第一章 友達
軽かったり重かったり、そんなお話です。
この章は軽いはずですから、
どうか気楽にお読みください。
小宮山幹が登校したのは、十三日ぶりのことだった。
気になっていた先輩方の反応は目立ったものがなく、先生たちも目を合わせようとはしない。別に警戒していたわけではないのだが、静かな学校生活を送れそうで一応安心である。とはいえ、まだ学校に来てから一時間と経っていないのだが。
クラスメイトはといえば、学年一の問題児の復帰を心待ちにしていた様子も無く、遠巻きに見られるか、睨まれるかだった。もっとも、ちやほやされたかったわけでは決して無いのだが。
幹の隣の席に座っていた少女と目が合った。すごい早さで目を背けられた。さすがにこれには苦笑するしかない。
しかしまあ、何事にも例外はある。
「おはよう、幹。おつとめご苦労さん」
幹の前の席から声をかけてきたのは、クラスメイトであり友人の後藤修司。細目でいつもニコニコ笑っている、うさん臭い男である。
「おっす、後藤」
短く挨拶をしてから、自分の席に腰掛ける。修司は体を後ろに向け、椅子にまたがるようにして幹の方に向き合った。
出席番号が近く、そのため幹と修司はなにかと授業で組まされることが多い。なし崩し的にそのまま友達になったのだが、クラスメイトからすれば修司は貧乏くじを引いたようなものかもしれない。
幹も友達は少ない方だが、修司だってそう多くはない。
不良などと呼ばれて敬遠される幹とつるめば、誰でもそうなるのかもしれないが。
九年間同じ学校に通っていた大樹が別の学校に行ってしまい、少しは寂しくなるだろうと思っていた。それがふたを開けてみれば変なやつに捕まってしまうのだから、世の中はうまくできている。
自分の席に座ってから、自分がいない間に席替えがあったと気づいた幹だが、あえて触れないことにした。自分の前後が全く代わっていないのは、誰の差し金だろうか。
「どうだった、今度の謹慎は。やっぱり退屈だった?」
「ああ。テレビはもう見飽きたし、ゲームなんかも無いから本格的に死にそうだった。くそ、もう謹慎なんかしねぇ」
ゲームもあるにはあったのだが、キレた大樹がPS2に熱湯をかけて壊したのだ。おかげでDVDを見ることもできなくなった。小宮山家にはパソコンすら無い。
「あはは、まあ、学校に出て来ることができてよかったじゃないか」
椅子をがたがた揺すりながらしゃべる様子がなんともガキっぽいのだが、指摘したところでどうにもならないだろう。別にそれで困るわけでもないし、幹は放っておくことにする。
「幹がいなかったから、三枝さん寂しそうにしてたんだよ」
「……三枝が?」
あの三枝が寂しそうにしている様をイメージしてみたが、すぐにあきらめた。
「全く想像できねえ」
「うん。三枝さん、小宮山がいなかったからかわりにクラスの他の皆に怒鳴り散らしていたんだよ」
僕もいっぱい怒鳴られたんだよ〜、と言いながら修司はニコニコしている。こいつはマゾなのか?
幹は今度は三枝が説教している様子を思い浮かべてみた。やっぱり無理だった。
「あいつは口より先に手が出るぞ」
実際三枝千紘という女の子は、幹がヤニ食っているところに出くわすといきなりローキックを繰り出し、更にクリーンヒットするまで執拗に攻撃してくる。
学級委員として当然の行動だと彼女は言っていたが、何が当然なのか幹にはいまいちわからなかった。
その割には教師に密告したりすることもなく、普段は割と五分の関係だったりする。幹自身、彼女のことを悪くは思っていなかった。
「いつも蹴っている幹がいなかったから、物足りなかったのかもしれないね〜」
「蹴られるのは俺だけってことか?」
「あはは、嫌そうな顔しない。そこは喜ぶところだよ」
そう言われても幹にはMっ気がないのだから、イマイチ理解しがたい話である。
「後藤ってMだったのか?」
「いや、そっちの気は無いんだけどね。三枝さんはかわいいって話だよ」
男二人でそんな非生産的なことを話していたのだが、よからぬ話のときに限って噂をすればナントカである。
「私がどうかしたの?」
と後ろから声をかけられた。
修司からは正面だが、幹には真後ろ。首だけひねって久しぶりのクラスメイトの顔を拝む。
つややかな黒髪を背中まで伸ばした女の子だった。女性らしいラインを描いた胸や腰のふくらみ、小さな顔にバランスよく配された目や鼻。顔立ちは冗談みたいに整っているのだが、その分険しい表情が強調されている。
一年一組の学級委員、三枝千紘である。
「やあ三枝さん、お早う」
先ほどの言葉はもうどこかに飛んでいってしまったのか、何事も無く話しかける修司。幹からすれば、こんなときにもう少し焦ってくれたら人間臭いのにと思う所である。
幹は「お早う」とだけ短く言った。特に言うことが思い浮かばなかっただけなのだが、何か言う必要があるわけでもない。
「……なに、小宮山ってもう謹慎終わったの?」
鞄を机におきながら、つっけんどんに千紘は聞いてきた。乱暴においたためか、先輩の使い方が悪くてガタがきていたためか、机が一瞬おおきく傾いだ。それを見て千紘はさらに渋面。幹の隣の女の子は余計にびくびくしだした。
「ふうん……。ま、どうでもいいけどね。あんまり迷惑なことするんじゃないわよ」
「はいはい」
「はいは一回」
「なんであんたがそれを言うのよ」
「いやー。実は僕、一度これ言ってみたかったんだよねー」
あははと笑いながら頭をかく修司に、やれやれといった様子の幹と千紘。出席番号が一続きだったため三人は何かとつるむことが多く、千紘がきてからようやく幹は学校に戻ってきた実感が湧いてきた。
「それと小宮山、これ」
そう言って手渡されたのは、どこにでも売っていそうな大学ノートだった。
表にタイトルや名前などは無く、一見新品のようだが、触ってみると書き込まれたノートに特有のゴワゴワ感があった。
もちろんこんなノートを持っていた覚えなど、幹には無いのだが。
「これは?」
「あんたが停学中の授業の内容をまとめたやつよ。いらないんだったら返しなさい」
学年一の千紘がまとめたノートを手放すつもりは無い。役に立つのは間違い無しだ。
「いや、ありがとう。助かるけど、これ、わざわざ作ってくれたのか? しかも俺が休む前の内容もはいってるし……」
感謝しながらもつい思ったことをいってしまう幹。
休んでいたときの分は当然としても、これは中間から後の授業範囲をほとんど押さえているんじゃないのか?
彼の素朴な疑問に千紘はと言えば、
「べ、別にあんたのためにそのノートをつくったんじゃないんだからね。私が期末の準備でやっていただけよ!」
顔を赤くして否定する千紘はそれはそれでかわいいのだが、幹にはそれよりも修司のにやにやが気になって仕方が無い。
「……なんだよ」
「いやあ、相変わらず仲が良いなあって思ってね」
いつものことだが修司の感性についていけない幹だった。
千紘は千紘で「違うんだからぁ」などと一人でいっている。何となく間が持たなかった幹は携帯を取り出してメールの確認をしようとした。いつもマナーモードにしているので、着信に気づかないことが多いのだ。
そこで幹は唐突に昨日受け取ったメールのことを思い出した。
「なあ後藤、昨日送ってきたあのメールは何だったんだ?」
「ああ、あれね。そういえば三枝さんにも話してなかったよね」
いきなり少しまじめな雰囲気の修司と、それを感じた千紘が身を寄せてきた。千紘の髪からシャンプーの芳香が漂ってきて、思わず身を引いてしまう幹。健全な男の子の反応だった。
そしてやはり相変わらず軽い感じで話し始める修司。この男はある意味いつも自然体だ。
「幹が今回も問題起こしたから、いよいよ長曽根先生が怒ってね。幹を留年なり退学させようって息巻いてるらしいんだ」
思わず目を合わせた幹と千紘。二人とも唐突な話に取り残され気味だ。
「だからさ、長曽根先生って進級にかなり発言力があるらしいんだけど、その先生が幹のことをよく思っていないんだよねえ。あの先生が言い出したら、他の先生も反対しにくくなるから」
長曽根教諭は40半ばで、荘青間高校で11年も数学を教え続けている。しかも進学部長であり、強豪陸上部の顧問でもあり、その影響力は教頭以上との噂である。
そして、フリーダムな先生の多い荘高において、生徒指導の厳しさは他の追随を許さない。
幹たち不良の天敵である。
幹は長曽根の顔を思い出すと、急に煙草を吸いたくなった。
「でも、これ以上問題起こさなけりゃ退学にはできないだろ?」
幹は何気なく聞いてみた。
「問題起こさない、できる?」
「タバコさえばれなければ」
喧嘩は強いが好きでない幹は、率直な感想を述べてみた。喧嘩は無くても生きていけるが、ニコチンはそうはいかない。
修司が何か言おうとするが、千紘がそれより早く口をはさんできた。
「ばれなきゃ良い? あんた、そんなこといってたらすぐに退学になるわよ。あんたみたいな現実認識の甘い馬鹿は、真っ先に淘汰されるのよ。覚えときなさい、この社会不適合者」
「……ま、そういうことだね」
苦笑しながら同意する修司。きつい言い方に軽くへこむ幹。隣の女の子は千紘の剣幕にビビりまくっている。
心配してくれてるのか信用してくれてないのか、どちらともとれそうだ。
「それと、期末が始まるのが明後日水曜からなんだよね。10日も休んだんだから、三枝さんのノートがあってもきついと思うよ。赤点は固いね、ガチだね」
笑顔でキツい言葉をかける修司に、幹は軽くめまいを覚えた。
幹はあまり頭は良くない。中学の頃から双子の大樹との成績差が開いていったことや、中間をぎりぎりで切り抜けたことを忘れるわけが無い。自分の馬鹿さはよく知っている。
まだ留年が決まったわけでもないし、実感など湧くはずもない幹。だから冗談半分で聞いてみた。
「なあ、俺が留年したら悲しいか?」
もちろん冗談半分だ。狙ってなどいない。
しかしそれは不意打ちだった。
特に、千紘に獲っては。
「べ、別に小宮山がいなくなったってその……」
ゴニョゴニョと口ごもる千紘を尻目に修司はにこやかに答える。
「僕は寂しいよ、他に友達いないから。三枝さんもそうじゃない?」
「……それってどういう意味よ」
「友達は大事だよ?」
適当にごまかす修司は、幹にとって本当に友達なのだろうか。
引っかかるものが多すぎる幹であった。
「とにかくこのままだと幹の進級は危ないってわけだよ。普通は赤点の一つくらい、補修なり土下座なり賄賂なりで解決できるけど、それを長曽根先生が許してくれない。そこで僕は渡辺先生に相談したってわけさ」
一年生はあまり知らないはずのまめ知識を披露する修司。たのもしいが、うさん臭い。
渡辺は長曽根の学生時代からの先輩で、いろいろと弱みも握っているらしい。普段はヤニで黄ばんだヨレヨレの白衣を着ている冴えない化学教師だが、長曽根に対抗できる貴重なキャラクターとの話だ。
ちなみに荘青間高校の化学部は部員0で潰れてしまい、渡辺はボランティア部の顧問を専任している。その唯一の部員にして部長であるのが後藤修司だ。どれだけうさん臭ければ気が済むのだろうか。
二人の視線を無視してひょうひょうと話つづける修司は大物かもしれない。
「そしたら条件付きで力を貸してくれるって言ってくれたんだ」
いまいち信用ならなかった幹だが、悪くない話だと思った。渡辺のことはよく知らないし、授業も受けたことは無かったが、古株の教師だということは知っていた。
あれで着こなしに気を使えば、とも思うのだが。
「で、その条件は?」
「期末後のボランティア部の活動に参加することだよ」
前言撤回。やはりろくでもないやつだ。白衣もどうだっていい。
顔に出ていたのだろう、修司は取り繕うように言葉をつづける。
「まあ、それは赤点だったときの最終手段だからね。実技教科を含めて赤点さえとらなきゃいいんだよ」
そういわれても自分の馬鹿さ加減はよく知っている幹だった。小さい頃から双子の大樹と比較されてきた身の上だ。ついこの間の中間考査もぎりぎりだった。
かといって留年するつもりはこれっぽっちも無いし、ボランティアに行く気もない。
ついでに学力も足りない。
何となく机のなかに手を伸ばす幹だったが、そこで触れたのは先ほど千紘がくれたノートだった。
そして、後ろの席の才女の方を、つい見てしまう。
「‥‥…放課後、教室に残ってなさい。できる限りは教えてあげるから」
いつもよりしおらしい声で、顔を逸らしながら千紘は言った。
後日、幹の初ボランティアが決定した。
三枝千紘の名誉のために言うと、悪いのはテスト中に寝た小宮山幹である。




