1-7 兄貴
「ふう」
俺は軽く深呼吸をして、そして心を落ち着けた。
この尋常でない環境もあるのだが、八年ぶりに会う兄貴に向かって、一体どういう顔をしてやったらいいのかよくわからなかったからだ。
兄貴がいなくなったのは俺が中学生の頃だったから、兄貴は俺の事がわかるだろうか。十分に面影はあるつもりなのだが、結構大人になって顔もあの頃とは変わっているんだよな。
「さあ、中へどうぞ」
大林伍長に促されて、若干大きめなサッシのドアを開けて中へ入るが、戸惑いは隠せない。
そこは小さなホールのようになっていて、玄関口に立ったまま、大きな声で大林伍長が叫んだ。中は靴を脱いで上がるようにはなっていないようだ。ブーツの人間が多いからだろう。
迷彩服を着ていない、割合と普通の格好をしている人は多分民間業者の人か何かだろう。こんな場所があると一般には知らされていないし、特に報道もされていないのに、ごく普通に業者の人なんかが来ているんだな。
そういえば、俺も特に何も言われずに連れてこられてしまった。内密にとも言われていないのだけれど、機密の保持とかはどうなっているんだろうか。
「大林伍長、入ります。神田川雷太さんをお連れしました」
すると、どこかにあるスピーカーが音声を発した。
「ご苦労様です。中へご案内してください」
涼やかな若い女性の声がして、正面のドアのロックがはずされる金属音がして自動で開いた。
「さあ」
彼に促されて先に進んだが、なんというか普通っぽい感じだな。
多分、この建物は工場で作った部品を、現地に運び一日で組み立てましたという感じなのか。要は普通の短工期建築の家に近い感じだ。
こんなジャングルの中の前線基地というか駐屯地というか、そんないつ放棄してもいいような場所に立っているんだからな。
だが冷暖房も完備で、住むには案外と快適なのかもしれないな。多分、偉い人の居住区なのだ。うちの兄貴も住んでいるのだろうか。
大林伍長についていくままに、いくつかのドアの前を通り過ぎ、突き当りにある大きめで少し装飾が入ったような立派なドアを開けて中に入ると、何人かの人間が大きな机の上で液晶パネルマップを囲み、会議のような事をしていた。
パッと目立つ、さきほどの女性と思われる人は、こんな兵隊ばかりいる場所でいいのかなと思うくらい妙に短い軍服のスカートを履いており、金髪なのも相まって何か印象に残る。
その比較的スラリとした、おみ足に、思わずゴクリと生唾を飲んだ。場違いというか、あるはずのないような違和感のあるような存在がむしろ艶めかしさを感じさせる。
振り向いた彼女はニコリと笑ってくれた。おっと日本人じゃなさそうだ。かなりの美人だ。
むしろ、ここで映画を撮影している女優だと言われても納得できるレベルだ。やけに綺麗な金髪だなと思っていたのだが。でも日本語はやたらと上手い。
「大佐、弟さんです」
そう彼女に言葉を向けられた、ガタイのいい男性こそは、まさしく俺の兄、神田川氷河その人であった。
かなり容貌は変わっていたが、俺にはすぐ見分けがついた。だが、がっしりとした肉体、鋭い目つき、そして迷彩服に身を包んだ体躯の精悍さ。
おそらく、身のこなしも並の人間のそれではないのだろう。そういう意味では、彼はもう俺の知っている、あの兄ではないのだった。
だが、顔を上げた彼は笑ってくれた。なんというか、このような事態に至った事に対して、彼自身も戸惑っているとでもいうような感じに、少々ぎこちなく。
「よく来たな、雷太。本当に久しぶりだ。八年ぶりか」
兄貴は軽く目を閉じて、しばし追憶に身を任せるように身動ぎ一つしなかった。
「あ……」
俺は言葉を紡ごうとしたが、うまく舌が回らなかった。
なんといったらいいものか。
久しぶりに会う肉親への感情、まだ中学生だった俺を置いて出て行ってしまった事を長く恨んでいた気持ち、だが家族を心配してくれていた兄に対する驚きと感謝の気持ち。
嬉しいような困ったような、そんなあれこれと綯い混ぜたような、なんとも言えないような気持ちに、すべての言葉が押し潰された。ここのところの追い詰められようも大きく影響しただろう。
だがその様子を見て困ったような顔をしている兄、そして兄氷河に代わり、どうやら彼の副官らしき人が声をかけてくれた。
「大佐、ここで休憩にしましょう。お茶を淹れますのでレストスペースへどうぞ」
「ああ、ありがとう、山岸中佐。じゃあ、俺と一緒に来い、雷太」
兄貴はそう言って俺を促した。俺はただ頷いて、彼の後を覚束ない足取りで追った。久しぶりに会った肉親の歩様。それは、まさしく先ほどまで案内してくれていた大林伍長と同じ『軍人の歩き方』、そしてそれ以上の威厳を上乗せしたものだった。
そうだ、大佐というのは確か、軍の現場で一番偉い階級の人なのだった。うちの兄貴がここの司令官か何かなのだろうか。ラーメン屋の長男だったあの兄が?