6.なかったことになんてなるはずもないのに
メソウ街という場所は俺にも縁のある場所だ。
ここはリアと俺が出会った場所だ。そして同時に、俺が彼女に、シャルトア・アーベンヘルトに捨てられた場所でもある。
だから、この再開は運命なんて言葉で表現される類のものではない。
運命なんて言葉は、人が自分が直面した事象を美談に仕上げたいときに使うものだ。あるいは、諦めるときに自分を納得させるために使う言葉かもしれない。
現実に因果応報なんてものはほとんどない。むしろ悪い奴ほど得をするように出来ていると思う。話が少し脱線してしまった。
とにかく、俺達の再開はそこらの道端に転がっているようなありふれた偶然だったのだ。何のことはない、十二分にあり得ることだったということだ。
「あれ、陽生じゃん。アンタまだこの世界にいたんだ」
「シャトー」
首のあたりで一房にまとめられた赤い髪、それと同じ鮮やかな色の瞳。彼女の快活さがにじみ出ている顔つきを忘れることは俺には不可能だった。
彼女こそがこの世界で初めて俺という存在を承認した人間であり、それと同時に俺という存在を完膚なきまでに否定した人間なのだから。
「ハル?」
歩きを止めた俺を不審に思ったのかリアがこっちを振り返る。
そのリアを見てシャトーが口を歪める。
「なるほどね。その子がアンタの新しい飼い主ってわけだ」
「その言い方、私に喧嘩を売っているんですか?」
「へぇ、アンタはペットと違って勇ましいじゃん。買ってくれるなら売ろうか、喧嘩?」
「上等です。私も最近やられっぱなしでいい加減イライラしていたので」
リアとシャトーが顔を近づけていがみ合う。その様子を見ても俺は何もできない。
リアは髪が黒くなってからは少し活発になった気がする。フードを深く被ることをやめたのも影響があるのかもしれない。もうリアが姿を隠さないといけない最大の要因はなくなったのだから。
だけど、シャトーと争うのはまずい。シャルトア・エ―ベンヘルトという人間は俺達が争って勝てる相手ではないからだ。
「リヴィア、よすんだ。彼女は賢者だ」
俺の代わりにリアを止めたのはフェイだった。
「それがなんだっていうんです?」
「喧嘩したってかないっこないって言ってるのさ」
一応はフェイの言い分に納得したのか、リアは不機嫌そうな顔のまま引き下がる。
下がったリアの代わりに今度はフェイがシャトーと対面していた。
「ふーん、アンタ、あたしのこと知ってるんだ」
「まぁね。君は聖女や勇者と違って大々的に自分のことを宣伝していってるわけじゃないから、あの二人程有名じゃないけどさ。僕も関係者だから、君のことぐらい知っているよ。存在自体はそこそこ有名だしね」
フェイが言ったようにシャトーは賢者と呼ばれる存在だ。
この世界である程度力を持つ人物の一人である。冒険者の代表が勇者、教会の代表が聖女、そして魔術師組合の代表が賢者。政治や経済的な話は抜きにすると、彼らは魔族殲滅という目的のために働く人々の中ではかなりの力を持つ人物だと言ってもいい。
俺も昔はその賢者の相方だったときがあったのだ。
「そう。それで?」
「いや、僕らからこれ以上言うことは特にないよ。君の方こそ僕らなにか用があったんじゃないのかい?」
「たまたま昔の知り合いに会ったから声をかけただけよ。もう用なんかないわ」
それだけ言ってシャトーは立ち去った。
俺には分からない。どうして彼女が俺の前であんなにも平然としていられるのか。何故声をかけてきたのか。
「やれやれ。まさか君が賢者の知り合いだったなんてね」
「昔の承認者なんだ」
「そうかい。まぁ、今は君は僕らのお姫様のご機嫌をなおすことを心配した方がいいよ」
「え?」
フェイの言った通りだった。
リアがすっかりむくれてしまって、先へとずんずん一人で進んでしまっている。
それを見てようやく俺はいつものペースを取り戻すのだった。
シャトー、いや、シャルトアに会ったぐらいでこんなに動揺するようでは駄目だ。
結局のところ、まだ未練があるということだろうか。だとしたらそんな無様なことはない。
既に俺は昔の俺ではない。白くなった自分の髪を見る度に強くそう思う。今だって窓に映る自分の髪が妙に浮いて見えた。
リアによってこの世界の人間として固定してもらった。ありがたいことだ。たぶんあんなことは普通できるものじゃないと思う。だけどそんな細かいことはもうどうだっていい。
リアが特別なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
それについては、聖女を排除した後でゆっくり話を聞こう。最近ようやく自覚したのだが、俺はリアのことをあまり知らない。昔聖女と何かあったらしいということも察しはつくが、内容は知らない。今回の件に関わってきそうなことだというのに、何も知らないのだ。
今回の一件は俺達がこれからを見据えるのにいい機会となった。
そう、大切なのはこれからだ。
過去なんてもういらない。
シャルトアも元の世界も、もう必要ない。
そんなもの、ゴミ箱にでも捨てていこう。見るのは未来だけでいい。
だけど、俺にはその捨てるものすらもうない。過去なんてないのだ。
どこからか嗚咽の声が漏れるのが聞こえる。
外では雨なんか降っていないのに、目の前の窓から水滴が流れていくのが見えた。