仕事の半分は理不尽でできている。
この世界にも時計というものは存在している。元いた世界と同じく、二十四時間なのでわかりやすい。
ギルドの外壁の高所に取り付けられている時計の針は、八時の五分前を指している。
約束の時間に間に合ったことを確認し、視線を下ろすと、そこには既にギルドの制服を着たサイカの姿がある。
サイカはこちらに気がつくと、短いポニーテールを軽快に弾ませながら手を振った。
「おはようございます。すいません、待たせてしまって」
「おはようございます。ううん! 時間五分前だよ!私が早く来すぎただけだから気にしないでね」
サイカは気にしていないと告げ、ギルドの裏手にある職員用の出入り口へと向かう。
職員用の出入り口から事務室に入ると、多くの職員が思い思いの作業に取り組んでいた。書類を整理している者、本を読んでいる者、朝食を食べている者、雑談をしている者。
それらの人々の合間を「おはようございます」と言いながら進んでいくサイカを見習い、「おはようございます」と言いながら進む。挨拶を返してくれる人もいれば、沈黙のままの人もいるが、どちらの場合も俺に興味はあまりないようだ。
「みんな、忙しいからね」とサイカは苦笑を浮かべ、机の前に立ち止まった。
サイカが立ち止まった机の上には【クルト】と書かれたネームプレートとギルドの制服が置かれてる。
「まずは制服に着替えようか。更衣室はあっちにあるからね」
サイカの目線の先には、更衣室と書かれた小部屋があり、俺は綺麗にたたまれた制服をわきに抱え、更衣室へと向かった。
ピシッとしたスーツのような制服に着替え、制服が置いてあった机へと戻ると、隣にの席に座っていたサイカが俺の方に体を向ける。ギルドの制服は男性はスラックス、女性はスカートとなっている。座っている女性のスカートから生える足に目を奪われてしまうのは、男なら仕方がないことだ。
「うん! すごく似合っているね」
「……えっ、あ、うん」
「そんなに照れなくてもいいのに! 顔、赤いよ」
彼女はアハハと笑い声をあげる。
言えない。本当はあなたの足に目を奪われていた事。そんな時に話しかけられて、気ぬけした返事になってしまった事を。
サイカは笑顔のまま、机の引き出しを開け、青色の腕輪を取り出した。
「ギルドの職員には、この青い腕輪を装着することが義務付けられているの」
彼女の右手に目をやると、青い腕輪が輝いていた。青は信頼の色であり、ギルド職員の公正さと誠実さを象徴する意味が込められているとのこと。
「腕輪をつけるから手を出してくれる?」
俺はやんわりと右手をサイカに差し出す。差し出した手に彼女と同じ腕輪がつけられると、ほのかに青白い光を放ち、しばらくすると光は消えた。
「これで腕輪の装着が完了したよ。この腕輪には特別な力があって、腕輪をつけた人がギルドの地下にある真実の間で話すと、その話が嘘か本当かわかるようになるの」
俺は無言のまま左手で腕輪を外そうとしたが、腕輪の表面はどこまでも平面が続いており、つなぎ目が見つからない。
「この腕輪はベステン局長にしか外せないようになっているの。大丈夫! この腕輪があるからこそ、ギルド職員の言葉は力を持つの」
例えば、冒険者が不正を行った時に、ギルド職員がその不正をしっかりと見ていた場合、ギルド職員が真実の間で語る証言は、信頼される証拠として取り扱われる。
「外せないの黙ったままつけてごめんね」
腕輪が外れなくて焦るクルト君が見たかったのと、サイカは言葉を付け足す。
サイカも腕輪を外せないことを聞かされずにつけられたらしく、新人への恒例行事となっているようだ。
腕輪をつけないとギルドで働けないので、黙っていたことに腹が立つこともなく、むしろサイカがイタズラっぽくしてくれた事が、俺を受け入れてくれているんだなと思えて、少し嬉しかった。
「さて、クルト君はまず初級冒険者を担当してみようか!」
初級冒険者とはギルドの試験に合格して間のない冒険者のことだ。
初級冒険者の多くは、正式な担当がついておらず、手の空いている職員が担当につき、クエストの依頼内容を確認し、提案し、そして助言を行うようにしている。その時に意気投合し、お互いが了承することで正式にその冒険者の担当となる。
初級冒険者は午前中のみクエストの受注ができるようになっている。
これは午後にクエストを受注して、帰りが遅くなり、夜に冒険をすることがないようにするための配慮だそうだ。
「今、ギルドに初級冒険者の人が来ているから一緒に行こうか!」
サイカはクエストの書類が置いてある棚まで歩き、数枚の紙を手に取ると、俺についてくるように促し、冒険者のいるロビーへと向かった。
ロビーにある簡易的に薄い木の板で仕切られたブースの中で、俺とサイカは横並びに座り、テーブルを挟んだ向かい側に、十六歳くらいの男性が席についている。彼の右手には初級冒険者の証である白い腕輪がつけられている。
サイカは大学ノートくらいの大きさの黒い板を初級冒険者の差し出す。その黒い板に初級冒険者が白い腕輪を近づけると、腕輪が淡く光、黒い板に文字が浮かび上がる。
そこには、初級冒険者のプロフィールやこれまでの活動などが書かれている。何これ!? 超便利!!
「クルト君、これが冒険者の資料なんだけど、今回で3回目の冒険みたいだね。前回と同じでマルボーを五体討伐するクエストをやってもらおう」
サイカはひっそりとした話声で、初級冒険者に対する方針を伝え、依頼書を手渡してきた。
マルボーとは、バスケットボールくらいの丸い体に目と口があり、草原の草を食べるモンスターの事だ。マルボーの気性はおとなしく、こちらから危害を加えなければ襲ってくることはなく、戦闘になっても体全体を使って体当たりをしてくるだけなので、初級冒険者にはマルボー討伐のクエストを推奨している。
俺は【マルボーの討伐:五体】と書かれた依頼書を初級冒険者が読みやすいようにテーブルの上に差し出す。
「……ぁあ、今回もマルボーの討伐の依頼をやってもらおうと思います。えぇっと……五体倒して、マルボーの結晶の回収をお願いします」
たどたどしい口調で初級冒険者にクエストを提案すると、初級冒険者はテーブルに肘をつき、あごを手に乗せてこちらを睨みつけてきた。
「またマルボーかよ! こんな報酬の低いクエストばっかり持ってきやがって! なんか他にクエストはないのかよ!!」
テーブルを打楽器のように叩きながら初級冒険者が悪態をつく。
隣に座るサイカに意見を求めようとしたが、彼女は目を閉じて首を横に振った。
どうやら他の依頼という選択肢はないようだ。
その後、一時間ほど初級冒険者の罵声を浴びながら、なんとかマルボー討伐の依頼を受ける事を了承してくれた。
「チッ、次はちゃんとしたクエスト、用意しとけよなカス!」
初級冒険者が荒々しく立ち上がると、勢いに負けて椅子が床に転がったが、彼は気にする様子もなく、依頼書を片手にブースから出ていった。
俺は床に転がる椅子を元に戻して、体の中に溜まったモヤモヤを押し出すようにため息をつく。
「……お疲れ様、最初にあんなのに当たるのはちょっと運が悪かったかもね」
サイカは同情の言葉を口にしたあと、ただし! と人差し指を立てながら言葉を続ける。
「クルト君も悪いところあるよ! 最初だから仕方がないかもしれないけど、もっと自信をもって言わなくちゃ! 言葉に自信がないから舐められるんだよ!」
「そうですね。次はもう少しはっきりと話してみます。はぁ~それにしても、これだけしんどい思いをしてたったの二百ルナか……なかなか辛いものがありますね」
マルボー討伐のクエスト報酬は総額二千ルナだ。そのうちの一割が職員の取り分なので、二百ルナが今回の収入となる。時給何円かなと考えると薄暗い気持ちになる。
「……あの、ですね。初級冒険者には、報酬の割合を少し多くするという暗黙の了解があるんですよね…」
なるほど、初級冒険者の救済措置の一環ということか。……嫌な予感しかしない。
「その少し多くなる報酬ってどこから捻出しているんですか?」
俺が訊ねると、サイカは左手の人差し指で頬を擦りながらつぶやく。
「……職員の、報酬から、半分、かな」
ほんと、勘弁してほしいです。
初級冒険者の対応が終わり、扉を開け事務室に戻ると、他の職員の人からモンスターの結晶を運んでおいてと頼まれた。雑用は新人の仕事らしい。
「雑用ってめんどくさいと思うかもしれないけど、雑用から学ぶことって意外と多いんだよ」
サイカはモンスターの結晶が入った木箱を両手に抱えながら、雑用の大切さを説いている。
例えば、このモンスターの結晶についてなんだけどね! とモンスターの結晶について説明を始める。
モンスターの結晶とは、モンスターを倒すと現れる水晶のかけらのような形をしていて、モンスターごとに様々な大きさがあり、ポケットにしまえるものから、行商人が商品の運搬に使う荷台を占領してしまうほど大きな結晶も存在する。モンスターの結晶は、アイテム生成の材料として使われる。
ちなみに、マルボーの結晶は回復剤の材料として使用されているようだ。
「さっきの初級冒険者が受けたマルボー討伐のクエストって、回復剤を売っている道具屋や薬屋からの依頼ということですか?」
サイカに訊ねると、彼女は違う違うと首をふる。
「さっきの依頼はね、ギルドからの依頼なの。マルボーの結晶を手に入れるなら、ギルドに依頼するより安くて済む方法がたくさんあるから一般の人からの依頼でクエストになることはないんだよね。だから、ギルドが初級冒険者のために、マルボー討伐クエストを作っているんだよ」
ギルドは利益を求める組織じゃないからねと言い、サイカはモンスターの結晶の入った木箱を目的の場所に置いた。
頼まれた仕事(雑用)をしていると、時計の針は十二時をさし、休憩を告げるベルが鳴り響く。
俺とサイカはギルドから歩いて五分ほどの近場にある、大通りに面したオープンカフェでサンドイッチをほおばっている。
サイカが言うには、このお店のタマゴサンドは絶品らしく、初出勤のお祝いにご馳走してくれた。
「そういえば、答えは何となくわかっているんだけど、一応聞くね。午前中に臨時で担当した初級冒険者の彼、担当する気とかある?」
「……担当したくないですね。うまくやっていけるイメージがまったく持てないです」
「そっか、うん! それでいいと思うよ」
サイカはサンドイッチを小さくかじり、コップに入ったジュースを口にする。
「さっきの彼みたいに態度が悪い人は担当になったら苦労するし、儲からないとか言って、すぐに辞めちゃうパターンが多いんだよね」
だから担当しないのが正解とサイカは言う。
「初級冒険者の人が他にも来てくれたら良かったんだけどね。まぁこういう日もあるさ!! もうすぐ休憩時間が終わるね。午後から私の担当冒険者が来るから横で見てるといいよ」
サイカは残っているサンドイッチを口に放り込み、ほっぺたを膨らませると席を立った。
ハムスターみたいなサイカに続き、俺も立ち上がり、両手を高く上げ、体を伸ばす。
「午後も頑張りますか」
軽く気合を入れ、オープンカフェからギルドに戻るため足を進めた。