不機嫌な私
初めに不機嫌な奴と言われたのはいつだっただろうか。
小学校二年生のときに朝比奈 舞花は宿題のプリントを忘れた。
実際は引き出しの奥の方にくしゃくしゃで見つかったのだが、気付かなかった朝比奈は素直に『持ってきたけど無くした』と担任に言った。
担任は優しかったので『足が生えてどっか行っちゃったのね。次はちゃんと捕まえなさい』と言った。
普通なら『今度から気をつけます』とでも返せば良かった。
だが、朝比奈は『プリントは動物じゃないから足が生えて逃げません』と答えた。
そんなのは誰だって分かる。
怒らずに場を和ませようとした担任は本当に良い人だ。
しかし、それは朝比奈にとっては理解できないもの。
朝比奈はことわざや言葉のあや、冗談というものが分からない。
でも勉強が出来ないわけではないので国語のテストは良い結果を残している。
言葉の意味は分かるのだ。
ただ言葉の使われ方が分からない。
この矛盾のように思えることが朝比奈にとって辛いものだった。
それもあって朝比奈は小学校からクラスメートとの会話が成り立たず、中学では孤立した。
周りからは勉強ばかりしている生真面目な生徒と思われていた。
朝比奈を避けているのは、いじめではなく、クラスメート自身も朝比奈との接し方が分からなかったのだ。
だが、朝比奈はただのボッチではなかったのだ。
朝比奈が自分に障害があると認識したのは中学二年生のとき。
ホームルームで学校が中学生を対象としたアンケートを行ったときだ。
内容は私生活や悩みを調査するもので思ったことに対応する数字に丸をするだけの簡単なものだった。
アンケートをとった二日後、朝比奈だけが担任に呼び出された。
個人のアンケートなのだから干渉するべきものではない。
だが、朝比奈の回答が学校としては異質なものだったらしい。
何度も回答に間違いはないのかと問われた。朝比奈も間違いはないと何度も返す。
その結果、朝比奈は人との会話が苦手な生徒にされた。
そのせいかは分からないがコミュニケーションという悩みが強くなり、眉間に皺がよるようになった。
クラスメートから今度は、いつも不機嫌な奴、というレッテルが貼られた。




