夜明けの珈琲
ピ・ピ・ピ……ピ・ピ・ピ……
頭の上でアラームらしき機械音がする。
「ん……ママ、もう……ちょっと」
そう呟きながら寝返りを打とうとして、ハッと我に返った。
「おはよう。樋野」
ほんの僅かな目の前に、御影君の顔があった!
「お、おは…おはよう……」
動揺を隠せない。
もしかしなくてもずっと、寝顔を見られていた?!
「樋野って。ほんと、かわいーよな」
彼はくっくと笑いを隠している。
「ど、どういう意味?!」
「言葉の通りさ。樋野はほんとに可愛いよ」
そう言うと御影君は不意にCHU!と、軽いバード・キスをしかけてきた。
夕べキスは数え切れないほど彼と経験したはずなのに、やはり心臓の鼓動を意識する。
「昨日がイブだから、今のが初クリスマス・キス!ってわけだ」
彼の声は心なしか嬉し気に響く。
キス。
私にとってはファースト・キス。
それも、聖なる「クリスマスイブ・キス」!
思い出すにつけ、くらくらとしてしまう。
そんな私をよそに彼はベッドから離れて、
「珈琲飲むだろ? インスタントだけど」
と、ポットでお湯を沸かし始めた。
「それから。急かして悪いけど、チェックアウトの時間までそんなに間がないんだ。今のうちに顔洗って、服、着ておいて」
見れば、彼はいつのまにかとっくに着替えていた。
我に返ると、昨夜、眠りに落ちる前と同じインナー姿の自分がいる。
下着の乱れがないところをみると、彼は約束通り、あれ以上何もしないでいてくれたのだろう。
安堵しつつ、
「ありがと」
「え? 何か言った?」
「ううん。何でもない」
彼の理性と誠実さに感謝しながら呟いていた。
昨夜は立ち入ることさえできなかったバスルームで歯を磨き、洗顔した後、軽くお粉をはたいて、「アニエスb」の淡いピンクのルージュをひき、「メイベリン」のベージュ系のアイシャドウと黒のマスカラを何気にのせた。
そして、服を身につけ、バスルームから出てくると、
「はい」
彼が、珈琲をついだ紙コップを手渡してくれた。
「メイク道具、持ってきてたんだ?」
う。目ざとい!
こういうところが、彼の彼たる所以だとしみじみ思う。
「ん…JKだもん。一応。昨日、パーティーだったしね」
「樋野って。ほんとピンク、好きだよな」
彼がまた意味深に笑う。
内心、大いに動揺しながら、
「どういう意味?」
再び問うと、
「だから、言葉通りさ」
と、彼は涼しげな顔をしている。
ピンクのルージュにピンクオンリーのインナーを見られたのだから、そう言われても仕方がない。
私は溜息をつくと、珈琲を一口啜った。
それはややぬるく、粉っぽいインスタントコーヒー特有の味がした。
けれど、何故だか今朝は舌に心地良い。
「いつか。本当の夜明けの珈琲が飲めるといいな」
咄嗟にはなんと答えていいものやらわからない。
まったくいつまでこんなにネンネなんだろう!
"夜明けの珈琲"
いつか本当に飲む時が来るのかな。
……御影君と一緒に。
珈琲を啜りながら、改めて部屋の中を眺めてみたりなんかする。
ここが。ラブホテル、か。
まさか自分が十七歳でこんなところに来るとは、思ってもいなかった。
そんな感慨に浸りながら、改めてしみじみと部屋の中を見まわしてみる。
ブルーが基調の思ったより落ち着いた空間に、でも、キングサイズのダブルベッドがやけにその存在を主張している。
そしてよく見ると、どこにも「窓」がないことに気がついた。
朝なのに薄暗い。どこか背徳の匂いがする。
もし、ここを出るところを誰かに見られたら、親密な恋人同士に見えるのだろうか。彼と私も。
「ここ出たら、軽く朝メシにする? モーニングやってる店もここらは多いし。あ、樋野の好きなスタバも近くにあるけど」
「だったらスタバがいいな」
「OK! じゃ、そろそろ出よう」
「うん」
ばいばい。
初めてのKISSを与えてくれた場所。
部屋の中を振り返りながら、心で呟いていた。