3.ひどく遠い背中
リュウトが男を一人斬り殺そうとしていた。
追い詰められている相手の男は、やたらと煌びやかな剣を振り回しながら走って逃げている。あまり見れたものじゃない。あれでよく今までこの世界で生きてこれたものだ。
「きき、来たれ、雷帝の閃光。い、古からの契約に従いて、我に一騎当千の力を与えたまえ!」
顔面を蒼白にした男がそう叫ぶと、剣が光を放ち、巨大な光の柱のようなものが地面を削りながらリュウトのもとへと走っていく。
それをリュウトは影に包まれて黒くなった右腕であっさりと薙ぎ払い打ち消す。そのまま男めがけて走り、男の片腕を刎ねた。
「あ゛ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ」
男が絶叫を上げ、地面を転げる。自慢の剣は放り捨てられていた。
「腕がっ、僕の腕があああっ」
男の叫びを気にもとめず、リュウトはゆっくりと男へと近づいていく。
「痛い痛い痛いぃぃぃぃ。何だよ、お前何なんだよっ。こんなん人がやることじゃねぇよっ! これからってとこだったろっ。これからってとこだったんだよ! 僕が主人公じゃねぇのかよっ! やっとクソみてぇなもとの世界から抜け出して、夢の異世界召喚されたと思ったのにぃっ。信じられないぐらいチートな力もらってさぁ、美少女だって何人も仲間にしたんだ。僕のハーレムだっ! ここはもとの世界じゃ考えられない僕のためだけに用意された素晴らしい世界なんじゃなかったのかよおぉぉぉぉっ。なのにお前みたいなのが壊しやがって、お前、ほんと何なんだよおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「満足か」
そして喚き散らす男にただ一言そう聞いた。
「満足なわけないだろおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ。これのどこをどう見たら、満足になんて見えるんだよおぉぉぉぉ。クソッ、クソクソクソッ! トリノっ、クーっ、マフィっ、僕を、僕を助けろっ!」
男が名前を呼んだ女性達は皆とっくに逃げていた。
俺はその様子をただ眺めていたから間違いない。
聖女が男を置いて行くなら命までは取らないと言うと、彼女たちはすぐさま逃げ出した。俺の横で聖女がその様子を眺めながらニヤついていたのが強く頭に残っている。
「とっくに逃げたぞ。仲間だと思っていたのはお前だけじゃないのか?」
「え?」
男がポカンと口を開けたまま動きを止める。相当な間抜け面に見えた。
リュウトの言葉は事実だ。実は先ほどから男の体は透けてきている。利用価値が無くなったから見捨てられたのだろう。
見ていられなかった。
「リュウト、もういいだろ? もう十分だ。やめてやれよ」
リュウトの方へと歩いて行きながら声をかける。
「あらあら、それはいただけませんわ。私達が貸し切った新迷宮に無断で足を踏み入れた挙句、権利は自分達にこそ相応しいなどとぬかした愚か者ですもの。もっと苦しんでいただかなくては」
聖女の言葉を受けたリュウトが、男のもう一方の腕も切り飛ばす。
今度は叫び声一つ上げずに男は意識を失った。その男の頭部をリュウトが蹴り飛ばす。起こそうとしているらしい。
「やめろ、もうやめてくれ」
男より先に俺に限界がきた。
「ハル、いい加減に慣れろ。どのみちこんな様子じゃこいつは俺らに関わらなくてもすぐに死んでいた。主に意見してまで憐れむべきようなやつじゃない」
「それでも、それでもそいつだって人間なんだ。もう十分心も体も傷ついたはずなんだ。不必要に傷つけられていいはずがない! ……そんなはずがないんだ」
顔色一つ変えないリュウトに対して、俺の今の顔はたぶん真っ青だ。手だって震えている。
「なぁ、リュウト、頼むよ」
「リュウト、続けなさい」
聖女はそんな俺の様子を見て、やはりニヤつきながらそう命令を下した。
俺の懇願は無視され、再び男の頭に蹴りが入れられる。男が呻いて目を開けた。彼の体はもうほとんど消えかけている。
「……お……おが、あざん……っ……」
焦点の定まっていない目で空を見上げて、男は無くなった腕を上へと伸ばそうとした。少なくとも俺にはそう見えた。
この世界から存在が消失するのが先か、この世界で孤独なまま死ぬのが先か。俺はなんとなく前者だといいなと思った。
消失することはもの凄く怖い。だけど、もしかしたら魂ぐらいは元の世界に帰れるのかもしれない。そう考えると少し救われる。
リュウトがさらなる苦痛を与えようと剣を振り上げる。
気づいたら俺は動いていた。
「ハルぅ、お前何やってんだ?」
「え?」
腰にさしてあったロングソードで、俺はリュウトの一閃を止めていた。視界の端で聖女の機嫌が少し悪くなったのが見てとれた。
その間に後ろで男は完全に消失した。
聖女の機嫌を損ねてまでするべきことではなかったのかもしれない。でも、これで良かったんだ。そんな気がした。
誰も自分のことを待っていてくれない世界で死ぬなんて惨めなことさせるべきじゃない。
そう思った直後に頬に強い衝撃を受けた。
迷宮の床を転がる。砂が口の中に入った。じょりじょりするし、鉄の味もする。リュウトに殴られたからだ。
「アイシャ、すまん」
リュウトが聖女に頭を下げていた。
「許します」
俺が無様に這いつくばっているのを見て聖女は機嫌を直したようだ。
相変わらず聖女という言葉に似合わない性格をしている。普通、聖女なんていうのはもっと人間離れしたような慈愛に満ちた人柄をする人物のことを表すのだと思っていたのだが。
なんというか人間っぽいのだ。人間なんだから当然なんだけれど。
これも人間崇拝に近い雰囲気がある世界だからこそ形成された性格なのだろうか。
正直に言って、俺からしたら救ってくれたリアの方がよほど聖女らしい。異世界人だから感性が違うのかもしれないが。
そんな現実逃避をしていると、胸倉を掴まれて無理やり体を起こされるはめになった。
顔を近づけてリュウトが凄む。
「次はないぞ」
「……分かってる」
返事を聞いたリュウトは俺の胸倉から手を放す。それから迷宮の出口へと歩き始めた。
この迷宮もハズレだった。明日は別の迷宮へ行くのだろう。
ここ最近、次々と迷宮を貸し切っては攻略するということを繰り返している。なんでも迷宮の中には魔物達の国に繋がっているものもあるらしく、聖女達はそれを探しているらしい。俺には他の目的もあるように思えるのだが。
幸いなことに何故か聖女は俺の記憶から得た情報を使ってリアを探すということを今日まで行っていない。それが余計何を考えているのか分からなくて不気味さを増してもいるのだが。
俺がリアと別れてからは、既に十日が経っていた。迷宮はここも含めて三つ攻略した。異世界人は四人殺した。それで分かったのだが、この世界にいる異世界人はかなり多いのだ。そして俺達異世界人は、この世界ではもしかしたら人間だとすら思われていないのかもしれない。
だから俺達異世界人は何もかも諦めないといけないのか。
なぁ、リュウト。あんたはこんなことをずっと一人で繰り返してきたのか。
だとしたらあんたは凄いよ。俺はもう、自分が何のために生きているのか分からなくなってきた。
消えたくないから、死にたくないから生きるってなんか違うと思うんだ。
前を歩くリュウトを見る。聖女の懐刀なんて言われる男はいつだって血に濡れていた。そしてその背はなんだか寂しそうに見えるのだ。
そのリュウトの背が動いた。
手には矢が握られている。リュウトのものではない。あいつは弓矢を使わないから。射撃されたのだ。
ならば誰のものか?
この迷宮は聖女の名で貸し切っている。侵入するのはさっきリュウトが殺したような聖女の怖さを知らない命知らずの異世界人か、冒険者協会に所属していない故に知らなかったあの日の俺達みたいなやつだけだ。
でもそんなやつらでも普通いきなり攻撃するだろうか。もしかしたら間抜けな盗賊かもしれないな。
「そこか」
リュウトが茂みに近づいていく。そこから撃たれたと思っているらしい。
どうやらその予想は当たったようだ。二射目がその茂みから放たれる。
矢が放たれたのから間髪入れずに、フードで顔をすっぽりと隠した真っ赤なローブを身に纏った人物が飛び出してくる。
俺はその赤いローブに見覚えがあった。その人物を知っていた。
二射目をリュウトが右手で弾く。そのすぐ側で聖女が嬉しそうに本当に嬉しそうに顔を歪めたのが見えた。
「何でだよ。何で来ちまったんだよ、リア」
フードがめくれて毎日のように見ていた顔が露わになった。