 沙雨は幹を責めてはいなかった。ただ、諭していたのだ。

 押し殺したような沙雨の声が、幹の心臓を強く抉る。

「嘘よ」

 一瞬、幹はその言葉の意味が分からなかった。沙雨は相変わらず顔を見せない。

 彼女の声は、ただただあっけらかんとしていた。

「今のは冗談よ、全部ってわけじゃないけど、ほとんど嘘っぱち」

 沙雨の声は、むしろ今までになく明るかった。

 もう、グラウンドを走り回る子供たちは見ていなかった。ようやく幹を見据えた瞳は、ただただ固い色をしていた。

 その落差が、幹にはどうしようも無く悲しかった

 幹は馬鹿みたいに固まって、言葉も発せなかった。

「もう分かったでしょ。私はあなたにここにいてほしくないからあんなこと言ったの。言ってる意味、分かるでしょう? だから、もうさっさと帰ってちょうだい」



 幹がコンビニにつくと、ちょうど渡辺が店から出て来たところだった。手にしているゴールデンバットのフィルムを早速はがしながら、ポケットのなかからライターを取り出そうと悪戦苦闘している。どちらか片方づつからやればよいものを。

「火、貸しますよ」

「おお、悪いな」

 幹がバットに火をつけると、渡辺は煙を腹にためて、美味そうに吐き出した。

「俺も吸って良いですか」

「おう、他のにばれないようにしろよ」

 一応断りを入れてから、幹はマイルドセブンに火をつけた。ようやく一服することができ、生きた心地がして来た。美味そうにマイルドセブンを吸っている幹を見て渡辺はにやにやしているが、あえて相手にしなかった。幹にはこれくらいの味がちょうどいい。

 コンビニの駐車場で吹かしながら、何も話さずに3分ほど過ぎた。灰をアスファルトに落としながら、渡辺は幹にようやく話しかけた。

「あのかわいい嬢ちゃんはどうした、振られたのか?」

「まあ、似たようなもんですね」

 吸いさしを携帯灰皿に収めながら、幹は答えた。渡辺は大分短くなったバットを大事そうに吸っている。あれでは指が熱そうだ。

「惜しかったなあ、アレは今日集まったなかでもピカイチだっただろ? まあ、家の娘ほどじゃないがな。それにしても、いい感じに二人っきりになれてたのによお。何がいけなかったんだ、ええ?」

 新しいタバコを取り出しながら幹は、

「俺みたいに適当なやつは嫌いらしいんですよ」

「はは、そいつは手厳しいな。あ、灰皿貸してくれないか」

「あ、どうぞ」

 吸いさしを捨てると、渡辺も新しいタバコを取り出して火をつけた。同僚に見られたら懲戒免職くらいいきそうなのに、全くそんなことを考えていないようだ。普通に煙の味を楽しんでいる。

「バットって、そんなに美味いんですか?」

「美味いんだけどな、おんなじ箱のタバコでも味がバラバラだったりするんだよ。オレはその安っぽいのが好きなんだよ」

 なにやら嬉しそうにバットを語る渡辺。よっぽどタバコが好きなのだろう。

「一本貰ってもいいですか」

「おう、そいつを吸ってからだな」

 そう言って悪戯っぽく笑うから、渡辺の方がよほど子供っぽく見える。本当に残念な先生である。

「渡辺先生って、どうして教職に就いたんですか?」

「どうしてって?」

 質問に疑問型で答えられても困る。

「ガキの世話なんて嫌でしょ。面倒くさい」

「んー、まあな。面倒つったら面倒なんだけどなぁ……」

 渡辺にしては歯切れが悪いと思いながら黙って続きを待つ幹。幹の右手のマイルドセブンはちびて、フィルターの近くまで火は来ていた。

「他に仕事なかったんだよなあ。オレぁ勉強しないで走ってばっかりだったから、勉強も面接の練習もしてなかったんだよ」

「陸上ですか」

「おう、4年のときは400のエースだったんだぞ」

 渡辺が陸上をやっていたという噂は本当だったようだ。だとしたら長曽根が頭が上がらないって話も本当かもしれない。みすぼらしい化学教師を見て、幹はちょっと失礼な感想を持った。

「ガキの世話は確かに面倒だな。何遍言っても理解しない奴なんかは実際しばき倒したくなるくらいだ。でもな、毎年受け持ちの生徒のなかから、必ず一人は面白い奴が出てくるんだよ。教師が面白いっていえるとしたら、まあその辺じゃねぇのか?」

「それって後藤のことですか?」

「おう、あいつはなかなか面白い奴だな。人畜無害な顔してんのに四六時中怪しいこと考えてやがるからな」

「俺みたいなのはつまんないでしょう」

「いや、そんなことはねぇな。さっきのアレはなかなか面白かったぜ」

 体育館での一件を蒸し返され、少しバツの悪い幹。それを見ながら渡辺はにやにやするから、余計に面白くない。

 おそらく顔に出ていたのだろう、渡辺は悪い悪いと言いながらバットを一本幹にすすめ、ついでに自分のも取り出した。

「さっきですね、言われたんですよ、ここは何も考えてないような奴が来る場所じゃないって。意外とこたえましたね、ほとんど核心でしたから」

 貰ったばかりのタバコに火をつけながら幹は言った。安いバットは臭くてイガっぽかったが、タバコっぽさを感じさせる味わいだった。吐き出す煙は風にさらわれ、霞となって消え失せる。その様だけは、セブンのそれと少しも変わらなかった。

「先生は、どうして俺なんかをここに連れて来たんですか?」

 ここ数日、頭の隅を離れなかった疑問を幹は口にした。言いにくいと思っていたのに、意外と本人と会ってみればかなり口に出しやすかった。

 それを聞いた渡辺は、それこそ苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をした。かなり意外な反応に、幹は驚いてしまう。

「そこは大人の事情なんよ」

「かなり雑な言い訳ですね」

「修司の奴に頼まれたからじゃ、だめか?」

「教えてくれなかったら化学準備室までつきまといますよ」

 一度聞いてしまったら答えてもらうまで満足できない。幹はこれだけはどうしても答えてもらうつもりだった。

 先ほどの沙雨の一件もあり、少々ヤケクソでもあった。

 幹のバットがすっかり短くなるまで迷ってから、観念した風に渡辺は答えた。

「大学の頃な、オレと葉介と紅は同級生だったんだよな」

 短い言葉は、かなり意外なものだった。幹は思わず耳を疑ったが、渡辺の表情が本当だと語っていた。

 なにか思う所があったのか、ぽつりぽつりと渡辺は語りだした。

「葉介とは大学からだったけど、紅とは高校から一緒でな。それまで話しかけることができなくて、高校を出たらもう会えないって思ってたんよ。それが入学してから同じ大学の同じ学部だって分かってな、オレなりに頑張って話しかけたんだよ」

 フィルターしか残っていないバットを捨て、渡辺は革靴でそれを踏みつぶす。

 今日は人の話を聞いてばかりだなと、幹は思った。

「葉介とはサークルの新歓で知り合って、家も近かったからよくつるんでたんだ。学科もサークルも違ったけど、一番仲良くしていてよ、二人でパチンコに行ったり雀荘に行ったりして、バカみたいなことをわんさかやってな。たこ焼きを食いたくなったから車で大阪まで行ったのは傑作だったなぁ。つっても、最近は滅多に会わないし話もしてねぇけどよ」

 それは、本当に独り言のようだった。幹のことなど忘れたように、自分に言い聞かせる風に渡辺は語った。

 幹は母親のことを思い返した。幼い頃に死別した母の顔は、もう遺影からしか浮かんでこない。美しい表情は、30を前にして永遠にその時を止めていた。

 それから、日頃母のことを全く話そうとせず、墓参りさえ一人で行こうとする父のこと。幹は母の命日には、いつも大樹と二人で参ることにしている。その日は父を一人にして、そっとしてあげること。いつしかそれは、小宮山家の暗黙の了解となっていた。

 もう十年近く経ったのに、時折こどもみたいなすね方をする父親。そして、その父と同じ女性を想っていた男が目の前にいる。

 幹が、大樹が、葉介が、渡辺が。誰がどれほど強く願おうと、その女性は二度と帰ってくることはない。

 世界は狭く、人間は卑屈だ。一体神様は何を考えてこんな世界を作ったのか。

「お前とはいっぺん会って話をしたかったんだ。今更どうにかなるわけじゃないけどな」

 ヨレヨレの白衣にネクタイすらしていないYシャツの中年が、今朝より老け込んで見えた。

 案山子になった幹に向かって、これで終わりとばかりに渡辺は続けた。

「生きた人間なんて、どうとだって出来るんだよ。どんなバカでもそれは変わらん。死んだらそれで仕舞いだ、生きてる奴らを後ろにおいて、こっちからはもう追いつけねえ」

 やってられねぇよなと、タンと一緒に吐き捨てるよう呟いた渡辺。幹は何も言えずに渡辺の足下を見ていた。

 足下の吸い殻は熱を失い、もう煙を立てることも無い。

 何もしゃべれなくなった幹と渡辺は、馬鹿みたいにその場にただ突っ立っていた。

登場人物の読み方を書いときます。

小宮山幹   コミヤマ ミキ

小宮山大樹   コミヤマ タイキ

後藤修司   ゴトウ シュウジ

三枝千紘   サエグサ チヒロ

市川沙雨   イチカワ サメ

巽裕太   タツミ ユウタ 

小宮山葉介   コミヤマ ヨウスケ

小宮山紅   コミヤマ コウ


(一部割愛)

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