1-3 兄からの手紙
「雷太。本当に済まない。親父が死んだ時、家に戻ってやりたかったが、今俺はここを離れて帰る事はできない。これから書く事について驚かないで読んでほしい。俺は今、特別な場所で傭兵、雇われ兵士をしている。つまり戦争のプロだ」
「は、はあ?」
俺は間抜けな顔で、その手紙の出だしを読んだ。
手に取った手紙は不思議と俺の心を少し溶かし、なんとなく封を切らせる気持ちにさせたのだ。
ロト7を買いに行った時に売り場のおばちゃんから貰った、招き猫のマークの入った『開運ペーパーナイフ』で封を切ってみた。
何か見た事が無いような、薄青い日本ではあまり使っていなそうな、エアメールスタイルの封筒だった。
表には普通に日本語で住所と宛名が書かれている。消印に書かれた文字はよくわからないものだったが。
俺はもう一度、その封筒の裏表をひっくり返しつつ、矯めつ眇めつ眺めてから、そのままズルズルと壁にもたれながら、部屋の床に座り込んで続きを読んでみた。
「多分、親父が死んだら金に困っているだろうから、できれば送金してやりたいのだが、実はここからは送金手段がないんだ。
お前は宇宙飛行士の夢は諦めてしまったのかい。あの頃、一緒に見上げた夜空の星。どうして今こうなってしまったものか。俺はとても後悔している。しかし、だからといってどうにかなるものじゃないんだ。お袋は元気か。麻季菜も」
そこまで読んで、俺は思わず胸が詰まってしまった。家を飛び出していき、俺達を見捨てた兄貴。
今いてくれたら、どれだけ心強いかと恨んでばかりいたのに、こんな風に俺達家族の事を思ってくれていたなんて!
傭兵ってなんだよ。兄貴、あんた今、一体何をやっているんだよ。
俺は溢れる涙を抑える事ができなかったが、それを片手でぐいっと拭って続きを読んだ。兄貴は金の事を言ってくれているのだ。今俺達に一番必要な物の事を。手紙の先を読まなくっちゃいけない。
「雷太、ここは危険な場所だが、金を取りに来い。家族のために。俺は危険な仕事をしているから金回りは悪くない。金は日本円で払われるので、ここでは無駄遣いしようもないからな」
それから、俺は思いっきり首を捻った。
「金が使えないだと? 外為で現地通貨に両替できないっていう事? よくわかんねえな。まあいいや、どれどれ続きは」
そこには驚くべき事が書かれていた。
「俺は今異世界の戦場にいる」
は。はあ?
異世界って何。外国なんじゃあなくって? どこにあるの、それ。
「ここにはネットも通じていないし、郵便局も為替送金のシステムもない。邦銀もない。電話も通じていなければ、日本に送金してくれる地下銀行もない。お前に直接取りに来てもらうほかはない。
ここは危険な土地だ。他には誰も連れてくるな。本来なら、お前も来させたくないのだが、俺は後七年間を生き延びないと日本に帰れないんだ。
安心しろ、ここで渡してやれる金は家族に渡しても税金はかからない約束になっている。税務申告の時にそういえばいい。それで所轄の税務署が処理してくれる。
本来なら、任期が終わってからしか持ち帰れないが、一つだけ方法がある。『家族面会』という奴だ。ここだけの特別ルールなのだ。
形ばかりのもので、傭兵達の心を仮初めに繋ぐためだけにあるような空ルールなのだが、今回はあって助かる。
ここに来るような連中は家族とは音信不通の人間ばかりだ。わざわざ危険を冒して戦場にやってくる酔狂な者も誰一人いない。俺達が死ねば、稼いだ金は家族の下に行く契約だからな。
だが俺はまだ死ねない。済まないがお前が来てくれ。待っている。愛する弟へ。同封したカードのQRコードを読んで、会社の連中にコンタクトを取ってくれ」
通常なら「ふざけているのかよ!」で終了するような手紙はそこで終わっていた。
だが、俺の知っている兄貴は頑固で堅物だった。ふざけて家族にこんな手紙は寄越さない。親父似だった兄貴は、それが理由で親父とぶつかりまくったくらいなのだから。
「わからねえ。兄貴、今あんたは、どこで何をやっているんだよ」
そんな俺の呟きも、他に誰一人いない部屋を満たす静寂に吸い込まれていくようだった。
「兄貴……」
翌日、俺はお袋と麻季菜に見送られながら、その異世界とやらに向かって出発した。俺自身は気楽な格好だ。何しろ行先の情報など何もないのだ。支度の仕様もねえからな。
Gパンにトレーナー。アウトドア風のジャケットにトレッキングシューズ。兄貴の好きだった中日ドラゴンズの応援帽子を被り、デイパックに身の回りの物を詰めて、両手には兄貴のための荷物が入った大きめの紙バッグを下げている。
「お前、気をつけていっておいで。ああ、あの子はまったく何をやっているんだろうね。外国で兵隊さんだなんて」
お袋に異世界という言い方は通じなかったようだ。麻季菜は、なんとなく理解してくれたようなのだが、やはり理解の範疇を越えているだろう。
無理もない。これからそこへ行こうという、この俺にだって、まったく何一つわからねえんだからよ。異世界って一体なんだよ。その辺は、会った時にきっちりと説明してもらうぜ、兄貴。
「とにかく、味噌だけ持っていってあげればいいんじゃないのかな」
そんな事を気楽に言う麻季菜。
まあ、確かに兄貴は味噌が好きなんだけどさ。だが、それを言ってしまったら、我が家は皆、味噌が大好きなんだが。特に名古屋のこってりした奴ね。
「一応、あの子の好きな物は全部入れておいたんだけれど」
「まあ、足りなかったら次回に持っていけばいいさ」
「そうだねえ。じゃあ頼んだわよ」
お袋はもう『お金を取りに行く』という当初の目的を忘れてしまっているのではないだろうか。まあ、これが母親というものなんだけどね。