聖なる夜の初めてのキス
ドアを閉めた途端、包まれた。
彼の人の温かい腕の中。心臓の音だけが響く。
甘く、透明な……蜜のような口づけ。
思わず知らず、吐息が漏れる。
御影君……。
本当に目の前にいるのは、あの御影君?
私を抱き締めて……。
そして、ここにいるのは、本当に、私?
何もかも信じられない……。
ようやく彼の口唇が離れた。
顔が上げられず、彼の足下だけを見つめる。
彼はそんな私をもう一度軽く抱き締めると、踵を返し、部屋の中央へと歩を進めた。
「いつまでそんなとこ、つったってんの?……何か飲む? コーラやジュース、烏龍茶もあるよ」
部屋に付随している小さな冷蔵庫の中を見ながら、彼が問う。
私は無言でかぶりを振った。
そんな私の様子を見て彼は、冷蔵庫のドアをバタンと閉めた。
「シャワー、先に浴びる?」
そう言うと、バスルームを軽く指さした。
この状況に何ら動じることなく、どこまでもマイペースな彼。
いつもと同じ彼の声音に私は催眠術をかけられたかのように、ふらふらとバスルームへと向かった。
しかし、その部屋の電気をつけて、絶句してしまった!
どうしていいかわからないまま、彼の元へと戻る。
「どうしたの? シャワー浴びないの」
彼はベッドに腰掛け、足を組んでいた。
「あ、あの…あ、あれ……!」
真っ赤になりながら、俯いたままバスルームを指さした。
「ああ。……あれ、ね」
電気のついたバスルームを見て、彼はすぐに納得したようだ。
「やっぱ「ハジメテ」で、あれはキツイか」
独り言のように苦笑する。
「は、初めて…て! どうし、て……」
と、言いながら、言葉にはなっていなかった。
ここはラブホテルの一室。
そのバスルームは明かりをつけると、擦りガラス一面を照明が煌々と照らしている。
その作りは、噂には聞いていたけれど、一挙一動も、いや、体のラインすら映し出すだろう。
「冬だし。無理してシャワー浴びなくてもいいよ。でも、コートは脱いだら? それにできれば、その可愛いパーティー仕様の真っ赤なワンピースも。皺になるだろ」
低く諭すような御影君の声。
「じゃ、俺はシャワー浴びてくるから」
そう言うと、
「ベッドの中で待っといて」
と、耳元で囁いた。
そのたった一言で、ボン!と顔から火が出そうだ。
しかし、そんな私を知らぬ気に、彼はバスルームへと消えていった。私は思わず視線を逸らした。
問題はこれから。
コートは脱ぐとして、フォーマル・ワンピにストッキング。脱いだものかどうか。
とりあえず、シルバーラメの7㎝ピンヒールは脱ごうとベッドに腰掛けた。
それは、すごく先の尖ったポインテッドトゥーで、爪先がジンジンする。
しかし、ぼやぼやしていたら、御影君がシャワーから戻ってくる。
私は勇気を振り絞る思いで服を脱ぐと、ざっくりと畳んで、ベッドサイド・テーブルの上へ置いた。
そして、素早くベッドの中へと入る。
ベッドに潜り込みながら、自分の姿を改めて認識する。
一番お気にのピンクのレースのキャミソール。それにオソロのブラ&ショーツで、本当に良かった!
でも、私の着てるキャミなんて。
色っぽいのかガキっぽいんだか。
こんなことなら、シックなプラム系の膝丈スリップでも着て来ていたら良かったのに。
それに考えてみれば、フリル一杯のブラにショーツ。いかにも少女趣味で、なにか、恥ずかしい。
それにしても。
私。大胆なこと、してる……。
幼稚舎から成るキリスト教系の私立「海櫻学園」の伝統あるクリスマスパーティーに参加した途中、誘われて。
二人して抜け出して、光溢れるイルミネーションで装飾された華やかな街並木を散歩した帰り道、不意に私の右手を握り路地裏へと入った彼に誘われるまま、こんなところまで来てしまった。
「クラスメート」。ただそれだけなのに。
ううん。……違う。
本当は秋、海櫻・高等部の二年生に転入して間もない頃から、たまに接触してた。
唐突にLINE尋ねられて。交換して。
それから、目を合わせると喋ったり、何気にLINE交換したり。一緒に帰る時にはお茶したりもする。
でも、唯それだけで……。
そこまで考えて不意に涙が零れそうになった。
唯それだけの関係でも、それでも。
私にとっては「友達以上恋人未満」の存在だった御影君……どうして?
「あ、やっぱ服、脱いでくれたんじゃん」
御影君が戻ってきた!
私はベッドの中で瞬間、身を固くする。
彼がベッドの中へと入ってくる。
「ああ、でも、服着たまんまの方が良かったかな。脱がせる楽しみが」
そんなシチュエーションさえ愉しむように、彼が言う。
私はそんな彼の言葉に真っ赤になりながら、ひたすら躰を強ばらせている。
「どうしてそんな壁際にひっついて、壁の方ばっか向いてるの?」
意地悪!
わかってるくせに。
私はもはや泣き出しそうだった。
「樋野」
そして。
彼の声音が変わった。彼の手が私に伸びる。
乱暴に彼の腕の中へと引き寄せられた。
彼の口唇が私のうなじへと触れ、そしてキャミの中へと彼の手が伸び、私は反射的に身をよじったけれど、次の瞬間には彼に両手首を掴まれ、身動きができない。
私の真上に彼の顔があった。
「今更、何、拒否ってんだよ。納得済みでついてきたんだろ」
冷たい彼の言葉。
ああ、そうなんだ……。
私は自ら、わかっていて、ここまで来たんだ。
彼が再び動きを始める。
胸元に口づけられ、キャミの肩紐が、落ちる。
私はなされるがまま、ただ、涙が一筋伝って、落ちた。
その時だった。
「……悪かったよ」
彼の動きが止まった。
「え……?」
涙が溢れる閉じた瞳を開くと、切ないような微妙な彼の表情がそこに、あった。
「こんなつもりじゃなかったんだ。本当に」
そう言いながら、彼は私から身を離す。
ベッドに腰掛けると、私に背を向けた。
「樋野がクラスに転校してきた九月、一目見た時からすっげーいいなと思って。でも、そんな奴らうんざりするほど嫌んなるくらい多くてさ。だから、ダメもとでLINE聞いたら、お前あっさり教えてくれただろ? 俺、マジ夢かと思ったんだぜ? それでも、なかなかお前には手ぇ出せなくて……。けど、今夜のパーティーをきっかけに、絶対はっきり告る!て、決めてたんだ。だから、他の野郎に取られまいって抜け駆けして誘って。でも、ちょっとでも勇気出そうと思ってこう……。お前の手、初めて握ったら。欲望? 沸き上がって……手っ取り早くこんなとこ連れ込んで……」
彼は深々と頭を下げ、
「ごめん」
と、一言詫びた。
初めて見る彼の背中は逞しくて、でも、なんだか寂しげに見えた。
そんな彼の背中にそっと、寄り添う。
「樋野?」
「私……御影君じゃなかったらこんなとこ、絶対、来なかった」
噛みしめるように、呟いた。
「樋野、お嬢さん育ちだもんな。ラブホはちょっと、抵抗、あるよな」
「そういうんじゃなくて……」
「じゃあ。俺ならいいの?」
その真剣な彼の言葉に、なんと応えようか迷っていると一瞬、彼の口唇がそっと私の口唇に触れて、離れた。
「樋野可南子さん」
彼が再び口を開く。
それまで見たことのない彼のまなざしだった。
「好きです。俺の彼女になって下さい」
私の瞳を見つめ、はっきりとそう告げると御影君は、頭を下げてゆっくり左手を差し出した。
しかし、信じられないことに、その手はやや震えているようにも見える。
私は微笑んでその手を取ると、
「はい。御影君。私の彼になって下さい」
再び微かに涙を光らせながら、そう答えた。
ばっと、彼が頭を上げ、まじまじと私の顔を見つめる。
暫し見つめ合った後、くすくすと二人して笑い合う。
そして、私と御影君はこれこそが初めてというように幸せな、聖なる夜に相応しい、そんなキスをいつまでも、心ゆくまで重ね合った。